先日、長めの正月休みの間で写経をしに行ってきました。五反田にある薬師寺東京別院というところ。昨年知り合いが行ったと聞いて、私もぜひ行ってみようと思っていました。道具も全て整っているし、正座しなくていいし、いろいろ親切に教えてもらえると聞いていたので不安になることもなく気楽に行くことができました。
とは言っても、初めて。初めてのことってわくわくどきどきしますねー。前日は家でグダグダしてしまってしょうもない感じの一日だったので、まず知らないところ、知らない街へ行く、というだけで気持ちが高揚して、歩きながら昨日とは別人になった気持ち。
建物に入るときはどきどきそろそろ。
写経受付は二階との案内が出ていたので二階へ。
受付で申し込むとまずはお抹茶と落雁のお接待がありました。
これで心を落ち着けるということね。とめどなくぼーっとしていたくなりましたが、違う違う。
ごちそうさまでした、と受付へ戻り、写経の説明を受けて、輪袈裟を首にかけ、クローブ、丁子の花のつぼみを干したものを口に含むように渡されます。これは、写経がおわる頃には柔らかくなるので、そうしたら噛んで呑み下してください、と言われました。気になるようなら途中で出してかまいません、と小さな紙片も受け取りました。最後まで口に含んでいるつもりでしたが早々にギブアップしました……。
写経のお部屋に入ると何人かの方が静かに写経をされていました(みなさんどんな気持ちで写経をされているのだろう。どんな背景があって、などと考えてしまった私はまったく無になれておりません)。香象があるので、それをまたいで進み、前方には薬師如来様を中心に両側にも、えーっと、名詞を覚えるのが苦手で……、像があり、お正月には吉祥天女様をお迎えしているとのことで、その彩色画も置かれています。まずは合掌をしてから写経をお始めくださいとのこと。
この段階ですでに、とても心が落ち着きました。宗教なのか、仏教なのか、何かこのように、自分を迎えてくれる大きなものがあり、そこに気持ちを委ねることができるというのは有難いことだなぁと思いました。そして写経をする、ただひたすら無になって(なってませんが……気持ち)、有難い言葉を書き続ける作業がある、ということが何よりの救い、なんて大げさですけど思ってしまいました。どんなに自分が惨めでも、悲しいことがあっても、ただそれをしていればいい、そう思うだけでお寺の庭を風がすーっと抜けていくのを、畳に座って見ている気持ち、自分も空に溶けていくような気持ち。
墨を使って字を書くのなんていつ以来だろう。久しぶり過ぎて、つづり方、というより、すずり方から分からない……。墨と、筆と、硯と、穴の二つ開いた小さな陶器。なんだろう、これは?他の人の様子を見て、小さな陶器には水が入っているらしいとわかり(穴が二つ開いているのは空気穴ね、二つないと、水が出てこないか、ドワッと出るか、どっちだっけ?)、それを硯に出して、と、真似しましたが、水を出し過ぎたせいで、硯がプールになってしまったし、磨るのに時間はかかるし、ようやく書き始めてもにじむことにじむこと。そして色も薄い。ですが書いているうちにだんだん墨がなじんでくるのか、にじむことも少なくなり、墨の色も濃くなってきました。
こんなに久しぶりでも、そしてどんなに字の下手な私でも、こちらの写経は下の見本をなぞれるようになっているので安心。一文字一文字丁寧に。
一文字一文字丁寧に丁寧に。書いていたら。
背後の窓から入ってくる光が変化していくのがわかり、昼過ぎにそこに来ていたはずなのに、写経を終える頃にはカラスが鳴き始める時刻になってしまいました。ただ文字をなぞっているのが気持ちがよくて。何も考えなくてよくて、ただ文字を書いていればいいというのが心地よくて。般若心経が終りに近づくのが惜しいような気持ちでした。
書道を趣味(仕事でももちろん?!)に持つって、いいだろうな、と思います。そういえば知り合いに書道をしている人が多い気がする……。単に書道人口が多いということなのかもしれませんが。
これまたぜんぜん関係ないのですが、仕事が嫌なとき、「これは丁寧に字を書く、という作業なんだ」と思うとかなりテンションがあがります。怠けたがりな自分もいるけれど、何かきちんとする、みたいなことに覚える快感も不思議とあるのですよね。私ほんとは自由って苦手なんだよな……と思う。こんな歳になっても自分の中に芯がなくて、あるべき姿の理想がなくてしょっちゅうぐらぐらしているから、最近、自分の中にきちんとやりたい願望を見つけて少しほっとしています。案外、そのほうが楽だったりするのですよね。たとえば外で食べちゃうと簡単だけど、晩ごはんをちゃんと作ると、きちんとやった、という満足感があってかえって元気になったりとか。こういうのって大事なんだな、といまさらかもしれないのですけれど、思うようになりました。最近。(でもきちんと早起き、だけはムリ)
ようやく般若心経を書き終え、お願い事と自分の住所氏名を書く欄。ここが一番の緊張です。なぞれないのですから!しかもお願い事は幾つしてもいいということなので欲張ってしまい、まずはこれっ!と思っていたことを書き始めたら、こ、これは!他のお願いが書けないのでは!と思うほど場所を取ってしまって、そう思うと、欄の大きさは時間と相関関係にあるわけではないのに、やたらと焦ってしまって、慌ててしまって、ひどい字になってしまって、がっかり。でもまた来ればいいよ、そう思ってなんとか自分を慰めるのでした。
数日後、奈良の消印で葉書が届きました。写経を奈良の薬師寺に確かに納めました、ということと、薬師寺が続く限り永代にご回向させて戴きます、ということ。
ありがとうございます!!
また行かせて頂きます。
お正月休み中に撮った写真を脈絡なく
これは友達と渋谷に行ったときに入ったお店で
他のブログの真似をしてこんな写真も撮ってみた
というか載せてみた
みなさま、今年の目標は決めましたか?
最近自分のブログ名を恥じている私は「今年は少し写真の勉強をしてみる!」(詩は本を読んで学ぶ、というわけにはいかないから、詩についてはさておき)
と夫に宣言しましたが、「それ去年もおととしも、もしかしたらその前から言ってた気がする」と言われてがっくり。
今年はもう少し分別を持ちたい。
とは言っても、初めて。初めてのことってわくわくどきどきしますねー。前日は家でグダグダしてしまってしょうもない感じの一日だったので、まず知らないところ、知らない街へ行く、というだけで気持ちが高揚して、歩きながら昨日とは別人になった気持ち。
建物に入るときはどきどきそろそろ。
写経受付は二階との案内が出ていたので二階へ。
受付で申し込むとまずはお抹茶と落雁のお接待がありました。
これで心を落ち着けるということね。とめどなくぼーっとしていたくなりましたが、違う違う。
ごちそうさまでした、と受付へ戻り、写経の説明を受けて、輪袈裟を首にかけ、クローブ、丁子の花のつぼみを干したものを口に含むように渡されます。これは、写経がおわる頃には柔らかくなるので、そうしたら噛んで呑み下してください、と言われました。気になるようなら途中で出してかまいません、と小さな紙片も受け取りました。最後まで口に含んでいるつもりでしたが早々にギブアップしました……。
写経のお部屋に入ると何人かの方が静かに写経をされていました(みなさんどんな気持ちで写経をされているのだろう。どんな背景があって、などと考えてしまった私はまったく無になれておりません)。香象があるので、それをまたいで進み、前方には薬師如来様を中心に両側にも、えーっと、名詞を覚えるのが苦手で……、像があり、お正月には吉祥天女様をお迎えしているとのことで、その彩色画も置かれています。まずは合掌をしてから写経をお始めくださいとのこと。
この段階ですでに、とても心が落ち着きました。宗教なのか、仏教なのか、何かこのように、自分を迎えてくれる大きなものがあり、そこに気持ちを委ねることができるというのは有難いことだなぁと思いました。そして写経をする、ただひたすら無になって(なってませんが……気持ち)、有難い言葉を書き続ける作業がある、ということが何よりの救い、なんて大げさですけど思ってしまいました。どんなに自分が惨めでも、悲しいことがあっても、ただそれをしていればいい、そう思うだけでお寺の庭を風がすーっと抜けていくのを、畳に座って見ている気持ち、自分も空に溶けていくような気持ち。
墨を使って字を書くのなんていつ以来だろう。久しぶり過ぎて、つづり方、というより、すずり方から分からない……。墨と、筆と、硯と、穴の二つ開いた小さな陶器。なんだろう、これは?他の人の様子を見て、小さな陶器には水が入っているらしいとわかり(穴が二つ開いているのは空気穴ね、二つないと、水が出てこないか、ドワッと出るか、どっちだっけ?)、それを硯に出して、と、真似しましたが、水を出し過ぎたせいで、硯がプールになってしまったし、磨るのに時間はかかるし、ようやく書き始めてもにじむことにじむこと。そして色も薄い。ですが書いているうちにだんだん墨がなじんでくるのか、にじむことも少なくなり、墨の色も濃くなってきました。
こんなに久しぶりでも、そしてどんなに字の下手な私でも、こちらの写経は下の見本をなぞれるようになっているので安心。一文字一文字丁寧に。
一文字一文字丁寧に丁寧に。書いていたら。
背後の窓から入ってくる光が変化していくのがわかり、昼過ぎにそこに来ていたはずなのに、写経を終える頃にはカラスが鳴き始める時刻になってしまいました。ただ文字をなぞっているのが気持ちがよくて。何も考えなくてよくて、ただ文字を書いていればいいというのが心地よくて。般若心経が終りに近づくのが惜しいような気持ちでした。
書道を趣味(仕事でももちろん?!)に持つって、いいだろうな、と思います。そういえば知り合いに書道をしている人が多い気がする……。単に書道人口が多いということなのかもしれませんが。
これまたぜんぜん関係ないのですが、仕事が嫌なとき、「これは丁寧に字を書く、という作業なんだ」と思うとかなりテンションがあがります。怠けたがりな自分もいるけれど、何かきちんとする、みたいなことに覚える快感も不思議とあるのですよね。私ほんとは自由って苦手なんだよな……と思う。こんな歳になっても自分の中に芯がなくて、あるべき姿の理想がなくてしょっちゅうぐらぐらしているから、最近、自分の中にきちんとやりたい願望を見つけて少しほっとしています。案外、そのほうが楽だったりするのですよね。たとえば外で食べちゃうと簡単だけど、晩ごはんをちゃんと作ると、きちんとやった、という満足感があってかえって元気になったりとか。こういうのって大事なんだな、といまさらかもしれないのですけれど、思うようになりました。最近。(でもきちんと早起き、だけはムリ)
ようやく般若心経を書き終え、お願い事と自分の住所氏名を書く欄。ここが一番の緊張です。なぞれないのですから!しかもお願い事は幾つしてもいいということなので欲張ってしまい、まずはこれっ!と思っていたことを書き始めたら、こ、これは!他のお願いが書けないのでは!と思うほど場所を取ってしまって、そう思うと、欄の大きさは時間と相関関係にあるわけではないのに、やたらと焦ってしまって、慌ててしまって、ひどい字になってしまって、がっかり。でもまた来ればいいよ、そう思ってなんとか自分を慰めるのでした。
数日後、奈良の消印で葉書が届きました。写経を奈良の薬師寺に確かに納めました、ということと、薬師寺が続く限り永代にご回向させて戴きます、ということ。
ありがとうございます!!
また行かせて頂きます。
お正月休み中に撮った写真を脈絡なく
これは友達と渋谷に行ったときに入ったお店で
他のブログの真似をしてこんな写真も撮ってみた
というか載せてみた
みなさま、今年の目標は決めましたか?
最近自分のブログ名を恥じている私は「今年は少し写真の勉強をしてみる!」(詩は本を読んで学ぶ、というわけにはいかないから、詩についてはさておき)
と夫に宣言しましたが、「それ去年もおととしも、もしかしたらその前から言ってた気がする」と言われてがっくり。
今年はもう少し分別を持ちたい。
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