京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

岡崎公園アートフェスティバル

2010-10-31 00:06:29 | アート・文化

台風の雨は昼前に止み、以前、市文化博物館で入手したチラシの岡崎公園アートフェスティバルに出かけた。

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場所は、みやこめっせ(京都市勧業館)1階展示室。初日の今日(10/30)は12時からの開催で、最終日の明日(10/31)は9:30~16:30。版画・写真・イラスト・陶磁器・染料・せっけん、ろうけつ染め作品、ガラス・毛糸・フェルト・木工などの工芸作品やアクセサリーなどが販売されていた。とんぼ玉も、注染の手拭いも、動物のイラストカードも、石を使ったアクセサリーも良かったが、結局買ったのは型ろうけつ染めの手拭いのみ。この店では大工道具や金魚など面白い柄で、色のきれいなハンカチ・手拭いが並んでいた。

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ベンガラ体験工房の染料も欲しかったが、こういうものは、まず習いに行きたい。でも、体験できる店は、大阪・羽曳野。いつか、暇になったら・・・・・・。それにしても、いい色だった。

動物イラストの作家・Toshiko Matsumoto*さんは、1月に徳島で個展を開くとのこと。近畿なら見に行くのに・・・・・。 絵葉書を広げて一枚一枚見たかったし、額装して飾る大きめの作品を見ることができれば良かった。「台風だから持ってこなかった」と。

一番気に入ったのは、外国のきれいな色の石をあしらったマクラメ編みのペンダント。抑えた色合いの編み地も美しく、ちょっと高めだったけど、やっぱり買えば良かった。

会場の半分は「画材まつり」と銘打ち、Holbeinなどのメーカーや、画箋堂など画材店が、商品を陳列・販売していた。その一画には子どもが色を塗ったり絵を描いたりできる広い場所があり、小学校低学年ぐらいまで楽しめそうだ。アートの秋。

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寺町美術まつり

2010-10-30 00:21:57 | まち歩き

秀吉が、京の寺をこの通りの東に移転させて名づけられた「寺町通」。かつては都の東端で、御所や都の防護の役目もあったのだ。寺町通は、今出川通北の相国寺を越え出雲路の辺りから、南へ1号線の手前で河原町通に突き当たるところまで。四条通から南へ300mほどは、こぢんまりした電気街として有名だが、丸太町通から御池通までは、美術通りとして知られている。その寺町美術通りで、10/29(金)~31(日)の10時~17時、第14回寺町美術まつりが開催されている。

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金曜昼ごろ、人出はまばら。

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どこかの店の前に『京都・歩く地図』というパンフレットがあり、店名が記載された「京てらまっぷ」が挟まれていた。古美術店・骨董品店・伝統工芸品店など敷居の高そうな店も、こういう催しがあると、入りやすい。ぶらぶら歩いて見て周ると、困ったことに、いいものが欲しくなる。

10_003 洋家具製造販売の二葉工業の店先にあるワゴンに、西陣のハギレが積まれていた。引き寄せられるように家具を見、ハギレを購入。これは面白い。ときどき見に来よう。

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第13回西陣鉾参通工芸展

2010-10-17 23:46:51 | アート・文化

『京ごよみ』10月号に載っていた。16日(土)17日(日)、「工房が公開され、匠の技を体験・体感できる工芸展」。市バス「堀川寺ノ内」とあったのに、堀川通にはそれらしい看板もポスターも何もない。人に聞いて、やっと大宮通まで行くのだとわかった。私が持っている『京都府道路地図(昭文社)』には、「鉾参通」の名前がなかったのだ。

10_006_2 堀川寺ノ内交差点を西へ、大宮通を北へ一本目に、ごくひっそりとした看板と、地味めの幟が。突き当たりの称念寺までが、鉾参通だ。店の間には駐車場もあり、車は数台、自転車も停めることができる。

入口近くの店前に、マップがあった。ほんの100mほどの道の両脇にわずか14店の出展で、マップは要らないかもと思ったが、来年のためにも、もらってきて良かった。

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裂地や帯の織見本、絹刺繍糸、刺繍ハギレ、和小物の販売が主で、商品の展示はごく少なかった。見て周って買い物するのは楽しかったのだが、屏風祭のようにもっと展示してほしいものだ。見応えのある展示があったのは、紫紘。

10_001_3  源氏物語千年紀で話題になった、源氏絵巻全巻を織物で復元した、故・山口伊太郎氏の店だ。その一場面の設計図を屏風に仕立て、玄関口に飾ってあった。コンピューターで設計できなかった頃の、方眼に書き込まれた色。細かい、気の遠くなるような作業。

10_003 河辺工芸で帯見本を、ふしはらで帯地を、有織で絹の刺繍糸を購入。何か作るあてもないのに、きれいなものを見ると、欲しくなる・・・・・・。来年も楽しみ。

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城南祭

2010-10-17 23:06:55 | まち歩き

伏見に所用があり、城南宮に行ってみた。1号線に面した西側第一駐車場に入ろうと地図を見ながら行ったのに、東の第三駐車場に入ってしまった。駐車場の北、「城南離宮」と扁額のかかった石の鳥居から入る。10_001

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参道は石畳で、すっきりと明るい。ここはよさそうなところだと期待が高まる。庭園入口、直幡津神社などを過ぎると、すぐに丹塗りの鳥居が。神幸祭神事は始まったばかりで、三基の神輿の前に神職さんがお神酒・りんご・柿・鯛など、次々とお供え物を運び、祝詞が奏上され、玉串奉納と続く。

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神事を拝見する人は少なかった。お供え物を撤去して神職さんが下がって行かれ、あとは12時からの神輿のお練りを待つばかりとなる。写真下・左は、神輿前に供えられた様子。お供え物と神輿の間に見える紅白は、餅。江戸時代は、貴重な餅を来場者に配ったとことから、「餅祭り」とも言われたらしい。

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三基の神輿前の札にはそれぞれ氏子区域の名前が書かれている。左から、松神輿(下鳥羽・塔ノ森)、竹神輿(武田)、梅神輿(上鳥羽)。

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舞殿には獅子舞の獅子、拝殿前には鉾と吹流しを飾っている。これらは祭りのときだけ出されるものらしい。

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鉾の金具にも、それぞれ松竹梅の模様が入っていた。写真は裏から見たところ。昔は、鉾も神輿と一緒に巡っていたのではないかという気がする。悪霊を退散させるために、鈴を鳴らし、天を突いて。

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本殿の左右に小さなお社が鎮座していた。向かって左手に三社、右手に四社。右には住吉大神とか、大国主命とか・・・・・・。さすがにお社は撮影できなかったし、書き留めもしなかったため、詳細は忘れてしまった。

さて、この神社のご祭神は、国常立尊、八千矛神(大国主命)、息長帯日売神(神功皇后)の三神である。神社HPによると、ご神体は、神功皇后が 船で出陣の際、戦勝を祈願して八千矛神を招き寄せた御旗なのだという。平安京が作られたとき、宮中で保管されていたその旗をご神体として、三神を祀って都の守護神としたのが神社の起こりなのだそうだ。

城南宮HP:(http://www.jonangu.com/history.htm

しかし、『古事記(新潮日本古典集成)』に依れば、神功皇后への新羅親征の神託は、大国主命を招きよせよというものではない。

「こは、天照大神の御心ぞ。また、底箇の男・中箇の男・上箇の男の三柱の大神ぞ。今まことにその国を求めむと思ほさば、天つ神地つ祇、また山の神また河海のもろもろの神に、ことごと御てぐらを奉り、わが御魂を、船の上に坐せて、真木の灰を瓢に納れ、また、箸またひらでを多に作りて、みなみな大き海に散らし浮けて度りますべし(同書p.176~177)」

大国主命は、「地つ祇」であり、ここでは並列して挙げられる多くの神の中の一である。「わが御魂」は航海の守護神たる住吉三神を指し、この神が自身を「船の上に坐」すよう促している。この神社のHPの由緒で、なぜ大国主命だけをピックアップしたのかわからないが、本殿の周りに、小さなお社が7つもあるのは、こういった意味からなのだろう。

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鳥居、鉾飾り、提灯、軒丸瓦などに見られた神紋は、日月星。鳥居と、前述した七社のうち一つの飾り瓦には菊紋も、神輿の提灯には三つ葉葵も見られた。神功皇后だから、菊紋。徳川葵の由緒はわからないそうだが(巫女さんに聞いてみた)、境内にある直幡津神社の紋が、三つ葉葵(写真下・右)だからかも、とのこと。

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1号線に面した鳥居から入る第一駐車場は、今日は半分に区切られ、出店が並んでいた。昼から賑わうのだろう。

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曲水の宴が行われるお庭も、神輿巡行も時間切れとなり、渋々車に乗り込んだ。

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琳派百図展

2010-10-02 21:49:45 | アート・文化

たまたまチケットが手に入ったので、京都文化博物館5階で開催された『琳派百図展』に行った。10_003 昨日は招待客のみ、今日は一般公開。主催は日本伝統染織工芸保存協会だが、チケットには「酒井抱一・生誕250周年記念」とあるだけで、どういう内容なのかよくわからなかった。会場に着いたら、抱一の絵を写した呉服の展示会。元になった屏風や掛け軸も数点あり、模写まであるが、絵を観たかった私には、満足の行くものではなかった。

そもそも「琳派百図」というのは、『光琳百図』をもじったものなのだろう。『光琳百図』とは、抱一が、光琳画の縮図を収録して刊行したものだ。これがヨーロッパに渡って、浮世絵ブームを起こしたのだとか。確かに抱一は江戸琳派の創始者ではあるが、「琳派百図」と言うのなら、鈴木其一も入れてほしいところ。

着もの・帯は、細かい絞りや、多色で染められた柄、柄に合わせた刺繍など見事な手仕事で、ひと目で高価と分かる品々。こういう反物のデザインをするのは、当然日本画の心得もある人たちなのだろう。が、無理矢理「抱一うつし」にしていなかったか。

日本画の素人の私が言うのも何だが、絵には間というものがある。ただデザインだけ借りてきても、縮尺が変わったり、植物の茎の長さや向きが変わったりしたら、それはもう違うものになってしまう。

そんな中でもいくつか気に入ったものがあった。「夕顔」。暗い地色に白い夕顔がぽっと咲いて、山吹色の蕊が明るく照らしていた。夕闇に、そこだけ華やいでいるような。それと、タイトルは忘れたが、抱一の描く幹や葉を再現したものもあった。灰色に焦茶色が混ざった葉に緑青を乗せ、にじませる。琳派を離れるなら、他にもあったのだが。

10_001 今日の一番の収穫は、京都文化博物館に自転車置き場があると知ったこと。30台ぐらい停められそうだった。

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