最近、あまり日記を書いていない。ブログを書いて満足してしまっている。これはよく考えるとかなりゆゆしき事態である!というのは大げさだけど、別にそんなに支障はないのだ。だからこそ、問題なのだ!
ブログと日記とでは違う。こんなに自分のことばかり書いているブログでも、自分だけが読むノートに書く日記とは違う。こう書いている間に、一人暮らしの頃、日記に対して抱いていた気持ちを思い出した。まるで恋人みたいだった。夫とは付き合っていたのだけれど、ずっと遠距離で。その頃の独特の気分、小さな部屋にわたしの意識と夢ばかりが充満している、というとあまり素敵に聞こえないけれど、ちょっとした自分との蜜月みたいな日々だった。日記はその対象のようなものだった。
ブログと日記では違う。しょっちゅうしょっちゅういろんなことを発見して、こんなことがわかった!こんなことに気が付いた!と研究者のように逐一報告して(日記に)。あとで思い返すと、それがどんなものだったのか雲のように漠然としているのだけれど、日記を読み返せば、さも新しいことを見つけたかのように、何度も何度も、同じようなことを書いているのだった。
話がかなりそれた。要するにここで書きたかったことはと言うと、最近あまり日記を書いていないせいで、性懲りもなくまた新しく発見したことを、はっきりと思い出せない上に、記録がないからよくわからない、ということなのだった。微生物のような小さな発見(実際の微生物の研究は偉大なものだと思います、もちろん。ここではただ単にその大きさを、いや小ささを言いたいだけなのです)を、心が動いたことを、心を動かしたのがどんなものだったかを、以前はあんなに一生懸命書き留めていたのに。それが、わたしの意味だったから。詩を書くなんてことよりもずっと前に。
またそれた。それで、あの発見の感覚はけっこう大事なものだったのではないかと、貧乏たらしく思い出せることをかき集めて、ああ日記をちゃんと書いておけばなぁ、と思ったのだった。でも日記を書いていないことによる問題(あくまでもわたしにとっての)というのは、そういう備忘録的なことではないので、いつかそれについても書きたい。
日記にもちょろっと書いてあったり、携帯のメモにも少し残してあるのに、それだけでは大事なことがよくわからない。たとえばメモには……
ねえこの話を聞きたいと思ってくれるかな
分かるが分かった
という話なのだけど
だけど分かるが分かったのは付随的なことであって
本当に大事なのはやっぱり分かった
ということそのものなんだ
なにを分かったのか
書き留めないんだね
未来を見ているとでも
こだわっていた足跡も
分かるが分かった
いま思い出せるのはそれだけ
……無理矢理、詩にしようとしていたみたいです……。でもしばらく放置したせいで、何を書きたかったのか思い出せない!本当に大事だと思ったのはどれだっけ?「分かる」の感触を書きたかったのではないかと思うのだけれど。ね、日記って大事でしょう?(そうでもないか……)どんどんおぼろおぼろ記憶がおぼろ豆腐のようにくずれていくよう。
そうしてこのように、肝心な「分かる」が分かったことにいつまでもたどり着けないのでありました。分かるの道のりは遠い。そしてさらにおぼろおぼろおぼろ……。
つづく
のかな……?
さみしいといろんなもの、ことに感情移入する。
ひとり暮らしをしていた頃は、洗濯物が風に揺れる影や部屋の中に射す光の変化などにも
自分の正しさや間違いが示されている気がして熱心に意味を読みとろうとした。
景色と心が一体化して、全身で感動してた。
もやがかかっているように見える。レースのカーテンの影?
もやつながりで。足跡のようにも見えるし。なんだかかわいい。
ブログと日記とでは違う。こんなに自分のことばかり書いているブログでも、自分だけが読むノートに書く日記とは違う。こう書いている間に、一人暮らしの頃、日記に対して抱いていた気持ちを思い出した。まるで恋人みたいだった。夫とは付き合っていたのだけれど、ずっと遠距離で。その頃の独特の気分、小さな部屋にわたしの意識と夢ばかりが充満している、というとあまり素敵に聞こえないけれど、ちょっとした自分との蜜月みたいな日々だった。日記はその対象のようなものだった。
ブログと日記では違う。しょっちゅうしょっちゅういろんなことを発見して、こんなことがわかった!こんなことに気が付いた!と研究者のように逐一報告して(日記に)。あとで思い返すと、それがどんなものだったのか雲のように漠然としているのだけれど、日記を読み返せば、さも新しいことを見つけたかのように、何度も何度も、同じようなことを書いているのだった。
話がかなりそれた。要するにここで書きたかったことはと言うと、最近あまり日記を書いていないせいで、性懲りもなくまた新しく発見したことを、はっきりと思い出せない上に、記録がないからよくわからない、ということなのだった。微生物のような小さな発見(実際の微生物の研究は偉大なものだと思います、もちろん。ここではただ単にその大きさを、いや小ささを言いたいだけなのです)を、心が動いたことを、心を動かしたのがどんなものだったかを、以前はあんなに一生懸命書き留めていたのに。それが、わたしの意味だったから。詩を書くなんてことよりもずっと前に。
またそれた。それで、あの発見の感覚はけっこう大事なものだったのではないかと、貧乏たらしく思い出せることをかき集めて、ああ日記をちゃんと書いておけばなぁ、と思ったのだった。でも日記を書いていないことによる問題(あくまでもわたしにとっての)というのは、そういう備忘録的なことではないので、いつかそれについても書きたい。
日記にもちょろっと書いてあったり、携帯のメモにも少し残してあるのに、それだけでは大事なことがよくわからない。たとえばメモには……
ねえこの話を聞きたいと思ってくれるかな
分かるが分かった
という話なのだけど
だけど分かるが分かったのは付随的なことであって
本当に大事なのはやっぱり分かった
ということそのものなんだ
なにを分かったのか
書き留めないんだね
未来を見ているとでも
こだわっていた足跡も
分かるが分かった
いま思い出せるのはそれだけ
……無理矢理、詩にしようとしていたみたいです……。でもしばらく放置したせいで、何を書きたかったのか思い出せない!本当に大事だと思ったのはどれだっけ?「分かる」の感触を書きたかったのではないかと思うのだけれど。ね、日記って大事でしょう?(そうでもないか……)どんどんおぼろおぼろ記憶がおぼろ豆腐のようにくずれていくよう。
そうしてこのように、肝心な「分かる」が分かったことにいつまでもたどり着けないのでありました。分かるの道のりは遠い。そしてさらにおぼろおぼろおぼろ……。
つづく
のかな……?
さみしいといろんなもの、ことに感情移入する。
ひとり暮らしをしていた頃は、洗濯物が風に揺れる影や部屋の中に射す光の変化などにも
自分の正しさや間違いが示されている気がして熱心に意味を読みとろうとした。
景色と心が一体化して、全身で感動してた。
もやがかかっているように見える。レースのカーテンの影?
もやつながりで。足跡のようにも見えるし。なんだかかわいい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます