詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

時が過ぎていくこと

2014年11月16日 | 雑記
仕事を始めて数日。
みなさん良い方ばかりなのですが、家にいるときよりもかえって
前の会社(@高松)が無性に恋しくなってしまいました。
ついでに高松暮らしも懐かしくてたまらなくなり、
高松にいた頃のことを思い出してはシクシク。
自分でもなさけないなぁと思うのですが、
どうも私は過去を振り返りたがる傾向があるようです。
(というか非常に女々しい性格・・・女ですけど)
おとといも帰りの電車の中で感傷に浸ってしまい、
前の会社の東京に異動になった人にばったり出会わないかなぁ
などと思っていたら、突然、隣の青年に
「この電車、○○駅に行きますか?」と聞かれ
いろんな方面に行く電車が走るこの路線がいまだによくわかっていない私は
全くお役に立てなかったのですが
さみしい気持ちをわかってくれたのかしら?
と一人でうれしくなってしまいました。
我ながら呆れるほど都合のいい解釈です。

高松を去る数日前、花まるうどんで夕暮れの空を見ながら思いました。
(せっかく高松にいるのに花まるうどん・・・)
ここの暮らしも、去るからこそより素晴らしい生活だったと思えるのだろうなぁと。
ずっと住みたいと思うほど大好きな街でしたが、
両親や兄弟、昔からの友達もいる東京にいずれ帰りたいという気持ちも
やっぱりありました。
だからきっと、「ここの生活がおわるんだ」と思うからこそ
よりいっそうこの5年間の思い出が輝いて見えるのだろうなぁと。

そして唐突に、やっぱり人も死ぬからいいんだろうなぁ、と思いました。
私はもともと、死ぬというのはある意味では救いだと思うほうだったのですが
家族や友達や、それ以外でも人の死はやっぱり悲しいし、
反射的には避けたいと思ってしまいます。
すぐに心配してしまいます。
でももし、永遠に生きてしまうのだとしたら、
心底うんざりして、きっと生きる気力もなくなる!
いつかこれがおわると思うからこそ宝石のように輝くのだなぁと
非常に月並みなことなのですが、妙にこのとき腑に落ちました。

だから、親しい人のことを
心配しすぎてはいけないのだろうなぁと思いました。
思い切り生きさせてあげなきゃと。
自分もですけど。

ところで、夫に
「そういえば私、ついこないだまで
前の会社は大変だから嫌だって言ってたよね?」と言うと、
「言ってた言ってた。昨日まで言ってた」と言われてしまいました。
「えー昨日はすでにメソメソしてたよ」と言うと
「じゃあおととい」
「ううんおとといも懐かしがってた」
「じゃあその前の日。
そういうのって、また同じ環境になったらやっぱり嫌だってなるんだよ」
と言われて、ほんとにそうだなーと思いました。

仕事は充実感があったし、たくさん仲間がいて幸せだったのですが、
他にしたいこともあって(詩を、書くとか・・・)
時間と心の余裕がほしかったのです。
でもその大変さも、「もう戻らない」というオブラートにくるまれると
とにかく楽しかったー!と感じられるのですよね。
そこの人たちのこと大好きでしたし。
それもオブラートのせいかもしれませんけど。

こういう感じ方は
前の会社の人にも、いまの職場の人にも
なんとなく失礼な感じがして、やめなきゃいけないな、
と思うのですが、やっぱりグズグズしてしまう。

ですがうれしいことに、
実は今日は前の会社のお友達に会う約束があり
約半年ぶりの再会をして、ランチを一緒に食べてきました。

会社帰りにスタバに寄ったり
自転車で一緒に帰って途中でごはんを食べたり
一緒に海岸の清掃をしたりしたお友達。
素敵な思い出。
彼女はこれから高松に帰ります。

こういう切なさはでも、なんだか生きている、という感じがしますね。
いまこの瞬間も、振り返ればきっと輝いている。

高松風景










コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遠ざかって | トップ | コール »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑記」カテゴリの最新記事