四条河原町からの帰り、久しぶりに木屋町通を北へ。高瀬川の向こうは、お店の入れ替わりが激しそうだ。前に通ったときには見かけなかったような看板もある。角倉了以旧邸の、がんこの前を通り過ぎると、二条通で木屋町通の終点。終点の信号の前に、唐風の門が見えた。
善導寺。山号・終南山、浄土宗の寺である。1558年、然誉上人が六角堂付近に創立、天明の大火(1788年)で、当地に移転した。
山門をくぐると、正面に本堂、左手に別の建物。山門の両脇もビルが迫っていたが、本堂の後ろのマンションは、威圧感がある。等持院の庭からは立命館大学が、冷泉家の庭からは同志社大学が見えたっけ。こういう歴史的建造物の周囲には、通常、高さ規制はないのだ。この景観、お気の毒としかいいようがない。
山門の前の立派な御影石には、寺の由来が記されていた。それによると、堂前の石仏は、嵯峨釈迦堂の本尊を模したのだとか。向かって左に五髻(まつ)の文殊菩薩、向かって右に弥勒菩薩を配する形式は珍しいものであるらしい。弘安元年(1278)の銘があるということは、寺の創建よりもずっと古いものなのだ。
この技法を「半肉彫り」というらしい。浮き彫り(レリーフ)の技法の一つで、浮き出し部分の厚みが大きいものから、「高(肉)彫り」「半肉彫り」「浅(薄肉)彫り」という。
1278年製作で、戸外に置かれたこの石仏、こんなにはっきりと見ることができるとは。
浄土宗公式HPで、嵯峨釈迦堂の国宝釈迦牟尼仏と比べてみた。衣の様子や福々しい耳は似ているが、お顔の感じは、違って見えた。この石仏は、丸顔にぱっちりとした目だが、国宝は四角いお顔に切れ長の目。(浄土宗公式HP:http://jodo.or.jp/footprint/07/image/a.jpg)
お庭の六角燈籠の火袋には茶道具が彫られている。茶人を始めとして、現在も人気のあるモデルなのだそうだ。これが、その始めだったのか、このモデルは「善導寺型燈籠」と呼ばれるらしい。
かなり風化が進んでいて、その彫刻は、はっきりとは認められない。茶碗・炭斗・火鉢・火著・茶釜・柄杓・五徳が彫られているはずなのだが。写真上・右は一番きれいに見えるものだが、炭斗か?
燈籠にもいろいろなタイプがあり、火袋に鹿を彫った「春日型」や、鷺を彫った「濡鷺型」、瓢箪を彫った「角太閤型・平太閤型」など、その彫刻による呼び名の他に、「雪見型」「織部型」「道標型」「江戸型」「奥之院型」などがあるそうだ。庭を見る楽しみが増えた。
さて、ここは浄土宗のお寺なので、抱き杏葉があるかも・・・と探すと、飾り瓦にそれらしきものを見つけた(写真下・左)。軒丸瓦は、ほとんど三つ巴。そのほか「善」の文字の入った飾り瓦も(写真下・右)。
ついでに、本堂屋根に取り付けられた凡字を。
寺内にエステサロンがあるということに、とても驚いた。寺は世につれ・・・。