『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

29 黒石寺

2023-09-03 | 岩手県

第64番 黒石寺

薬師如来像に浮かぶ苦渋の色

 

 

中尊寺の参拝を終え、車で30分から40分くらいだろうか田た畑の道を通り、かなり山間部に入ったところにある黒石寺の参拝である。

黒石寺 天平元年(729)東北初の寺院として行基が開いたとされる。東光山薬師寺と称していたが、延暦年間(782~806)に、蝦夷征伐による兵火により焼失。その後大同2年(807)に坂上田村麻呂により再興され、嘉承2年(849)円仁(慈覚太師)が中興して現在の寺号となったとされる。もとは修験(山伏)の寺であり、最盛時には48の伽藍があったと伝えられ、一帯には多くの寺跡がある。現在の本堂と庫裏は明治17年(1884)に再建された。

 

参拝日    平成30年(2018)6月21日(木) 天候曇り

 

所在地    岩手県奥州市水沢黒石町字山内17                                                                                山 号    妙見山                                    宗 旨    天台宗                                    本 尊    薬師如来                                   創建年    天平1年(729)                                開 山    行基                                     正式名    妙見山黒石寺                                 札所等    奥州三十三観音霊場第25番                           文化財    木造薬師如来坐像、木造僧形坐像、木造四天王立像(いずれも国重要文化財)

 

 

黒石寺の参拝口。

 

 

 

 

 

 

 

参道の石段を上れば本堂。

 

 

階段を上り切って平たんな境内。

 

 

本堂(薬師堂)を脇から見る。

 

 

現在の本堂(薬師堂)と庫裏は、明治17年(1884)に再建された。

 

 

木造平屋建て、寄棟、銅板葺き、平入、桁行8間、張間5間、正面1間向拝付き、内部には本尊である薬師如来像が安置されている。

 

 

向拝の屋根庇の飾りを見る。斗供は質素であるが、向拝紅梁には龍の彫刻が施されている。

 

 

扁額は「薬師如来」と書かれている。

 

向拝を横から。かなり点込んだ彫刻を施した手狭。海老紅梁にも彫刻が施されている。

 

 

向拝を内側から。紅梁の上に龍がいるように見える。

 

 

これが内側からの龍の彫刻。かなりリアル。

 

 

広縁を見る。

 

 

木造僧形坐像【国重要文化財】   カツラ(あるいはシウリザクラ)材の一木造り、膝裏の部分に永承二年(1047)の墨書銘がある。古くは、寺域の大師山のお堂に安置してあったものである。像高67cm。

 

 

薬師如来坐像【国重要文化財】  カツラ材の一木造り、内刳りを施した像内には、貞観四年(862)の墨書銘が記されている。男性的で厳しい顔立ち、いかつく張った両肩、厚く幅の広い両膝、無造作に刻む衣文など、いかにも北方の奥地の作らしい雄大な像である。  像高126cm。

 

 

本堂の裏側。

 

 

釈迦観音堂。建物が新しく感じられ近年になって建立されたもののようだ。

 

 

妙見堂  本堂の脇から石段を上る。入り口に奉納された鋳鉄製の剣。

 

 

 

 

御供所兼鐘楼
明治16年(1883)に建てられた。1階が本尊に供える供物を準備する御供所、2階には200文字の漢文で黒石寺の由緒が刻まれている梵鐘が納められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

土塀の中は庫裡。

 

 

庫裡・寺務所への入り口門。お寺というより武家屋敷の門を思わせる。

 

 

庫裡の中庭。

 

 

住職の居住スペースでいわゆる一民家。

 

 

庫裡であり寺務所でもある建物。

 

 

庫裡の入り口の軒下。

 

 

住職の居住屋と思う。

 

 

雰囲気のある石垣と土塀。

 

 

境内の庭。

 

 

石段を下り帰路となる。

 

 

付近の様子で、この道路の奥3キロ先に正法寺がある。

 

 

黒石寺で、毎年旧暦正月の7日に行われる蘇民祭は、裸の男と炎の祭とし、災厄を払い、五穀豊穣を願う裸参りに始まり、柴燈木登、別当登、鬼子登と夜を徹して行われる。翌早暁にかけて繰り広げられる蘇民袋の争奪戦は、この祭のクライマックス。厳寒をものともせず裸の男達のエネルギーが激しくぶつかり合う祭りである。(写真はネットから借用)

 

 

 

案内図  東北本線陸中折居駅から約6.5km  東北新幹線水沢江刺駅から約8.2km

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」からーーー黒石寺の仏像を拝して感じたのは、同じ岩手の寺でも、中尊寺の仏像とはまったくちがう系統だということだった。中尊寺の金色堂に安置されている阿弥陀如来像は、藤原氏が京都の一流の仏師につくらせて、みちのくに運んだものだ。そのため、中尊寺の仏像は、京風文化の特徴を忠実に伝えているといわれる。その表情は慈悲にみちていて、いかにも優美なものだった。だが中尊寺より時代をさかのぼる黒石寺の仏像は、ひょっとすると、地元の人びとの手でつくられたのではないか、とさえ感じさせる。先住民である蝦夷と接しながら、みちのくのきびしい風土の中で生きる人びとの意識が、この特異な作風のなかに表れている。そんな気がしないでもない。京都や奈良の大寺に比べると、いまの黒石寺は非常に慎ましく小さな寺だ。だが、この寺がここに存在する背景には、西と東の大きな歴史のドラマが横たわっているのではないか。黒石寺の仏像は、無言のうちにそれを物語っているような気がしてならなかった。

 

 

御朱印

 

 

黒石寺 終了

 


コメントを投稿