新年早々、暗い記事ばかりですみませんm(_ _)m
去年の12月24日(日曜日)の午前3時に姉から電話。
「入院している病院から電話があって、いよいよダメかもしれないから今から大阪に帰れるか?」と。
月曜日は仕事の段取りもあるし、直ぐには帰れんわと言って電話を切りました。
朝に妹からLINEがきてて、人工呼吸をしている父の動画を送ってくれてました。
その動画をカミさんに見せると、「この呼吸の仕方はもうダメやで」と言われて、どうなるかわからないけど、家族で大阪に行くことにしました。
娘は学校が休みに入っていたのでよかったけど、自分は朝イチで会社に報告して、年末の忙しい時だが承諾してもらいました。
しかし、昼過ぎに姉から電話があり、やっぱり亡くなったと報告がありました。
最後の死に目に会えなかったのは、親孝行もろくにしてこなかったので、自業自得なのかな。
火葬場の順番もあって、28日通夜、29日葬儀となりましたが、予定通り26日に帰阪しました。
実家に帰ってきた父は、痩せて別人のよう。
それでも安らかな顔をしていました。
父は生前、大のタイガースファン。
夏頃にいつ死んでもおかしくない状況から復活したのは、タイガースの38年ぶりの優勝を見届けたかったんだろう。
そして29日は83歳の誕生日。
皆んなを呼んでお祝いして欲しかったのでしょうか?
年末の忙しい時に、なんとも間の悪いのは父らしい。
仕事をリタイアして長いし、親族も多くないので通夜、葬儀はお坊さんを呼ばない「自由葬」にしました。
死装束には、生前やってたソフトボールのユニホームを着せてあげて、タイガースが優勝した時のグッズや新聞も一緒に。
3人の子供と、3人の孫たちに見送られ、「六甲おろし」で始まって、誕生日ケーキを一緒に入れたセレモニー的な葬式は、なんとも父らしい葬儀になったと思っています。
父の育った三重県の田舎のお墓に入れてあげたいけど、戒名を貰えなかったり、お墓のお守りをどうするかとか、これからが大変になりそうです。
生前いつも居間の定位置でテレビの番をしていた父は、まるで地蔵のようでした。
最後は入院生活が長かったので、あっちでゆっくりしてくださいね。
お父さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。