京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

詩仙堂のさつき2011

2011-05-31 23:58:31 | まち歩き

大田神社のカキツバタと同様、詩仙堂のさつきも、今年は常よりも開花が遅れている。京都観光NaviHPでは、「5月26日現在 2~3分咲き」となっていたので、そろそろ五分咲きかと行ってみた。

京都観光NaviHP:花だより(http://kanko.city.kyoto.lg.jp/feature/flowermail.php

1144 「老梅関」門をくぐり、建物入り口へ向かうとき、開け放たれた障子から、座敷正面のさつきが見える。端正な佇まいの刈り込みに、花はまだまばらなのを認め、開花に遅れるよりは、早めの方がいいから、と自分を納得させる。ここ数年、開花は木によって、あるいは場所によって1週間以上のズレがあり、目を見張る満開に出合えないのだから、階段下からの眺めはまた違うかもしれないし。

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いつもなら、座敷奥(至楽巣)の縁側から庭に下りて散策できるよう、スリッパが木箱に入っているが、今日は雨でもないのに、スリッパは撤収されていた。雨の日は、退室して靴を履き、 老梅関から石垣に沿って西へ回り、庭に入るのだ。

植木職人さんが、枝を払っていた。一人は庭の真ん中にいて、指示を出している。そういえば前も、丈山忌(5/23)・遺宝展(5/25~27)後のこの時期に職人さんに出会ったのだった。

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写真(上・左)は、老梅関を出て西側にある、庭へ続く入り口。階段下からの眺め(写真上・右)は、ちょっとまだ物足らない。

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台風の後で、草木の状態を心配していた。座敷前にあった山茶花の古木・膏盲泉そばにあった3本のアカマツ・老梅関手前にあった樅が、平成7年の台風で倒れた、という話を以前聞いていたからだ。当時の様子を知りたいと思い、あちこちの書店で当時の写真が掲載されている本を探したが、ついに見つからず。この寺に参考図書として展示されている写真集にも、そのような写真はなく。府立図書館に行ってみようか・・・・・・。

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池の側の黄花菖蒲。今日は床の間に、黄花菖蒲と京鹿の子が生けられていた。

テッセンなど、茶花も元気に咲いている。

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藤棚の裏手(北側)には、ごく小さい池がある。この池を取り囲む木の枝先に、何やら白い袋のようなものがいくつもついていた。写真を撮っていると、通りがかった人が、モリアオガエルの卵だと教えてくれた。言われてみれば、絶え間なく蛙の鳴き声がする。

モリアオガエルは、日本の固有種で本州と佐渡島に分布し、森林で生活するらしい。繁殖期は4~7月。産卵は水面に伸びた枝先で行い、産卵・受精と同時にメスが分泌する粘液の泡で卵を守るのだそうだ。その状態が、写真(上・右)のふわふわした黄白色の塊。1~2週間で孵化したオタマジャクシは、雨で泡が溶けると同時に池に落ちるのだという。木に登る蛙がいるなんて。塊は、13個。満開のさつきを見に、来週末に再訪の予定だが、塊はもっと増えているだろうか。雨なら、溶けて崩れる様子を観察するチャンスがあるかもしれない。

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大田の小径(1)

2011-05-31 00:48:41 | まち歩き

先週大田神社に行ったとき、拝殿の向かって左側(西)に真新しい木製の札を見つけた。

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「大田の小径」と書かれた矢印に沿って西側の道へ出る。

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そこは幅3mほどの道で、少し上って本殿の辺りまで行くと、先ほどと同じ筆跡の看板。「賀茂別雷神社 宮司」とあって、お名前が記されていた。この看板の先は、30度はありそうな急勾配。その日は革靴を履いていたので、進むのを断念した。

ネットで調べると、この小径は東側にも入口があるらしい。日を改めて、行ってみた。

大田神社前を通る府道103号沿い、南側に岡本口町公園がある。道路を挟んで北側が、岡本町集会所。集会所東側の急坂を上がりきったところに、立て札があった。明らかに違う筆跡。「北区長」のお名前だった。

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大田神社側と同じく、勾配が30度ほどあろうかというこの山道をほんの数メートル進んでみて、あまりの静けさ、ひとけのなさに恐れをなして、引き返した。動物に出くわしたらどうしよう、蛇でも出たら嫌だな、と。そのうちまた、誰かと来よう、いつかまた(2)を書こう。戻ろうと振り返ると、先ほどの急坂の向こうに、町並みが見えた。1102

写真ではわかりにくいが、ずいぶん高い。小径からの見晴らしは期待できそうだ。急坂を下りるのが嫌で、山に沿った東西の平坦な道を歩いた。

1105 竹林と見えるのは、愛染倉の敷地なのだろう。こちらも静かでいい感じの散策路。ただ、この先には邸宅が立ち並び、通ってはいけない私道に迷い込んだような気になった。そうして大田神社の本殿裏に到着。

散策路東側入口にある「散策路ご利用のみなさまへ」の看板は、「上賀茂自治連合会・上賀茂神社・京都市北区役所」の連名での注意書きだ。それが気になって、調べてみた。

大田の小径(全長750m)は、北区役所が区民対象に募集したまちづくり活動助成事業の一つで、平成17年に完成したものだ。北区役所は、平成13年1月策定の北区基本計画(H.13~22)に基づいて区民参加で計画を実現する取り組みをいくつか行い、その中の一つが「地域でのまちづくり活動」だった。平成16年5月に初めて「フォローアップ助成対象事業」を募集している。これは、区民によるまちづくり活動という点から応募事業を審査し、毎年およそ5件を選んで経費の1/2以内(限度額10万円)を助成する、というものだ。大田の小径は第1回の助成対象として選ばれ、第2回も継続して助成を受けたようだ。実際のところ、山道の整備に20万円は少なかっただろうと想像する。大田の小径以外では、地域医療推進(小野郷)・地蔵マップづくり(紫野)・森の文化祭(雲ケ畑)・歴史を語る会(鷹峯)など、さまざまな活動が行われたらしい。平成23~32年の基本計画でも「取り組み」に大きな違いはなく、区民参加は一層進むのだろう。

市民新聞北区版は、平成14年11月号からネットでの閲覧が可能。

北区役所HP:大田の小径(http://www.city.kyoto.lg.jp/kita/page/0000056124.html

京都市HP:北区基本計画(H.13-22)(http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000035778.html

京都市HP:北区基本計画(H.23-32)(http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000096/96978/gaiyou-tokutyou.pdf

市民新聞北区版:助成事業募集(http://www.city.kyoto.jp/kita/newspaper/040515/5JA2.pdf

市民新聞北区版:助成事業決定(http://www.city.kyoto.jp/kita/newspaper/040815/8JA1.pdf

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大田神社

2011-05-26 00:26:31 | まち歩き

久しぶりに京都観光NaviHPを見て、19日現在カキツバタ満開と記載されていた大田神社へ。大田ノ沢の杜若は、例年、葵祭(15日)以前に満開となる。開花のタイミングが合えば、上賀茂神社へ向かう祭の行列を見てから、大田神社へ立ち寄ることもできる。今年はずいぶん遅かったのだ。

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大田神社は、上賀茂神社の境外摂社。摂社とは、本社に付属し、祭神と縁のある神(①后・子など②荒魂③地主神 )を祀ったものだ。上賀茂神社の祭神は賀茂別雷大神、大田神社のそれは天鈿女命なので、ここでの関係は③だろう。

天鈿女命(この表記は『日本書紀』による。『古事記』では天宇受売命)は、神話で男勝りの女神として描かれる。天石屋戸から天照大御神を引き出すために滑稽でエロティックな踊りを踊ったアメノウズメノミコト。彼女が次に活躍するのは、天孫降臨の場面だ。高天原から葦原の中つ国へニニギノミコトが降臨する際、出迎えた国つ神にその名を問う。国つ神は、ニニギノミコトの道案内をするために待っていた猿田毘古神(「毘」は偏が「田」旁が「比」の別字)であった。大田神社本殿南・東側にある白鬚社は、このサルタヒコを祀っている。また百大夫社は船玉神(船や飛行機の安全を守る神)を祀る。神々の解釈については、新潮日本古典集成『古事記』の巻末付録に詳しい。

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由緒書(写真上・左)に依れば、「大田神」はこれら三柱の神に加え、神社の道路を挟んで南にある福徳社(写真上・右:三叉路の南西角)の福徳神を合わせたものらしい。白鬚社、百大夫社、福徳社は全て、上賀茂神社の末社である。

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大田ノ沢への入り口には「志納金300円」と書かれた看板。杜若は、ちらほら。残念なことに既に遅かった。

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1132 沢のほとりにはライオンズクラブによる由緒書がある。「池に手を入れると手が腐る」という言い伝え。花を守るため。それにしても。

藤原俊成の古歌を例に平安時代以来の杜若の名勝と書かれているのだが、江戸時代の「都名所図会」や「花洛名勝」「都林泉名勝」などに記載は見当たらない。

1140 入り口にある京都市の駒札は、文字が消えかかっており、侘しい印象だった。こういうものは一体、どのように補修・改修・取替が行われているのだろう。メンテナンスの楽なものだとなおいいが、全てはお金の問題か。いやしかし、観光都市なのだから。

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koto+駐輪場

2011-05-01 00:21:02 | まち歩き

先日場所を確認したkoto+駐輪場に、実際に行ってみた。

河原町通沿い、建物北西角から薄暗い路地を通って、裏口から入る。裏口は自動ドアではないので、自転車を支えながらドアを開閉しなければならない。建物に入ると、すぐ左手にエレベーター。2基のエレベーターのうち、手前2号機が、屋上駐車場へとつながっている。但し、そのエレベーターはsweets paradise など店舗の入った6階・7階・8階にも停まるので、自転車と乗っていると、少々肩身が狭い。その上15~17時は各階停止。自転車で行くなら早い時間にすべし。

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屋上駐輪場に屋根は全くない。とても狭いが、20~30台は停められそう。

11photo15 停止階はわかっていたのに、本屋さんからの帰り、4階のエレベーターの前で、待っていた。通り過ぎるのを見て、「満員なのかな」などとぼんやり思う。5分ほど経って、時間を無駄に費やしたことにようやく気づいたのだった。

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