詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

ノッティングヒルの恋人

2019年04月13日 | 雑記
先日、なんとなくテレビをつけていたら、映画『ノッティングヒルの恋人』の主題歌「She」の創作秘話的な番組を放送していた。

久しぶりに聴いた。
なんて。ロマンチックな曲だろうか。

自分が経験しなかったような感覚さえ、思い出させるような甘い切なさが溢れていて、まるで自分も映画の中の主人公のように素敵な人になったような気持ちを抱かせる。
そして、昔の、とは言いたくないが、私が若い頃に観た映画はすでに、「昔の」という形容がふさわしくなるほどに公開から時が経っているのだった。歳の離れたお兄さんくらいの素敵な男性だったヒュー・グラントも、もう初老(もっと?)と言われる歳なのだ。

私が若い頃観た映画は、こんな素敵な世界があると、夢を見させてくれたけど、いまはどうだろうか。昭和の後半から平成の初め頃までは信じられたロマンチックな夢を、いまは見させてくれるような世の中なのか。

なんとなく違う気がする。20年前よりもさらに技術革新は進み、昔の映画が夢見たような生活を、現実のものにしている部分も大いにあるだろうけれど、なんだか昔のような豊かな夢ではない気がするのは気のせいか。単に私の性格とか好みの問題なのか。

実際、会社の30代半ばくらいの男性は、ハイテク社会に抵抗がないどころか、ワクワクしているようである。

あの頃は素朴な時代でよかったな。なんて。
素朴と言ったって、私が知っている生活は、ほんの100年前、それこそ、プルーストの時代と比べてもかなり違うだろうし、大きな変化の過程のほんの一瞬を知っているにすぎないのに、自分の若い頃を振り返って、その時代が正しかったみたいに思うのは、おかしな話なのだろう。

そう考えると、その頃、観ていた映画が見させてくれた夢は、当時感じていたような強さも永続性も持っていなかったのだ。
子どもが大人に対して抱く強さや安定感が、自分も大人になってみれば、幻だったとわかるのと同じように。

その番組を見てから、「She」がずっと頭の中で流れていて、以前にも一度観ていたのだけど、また『ノッティングヒルの恋人』を観たくなった。そして今日は家でのんびりしながらこの映画を観ていた、楽しい休日だった。イギリスに行きたくなった。歩きたくなった。

夕暮れの街を歩いていると、昔、映画を観ていた時のように、若い頃に漠然と抱いていたある種の夢を思い出す。私が能天気なだけだったのかもしれない、今になって振り返ってみると。













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