夢をほとんど見ないという人は、実は覚えていないだけなのだという。夢をほとんど見ないと言う人を、起きている時間が充実している人なのかも、と感じてしまうのは、自分が夢と親しい人間だからなのかもしれない。
先日の夜、布団で書きかけの詩を繕っていた。電気を消して、横になると、ある一文が浮かんだ。とても良いのではないか、と思った。忘れないように復唱した。夢うつつで。忘れないはずだと思った。闇の中に明らかに見えているもの。次の日、いま思えば案の定だ、思い出せなかった。「わたしの」の続きが思い出せなかった。感覚は残っているのに。
今朝はトイレに行きたいと思って起きたのが朝の5時半だった。それまで、夢を見ていた。倉庫のような場所で、最初は数匹の犬が出たり入ったりしているのを確認していた。それがいつのまにか家の中ということになっていて、犬が虎に代わっていた。襲われないように早く窓から外に出してしまおうと思うのだけれど、大きな虎がこちらに向かってくるので、私は恐怖を感じるが、虎はその大きな頭を擦り付けてじゃれてくる。いつ虎変、ならぬ豹変するかわからない。まずは刺激を与えないように白い喉元を撫でてやると、すばらしく柔らかい毛並みでこちらが頭を擦り付けたいくらいにふかふかしている。目が覚めて、気がついた。掛けている毛布とまったく同じ手触りだった。
ついさきほど、晩ごはんを食べているとき、なぜ虎の夢を見たのかが、唐突にわかった。なぜ虎の夢を見たのか、などということはもちろん、今朝の夢のことなどひとかけらも考えていなかったのに、突然、金庫のダイヤルが合った!みたいな感じで夢の扉が開き、ひらめいたのだ。昨夜は、寝る少し前まで、パソコンで年賀状のデザインを考えていたのだった。
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