『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

10 柴又帝釈天

2023-05-19 | 東京都

第44番 柴又帝釈天

 

寅さんのまちに佇む古都

京成線柴又駅は東京のローカル線にある小さな駅である。改札を出て広いとはいえない駅前広場に、映画「フーテンの寅」の主人公の寅を演じた渥美清の銅像がある。駅の周辺は下町の風情が漂い帝釈天の参道があり、帝釈天の方角がすぐわかる。帝釈天までの約200mの参道の両側には、おみやげ屋や団子やうなぎ屋などの喰いもの屋が30店ほど並ぶ。映画のモデルにもなった団子屋が途中にあるが、どうやらこの店で撮影を行ったことは無いようだ。ただ、この「フーテンの寅」の数多くのシリーズの映画で、柴又帝釈天が全国的に有名になったようだ。

 

参拝日     平成29年(2017)1月26日(木) 天候晴れ

 

所在地     東京都葛飾区柴又7-10-3

山 号     経栄山                                                             宗 派     日蓮宗                                                             本 尊     大曼荼羅                                                            宗 派     日蓮宗                                                             創 建     寛永6年(1629)                                                         開 基     禅那院日                                                            中興年     延宝年間                                                            中 興     日遼                                                              正式名     経栄山題経寺                                                                            

 

 

 

 

京成電鉄金町線柴又駅で降り寅さんの銅像を過ぎ、まずは帝釈天の参道から。

 

 

 

 

帝釈天の参道は柴又駅から帝釈天の山門まで続く商店街。この商店街は、国の重要文化的景観に選定されている。

 

 

 

 

 

 

 

参道の商店街の先に山門。

 

 

 

境内図

 

 

 

山門

 

 

 

「二天門」と呼ばれる山門は、明治29年(1896)の建立。真正面の屋根には唐破風と千鳥破風。門の左右に増長天と広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来する。

 

 

 

山門から境内を見る。真正面に帝釈堂。

 

 

 

境内を見る

 

 

 

境内の左側の御神水   寅さんが使ったというあの産湯は子の御神水のこと。

 

 

 

境内の正面に位置し、手前の拝殿と奥の内殿からなる。拝殿は昭和4年(1929)の完成。内殿は大正4年(1915)の完成。内殿には帝釈天の板本尊を安置し、両側に四天王の持国天と多聞天を配置した。四天王の二体は二天門に安置。・内殿の外壁前面に浮彫の装飾彫刻が施されている。

 

 

 

ともに入母屋造瓦葺で正面に大ぶりの千鳥破風と唐破風を付けた。

 

 

 

帝釈堂の扁額は「喜見城」と書かれている。 喜見城とは、須弥山の頂上にある帝釈天の居城。

 

 

 

帝釈堂の拝殿の造りの一部

 

 

 

大鐘楼

 

 

 

内殿の外側から見た境内

 

 

 

帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922)から昭和9年(1934)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般公開している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内殿から向かう本堂の廊下。帝釈堂の向かって右に建つ。帝釈堂と同様、入母屋造の拝殿と内殿が前後に並んで建つ。こちらが日蓮宗寺院としての本来の本堂であり、本尊は大曼荼羅である。正式な名は祖師堂。

 

 

本堂の長い廊下から渡り廊下に向かう。右手に大客殿が建っている。昭和4年(1929年)の完成で、入母屋造瓦葺、平屋建の左右に細長い建築である。東京都の選定歴史的建造物になっている。座敷4室を左右1列に配し、これらの手前には庭に面し、ガラス障子を立て込んだ廊下がある。座敷のうちもっとも奥に位置する「頂経の間」の「南天の床柱」は、日本一のものといわれ、直径30センチ、滋賀県の伊吹山にあった樹齢約1,500年の南天の自然木を使用したものである。

 

 

 

 

 

 

 

大客殿前に広がる池泉式庭園の「邃渓園」。昭和40年(1965)、向島の庭師永井楽山の設計による。庭園への立ち入りは禁止されているが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内図

 

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」よりーー『二天門は量感があって堂々としている。庶民的な参道を抜けたところに、このような厳かな佇まいの寺が待ち受けているのは、新鮮な驚きだ。左手に見える大鐘楼も、組型が美しく風情がある。そして門をくぐると懐かしさもこみあげてくる。やはり、映画で親しんだ光景だからだろう。鐘楼の下から、箒をもった我次郎が現れそうだ。あるいは、笠智衆ふんする住職の肥後弁が聞こえそうな気がしてしまう。境内は砂利が敷き詰められ、二天門から帝釈堂まで真っすぐに石畳が走る。帝釈堂には、独特な風格が漂う。その堂宇の正面脇には、枝を青々と豊かに広げった松が、参拝者を迎え入れていた。人々との日々の暮らしが営れ、隣にビルが望める場所に寺がある。ビルや民家が密集した地域に、そこだけぽっかり広い空間ができている。

 

 

 

 

御朱印

 

 

                             柴又帝釈天 終了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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