北山通り北側の旧道を通る度、気になっていた、松ヶ崎大黒天。山号・松崎山(しょうさきざん)、正式名・妙円寺。開山は日英上人、日蓮宗の寺である。1616年の創建。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏と、「都七福神」の一つである大黒天。京の表鬼門にあたるここで、都を守護しているのだ。松ヶ崎東山の麓に位置するこの寺は、同山で行なわれる五山送り火「法」の文字に使用する護摩木を祈祷する寺でもある。
写真上・左は、旧道に面した鳥居、写真上・右は、鳥居をくぐった先にある燈籠。この燈籠の正面にある鳥居は、白雲稲荷神社のもので、大黒天の参道(写真下・左)は、左側に延びている。
この参道を左に折れると、鳥居から続く急階段の先に、山門が見える(写真下・右)。
神社で見かけるような丹塗りの燈籠、鳥居、注連縄、紙垂、山門の柱につけられた松の幼木。その上、山門の前には狛犬(写真下・右)がいた。そうして、「都七福神めぐり」の看板。ここの大黒様は、密教の大黒天でも、仏教の大黒天でもなく、神道の大黒天なのだろう。それでも、この寺が発行しているリーフレット「松ヶ崎No.224」によると、「松ヶ崎大黒さんの御幣」は「寿福円満・開運招福・身体健全をご守護下さる大黒様のご神体」で「ご自宅のご神棚か、又はお仏壇に六十日間お祭りし」とある。神道、仏教に関わらず、大黒さんは大黒さん、ということか。
なるほど、神社に祀られている都七福神は、日本古来のえびす様だけなのだ。道教起源の福禄寿・寿老人、中国仏教起源の布袋。大黒天は、毘沙門天・弁財天と同様、ヒンドゥー教起源の神であり、仏教の守護神として取り入れられたものだ。
山門をくぐると、左手前方に、大黒堂(写真下・左)がある。お堂の前には、黒光りする撫大黒がおられた。お堂の中にも撫牛が。お堂では、雅楽が流れている。このお堂のご本尊は、松の内と甲子祭(今年は1/14・3/15・5/14・7/13・9/11・11/10)に、ご開帳されるらしい。今日は暗くてよく見えなかったが。大黒堂の向かいには、絵馬堂(写真下・右)。「大黒天そば二百円」と張り紙があった。出汁のいい匂い。松の内は、お堂で「松ヶ崎大黒さんのカレンダー」を配付している。
写真上・左の撫大黒は、写真の通り、黒い石の彫刻である。元々、日本で受容された大黒天は、青黒あるいは黒で、憤怒の形相だったらしい。それが、同音ということから、日本神話の大国主命と習合し、福々しい笑顔の姿に変容する。後には、秀吉が崇敬したという三面大黒天(毘沙門天・弁財天の頭が大黒についたもの)なども見られるようになった。
さて、シヴァ神の別名であるマハーカーラ(マハー=偉大な,カーラ=黒、時間)の直訳が「大黒天」だということは、『ヒンドゥー教(中公新書)』に教えられた。シヴァ神は、ヒンドゥー教三大主神(ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)の一つであり、それら三神一体説というものもあった。 三面大黒天とつながりがあるのか?
ブラフマーは創造、ヴィシュヌは維持、シヴァは全知全能(吉祥と不祥、破壊と恩恵)の神である。ヒンドゥーの三神一体説は、宇宙の生成と繁栄と消滅、といったスケールの大きさを感じる。一方、三面大黒天は、福をもたらす神々(三神ともなぜかヒンドゥー起源)を一緒にして、さらなる現世利益を願うものだ。「一緒にする」「まとめる」という方法こそ同じだが、その意味がまるで違う。
大黒堂の隣には、もう一つのご本尊が祀られているであろう本堂(写真下)がある。
この本堂の前を通り過ぎると、北西に向いた山門が。その先は、さきほどの南西に向いた山門と同様、急な石段になっている。この山門の軒丸瓦は、妙円寺の「妙」の文字(写真下・右)。幕には井桁に橘の紋(写真下・左)。
南向きの山門の幕(写真下・左)は、一つ槌紋のようだったし、軒丸瓦(写真下・右)も同様だった。打出の小槌は、福袋・米俵と共に、大黒天のシンボルである。同じ境内でも、軒丸瓦がそこここで違っていることはよくあるが、山門の幕の紋が違っているのは初めて見たように思う。
手水舎の軒丸瓦(写真下・左)には「甲子下組」の文字に木槌紋。さきの燈籠の火袋に描かれていたのも木槌だった。
写真上・右は、南門から見た景色。なだらかな坂を少し登った後、数十段の急階段を登っただけなのに、この見晴らし。正面に見える山は、大文字山だろうか。
「都七福神めぐり」は、1/1~31。市バスに、京都定期観光バスのポスターが掲げられていた。期間中毎日1便運行している。萬福寺と赤山禅院は少し離れているから、電車とバスを乗り継いで一日で回るのは難しそうだし、自家用車で駐車場を探すのも難しそうだし、もし巡拝するなら、バスに限ると納得。
14日は、初甲子祭。このポスターは、境内にあったもの。
そういえば、叡電修学院駅に、松ヶ崎大黒天の案内板か何かがあった。修学院駅からは徒歩10分程度、地下鉄烏丸線松ヶ崎駅からもほぼ同じ距離。京都の町の北の果てに近いが、行きやすく、静かで、ほどほどに参拝者もいて、開運招福のご利益があるとなれば、言うことなし。