詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

夕焼け

2018年10月13日 | 雑記
あれやらなきゃこれやらなきゃ、という思いにピンと引っ張られている毎日だけど、今日は、良い時を得た。

良い時は、意図してできるとは限らず、それどころか、意図しないときにふいに現れたりする。

でも、そのとき感動しているほどに、本当に「良い時」なのかは怪しい、そうあとになると思うことになる。さんざん繰り返していることなのに、その感覚の渦の中にいるときは、いつもころっとだまされてしまうのだ。

今日は、午前は会社のお客様の講演会を聴きに行き、午後は『プルーストを読破する』のセミナーに行った。

その後も知り合いの主催する会にほんの少しお邪魔する予定だったが、あらかじめ懸念していた通り、セミナーがおわってみると間に合わない時間だった。

そして、歩くのがゆっくりになる。なんだかわからないけれど、人恋しいようなみじめなような気持ちで、すぐに電車に乗りたくなくて、駅とは反対方向に歩き出した。

空が、暮れていくときの独特の光り方をして、街にできる影が、物思いに耽っているような斜めの角度になり、私はこの時間を知っている!という気持ちになる。

この「知っている」という感覚が何かよくわからないのだけれど、「知っている」という感覚だから、それは「懐かしい」につながり、その「懐かしい」は、懐かしむほどの過去もないはずの幼い頃から「知っている」感覚なのだった。

雑然としている街並みさえ、特別な魅力を振りまいている時。あらゆる形に、夢をはらんだ意味があるように思えてくる。深く美しい意味に手が届きそうな気がする。

バスに乗ってみると、これまた静かに胸踊る楽しさ。初めて訪れた家で、かすかに聞こえてきた音が何かと耳をすませ、それがオルゴールだとわかったときのように、街がいつもと違う音楽を奏でているような気がする。

建物の一角が、街の暗さに比して、不思議に明るいのに気が付き、はっとして、小さい窓からなんとかその明るさのもとを見ようと覗きこむと、バスが走る大通りに直角に交わっている小道の先に、白い雲を浮かべたビールのような金色の光が傾いている。


※「今日」は、今日じゃないです。
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