詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

マスクまわり

2018年01月17日 | 雑記
先日の「甘いマスク」という雑記を読んで、友達がメッセージを送ってくれた。

ミオちゃんがずっとマスクに興味を持っていることに興味がある、と。ありがとう!

自分では気付かなかったけれど、確かにマスクが気になっているのかもしれない。言われてみると、なぜマスクを気にしているのか、自分でも気になってきた。

最初は上記の通り、ずっとマスクをしている人にいらいらしてしまう、という感覚があった。あなたたちとは別なの。あなたたちとは一線を画したいの。という拒否を感じてしまうからなのだろうと思った。

その後、ちょっと風邪をひいてマスクをしてみると、それがなかなか心地良いと気が付いた。小さい子どもになったみたいにかわいくなっちゃって、鼻歌を歌いたくなっちゃって。
あぶないあぶない。これはやめられなくなる。

今月、なかなか治らない咳のため、丸二週間もマスクをしていた。誠に勝手ながら、自分がずっとマスクをつけている状態だと、人のマスクもまったく気にならないのであった。

なんとなく気合も入らずコンタクトを入れる気もせず、メガネ、マスク。顔はほとんど隠れている。すごく楽。

話が変わるけれど、先日、「世界まる見え」を見ていた。イギリスのヌーディストたちが、新しい若い仲間を増やそうと奮闘するVTRを見て、滝沢カレンさんが「洋服を着ている私たちが裸みたい」と言っていて、わかるようなわからないような、でもやっぱり、ちょっと違う気もしたコメントだった。
(でもカレンさん頭の回転速い!この「はやい」は速い?早い?コメントがおもしろくて感心してしまった!思い出し笑いしちゃう)

でも昨日、ふと、マスクのことを考えていて、同じようなことを思っている自分に気が付いた。カレンさんの言っていた意味とまた違う気もするけど、なんだかピピッと同じような気がした、その感覚に従って話を進める。

メガネ、マスクをしているのが楽な自分。バッチリメイクも少々苦手な自分。寝不足、とか、疲れた、とかで、すぐメガネにしてしまう自分。そうやって隠れているつもり、奥に引っ込んでいるつもり。でも、それって逆に裸だな、と、思ったのだ。

きれいにお化粧して、きれいな格好をして、ということに、自分を晒しているような恥ずかしさを感じたりする。いまはだいぶなくなったけれど、学生の頃は本当にひどくて、化粧がずっとできなかった。「自信ないです。」「私明るくないです。」を前面に出して、隠れているつもりだった。でも、逆だよね、と思った。

隠れたい自分、気後れしている自分を晒して平気でいる、そっちこそが裸だったんだ。人は心の裸を見せたくないから、お化粧してきれいにして、強くなって、パリッとする。たぶん。

自意識過剰なんだよなぁ。40にもなって。

だけど?だから?散歩が好き。










上記を書いて一晩経過。
一晩寝て起きたら、ぜんぜん違った。私、きれいにしたいと思っているわ。素敵になりたいと思っているわ。昨日は、メガネ、マスクに自家中毒気味になって、頭の中でフィクションが暴走していたみたい。
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