詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

温め直す

2024年07月14日 | 

パンを求めて

わたしたちは島を回転した

海からの風で息も髪も鳥も乱れて

濁点を忘れてきた

自分で乏しい点々をつけながら

島の、鳥の、輪郭をなぞっていく

 

幾億光年を湛えているような深さの

青い実が落ちていた

それはとてもそれはとても

わたしに珍しく美しく

大いなる背のような

岬に出るまでの繁みの中で

どんなに注がれても

比喩としての重さしかない光と陰が

まだらになっているあたりで

幾億光年という言葉そのものも

光と陰でできている中で

 

ちいさな洞に闇とひと続きになっている蛙がいた

その体には軽くても蛙

泥も含んだ重みがある

そのひとみ

別の次元を呑んだような静けさ

冷たくはないのか

滴る水に足を畳んで

岬を行って帰ってきてもまだ

同じ形に乏しいあかりをとらえてた

 

わたしたちはようやくパンを手に入れた

海原に雲間から夕陽が落とすカーテンのような

オーブントースターの光の中で

息を吹き返したパンは

産声をあげる

ぱり ふわっ じゅわわ

新しい光が口の中にこぼれる

 

叩くとてっぺんからぽふっとホコリを吹き出す

まん丸のきのこのように

わたしもぽふっと

ホコリのようなため息を吹き出す

太刀打ちできない

大きすぎる景色だからさ

さくっ

 

味わう

ことは難しい

うーん感動にはなにかが足りない気がする

すごいのに

この気持ちには何かが足りない気がする

いや、この気持ちにはわたしが足りてない気がする

そのときにそのときを芯から味わうこと

それはとても難しい

 

はるけさ

なぜこんなに景色がひろがるのか

なぜこんなに景色を

わたしたちのひとみはとらえられるのか

展望台からは海と瘤のような島々と港の街と船

 

でもその秘蹟

パンが与えてくれる

ありふれて見えても

温め直すと……

違う形になっているわたしたちのひとみ

 

もしかして思い出すという光のカーテンで

温め直すことが

魔法なのかもしれない

重さはないのに

風景をつくるには気の遠くなるような歳月が

折り畳まれている

それはとてもとても重い

一瞬では受け止めきれない

 

 

携帯の充電を抜いたら99%で

なぜか悔しい気持ちになった

電子の中で生きていても

思いの波に漂うかぎり

旅の間に読んでいたその土地の昔話と

海を隔てた地続きの場所にいるのだと思えてくる

 

いつもの街に戻ってきても

しばらく島の時間や光の味わいは

繰り返し何気ない景色の中に差し挟まれていて

わたしはいつのまにかそれらを温め直し

温め直されている

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