詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

よみがえる

2019年05月11日 | 雑記
連休中はすごいダラダラしてたのに、忙しくなると、あれこれやりたくなるんだよねぇ。なんでだろ?

たっぷりお休みをもらったおかげで、仕事が忙しく、毎日残業して帰るのだけど(まあ、連休がなくてもいつも残業しているのだけど)、もうすぐプルーストセミナーだな、復習しなくちゃ、とか、今回のゲストの本を読んでおこう、とかして、さらに寝るのが遅くなる。連休中にやっといてよ!と我ながら思うのだけど。

昨夜(もう一昨日だ!)もそのように『失われた時を求めて』をパラパラしていて、主人公の私がスワンの死を新聞で知った箇所を読んでいて、ふいに、10年ほど前、一人暮らしをしていた頃に、日々感じたことをノートに書き留めていたときの感覚がよみがえった。

「その同じ死の特殊な奇怪さに私がハッとさせられたのは、ある夜、新聞をめくっていたときで、時宜をえず挿入された不可思議な数行に要約された訃報がふと私の目をひいたのだ。そのわずか数行によって、生きている人は、話しかけられても答えられぬ存在、つまりそこに記されているただの名前、現実の世界からいきなり沈黙の王国へ移されたただの名前と化したのである。」
『失われた時を求めて 11』岩波文庫 より

この粘着質な書き方、いや、プルーストの中では、こんな程度ではとても粘着質とは言えないかもしれない、でもなぜかここでふいに、普段の何気ない暮らしの中で、自分の内側だけで起きている、ちょっとした感覚の揺らめきを漏れなく書き留めておこうとするしつこさ、昔の欲望(というほど強くはないのが私のつまらないところ)を思い出した。

もう寝なきゃと思って布団へ向かいながらも、幼い子どもが引きずる汚れたぬいぐるみのように、日記帳とペンを携え、「久し振りにブルドーザーのように書きたくなった」と書き留めて、寝た。

夢の中で、私は探偵だった。
赤いマンションに張り込んで、相棒が、とある部屋を訪ねるのを物陰から見ている。玄関を開けたのは赤いパジャマを着た女性。私はブルドーザーのようにそれを日記帳に(手帳ではないのだ)書き留めようと思う。
「赤いマンションに赤いパジャマを着た女性がうんぬんかんぬん」
とても充実した内容(とは、とても思えないだろうが、夢の中ではそうなのだ)の書くべきことがある、ということに私はブルドーザーのように満足を覚えてほくほくする。うむうむ、玄関口から見える部屋の様子からして、なかなか裕福なお宅のようだ。これも書き留めなければ。なめなめ。

ここのところ、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を読んでいる。それで今朝も人類について考えていた。バカみたいかもしれないけど、けっこう真剣に。すると、私が信じたかったものは、なんだったんだろう。印象を書き留めることに、どんな意味が?

でも私は最初から、そこに意味など求めていなかっただろうし、だからこそ、粘着質にもなり得るのだし、何かをするということは、最終的には意味を乗り越えていく、ということなのだろう、と思った。

連休が終わる時は、もうほんとにどうしようかと思うくらい憂鬱だったけど、仕事に行ってしまうと、なんだか少し自分が役に立つ人間になったみたいな気がして元気が出るのだった。このパターン、もう何十回くらい経験していることだろう。毎回、初めてみたいに繰り返している。







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