気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

気持ち通ずるシルバー川柳

2014-08-04 17:47:18 | 終活

公益社団法人全国有料老人ホーム協会なる団体が2001年から、高齢者の日常生活等をテーマにした川柳を募集し、毎年9月15日に優秀作が発表されている。今年もその時期が近づいている。毎年1万人前後の応募があり盛況のようだ.投稿者は殆ど65歳以上の高齢者だとのことである。最近書店には、我々高齢者が一読してみたくなるような川柳句集も置かれている。

 

そんな句集を書店で立ち読みしてとても興味と関心が持てたので、同上協会関係のNetで過去に紹介されている川柳を漁って観た。そのうち、直近2年間の第12回及び第13回分の優秀作を当方なりに選択して5句づつ転載し、最後にこの種の川柳なら傘寿直前の当方でも作れそうだと思い、ない知恵を絞り、初挑戦して詠んだ駄作川柳を書き加えた。

2012年(12回)応募総数は9353件 

           ● 延命は 不要と書いて 医者通い 

        ● おじいちゃん 冥土の土産 どこで買う?  

           ● 指一本 スマホと俺を 使う妻     

          ● 起きたけど 寝るまで特に 用もなし             

           ● 日帰りで 行って見たいな 天国に                                    

2013年(13回)応募総数は96021件    

           ● 表札で 生きる亭主の 三回忌  

       ● あの世では お友達よと 妻がいい   

        ● 物忘れ 昔からだと 負けおしみ    

          ● とも白髪 まっぴらごめんと 妻茶髪  

        ● この動悸 昔は恋で 今病

傘寿前爺の駄作川柳                                            

     ○ピンコロ死 願った俺寝て もう三年    ○傘寿坂 越えて束の間 まさか坂  

     ○見え隠れ しのび寄り来る 使者の影    ○完治無理 そこを何とか 神頼み                     

     ○酔い進み 先逝きどっちか 大舌戦       ○おいお前 口ごもりは 念仏か                                        

  ○逝く友に 来世で再会 約す友            ○もういいよ そろそろ逝くよ こちらから                       

  ○悟ったよ 心無罫疑 逝く準備              ○昔ごと 今更何よと 妻反論   

  ○山男 介護ベットで 這い上がり             ○尊厳死 自署後も続く 透析通い                        

  ○俺よりも 先に逝くなが 爺命令             ○労労の 認知と痴呆 度が進む                             

  ○宣告を 奇跡で消したい 余命観       ○シルバー席 座らぬ俺は 未だ傘寿 

   ○前向きに 生きて逝きたい 終着駅        ○逝く順序 逆こそ同期の 誉れ順                         

  ○まだ早い 傘寿をステップ 米寿越え      ○労労の 介護で悟った 夫婦愛                      

  ○“もう”よりも “まだ”が心の 最良薬         ○孫大変 思い込ませる 詐欺の罠

  ○爺婆が 青春切符で 旅三昧                ○ガラ系って どんな携帯 どんな柄                     

  ○医者嫌い あの爺さんが ドクター通    

高齢者作の川柳は、気持ちの面で、とかく後ろ向き志向の傾向が現れ易いのは、仕方のないことかもしれない。しかし、当方はブログ表題に書いてるように、歳はとってもプラス志向を第一義として生きたいので、川柳作の場合も、自分自身にも励みになるような句も作るようにしたいと思っている。


自分の死の迎え方

2014-07-14 20:30:33 | 終活

最近「家族葬」とか「自然葬」に「ゼロ葬」だの「直葬」などの言葉を耳にする度に、自分の場合はどうすべきか死の迎え方について暫し考えるようになって来ている。そんな気持ちもあって駅前の本屋に立ち寄り、書店備え付けのパソコンで検索したところ、表題関連の著書がかなりあることが判った。早速、次の著書を順次手にして目次を拾い読みした。

1.うらやましい死に方(五木寛之)2.終活なんておやめなさい(ひろ さちや).「0葬」-あっさり死ぬ(島田裕己)4.こうして死ねたら悔いはない(石飛幸己)5.死ぬことが怖くなくなるひとつの方法(坂本政道・矢作直樹)6.野垂死の覚悟(曽野綾子・近藤 誠)7.心安らぐお別れの心得(枡野俊明)などで他にも類似本は未だあった。

上記本中「終活なんておやめなさい」を座り読み(テーブルを囲んで6人椅子に腰掛けて読める有難いコーナで)し、約1時間で概読した。この著者、宗教評論家の本名増原 良彦(ペンネームひろ さちや)氏は、同書の中で要旨「己が存在しなくなった死後のことに関し、思い煩い悩む必要は全くない。お釈迦様は現世で仏を敬い、命を大切に生きることを説いてはいるが、死後はこうあるべきだなどとは説いていない。

だから、己の葬儀のことについてあれこれ言い残す必要もない。立派な死に方など考えても意味がなく、死の迎え方は出たとこ勝負でいい。後のことは、遺族に全て任せればよい。頼るべき遺族がいなければ 行政に委ねればよい。遺族の心の問題もあるので一概には言えないが、基本的には葬儀も位牌も戒名などもなくてもいいのではないか。要は死んでからのことよりも、生ある今を如何に生きるかの方が大切である」と説いている。

当方この考えに全く同感だ。己の葬儀に関し、多少の骨は故郷の海に散骨して欲しいとの願望はある。しかし、家族はクリスチャンなので葬儀は、多分教会の牧師にお願いすることになるのだろうし、墓地は市民墓地になるのかどうか、そんなことも全て家族任せの積もりでいる。だから以前から思っているとおり、当方は、己の葬儀の流儀・形式・内容には何の拘りもない。勿論戒名や位牌等当方には不似合いなのでそれも全く不要だ。

ところで最近、高齢者療養施設で聞いた話では、入居者の中には、死後は病院施設等から直接葬祭場で火葬して貰い、葬儀も不要だと願う高齢者もいるそうである。病院側や葬祭場関係の都合がつき、所定の手続きを経ればそれも可能で、現に行われている例もあるとのことである。

いずれにしても、当方は家族に残す財産らしいものも特にないから、「死後のことについては基本的には我関せずだ。どうぞ妻子よ、ご随意に葬り願いたい・・」ということにしている。願うことなら、葬儀も簡素にし、全て終ってから知友人にそれとなくお知らせをして貰えば有難い。後は自宅に元気な頃の写真が1枚残っていればそれで十分だ。


日記の抜粋・編集

2014-06-03 14:25:38 | 終活

当方は、平成12年元旦から毎日250字前後の日記を書いている。時には2~3・4日分纏めて書かざるを得ない時もある。でも、その気で続ければ意外と続くものである。

この日記の中から、平成18年9月誕生の一人孫関連の日記部分を、年日別に順次抜粋、時に加削修正を加えて編集する作業を始めてもう半年近くになる。

孫が後年、自分の成長振りを断片的にでも知る「よすが」になれば良いと思い始めた作業だ。だが未だ孫8歳当時分の抜粋編集作業しか出来ていず、進捗状況は当初計画よりかなり遅れている。孫小学卒業時を以って、抜粋編集作業は終わりにする予定である。


小冊子の「はしがき」には、孫が生まれた時代背景をかなり詳しく書き、爺婆や両親の願いに関することも書いてある。誕生当時のこと、「這えば立て、立てば歩け」の親心の頃、「話し言葉・書き言葉・所作・表感情表現に関する成長過程のこと」「入園」「入学」一緒に行った先々での想い出の数々のこと」等内容は盛り沢山である。編集しながら、乳幼児はこうして育って来るのだな・・」と実感している。

同時にこの記録は内容は違うが、自分も孫の頃は似たような発達過程を経て来たのだと再認識させられてもいる。この作業は、孫に対する一種の書残しである。だからその意味では、これも「終活」の一部なのだろう。

でも、最近自分が書いた日記の手書き文字も読み辛くなりつつあるので、この「終活」作業を果たして完結出来るのか、聊か不安を感じたりもしている。


旅の終わりに向けて

2014-06-01 09:15:29 | 終活

作家「五木寛之」著の「天命」の末尾「あとがきにかえて」に次のような一文がある。
「・・世を去るときに、自分の人生をふり返って満足感を味わうことの出来る人はそう多くはあるまい。・・しかし、如何に悔いの多い人生であろうとも落着いて安らかに死を迎えることが出来た人こそ、人生の真の成功者と云えるのではないか・・、老いや病による肉体的な苦痛はあって当然だ。死んでいくにも大きなエネルギーが必要だ。


・・・自分の死をちゃんと肯定し、憩いの場所に赴く安心感に満たされて世を去ることが出来たら、それは幸福な一生と云っていいのだろう。・・日常「死」ということを考え、死のイメージとなれ親しんでいる必要がある。
死を嫌いなもの、恐ろしいものとして拒否するのではなく、誕生と同じように一つの新しい旅の始まりとして想像することが望ましい・・」とある。


確かに、霊魂不滅で来世に繋がっていると云われているから、死は新しい旅の始まりだろう。そして今は、古くなった旅の終わりが見え隠れする時期でもあるようにも思える。
来年6月末で自分も「傘寿」を迎える。


我が人生は、実に悔いの多い人生だったと今にしても思う。とはいえ今更悔やんでもそこからは何も得るものは生まれては来ない。だから、これからも「前向きに天命のままに生きる」ことを終活の信条としていこう。