気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

孫に贈った心得10訓

2022-04-06 11:17:51 | 人生

約2年振りに「孫に贈った心得10訓」について投稿することにした。

1、その理由は次の2点だ。

(1)今年6月で80歳の後半を迎えるに至り、余生少ない老生から、この春大学進学する一人息子の孫への直言を残すことは、老生の大事な行いの一つであると思うに至ったこと。      (2)自分のblogがありながら、投稿中断の期間が続くことはblog開設本来の目的に反すると思うに至ったこと。                                                         (3)投稿の頻度を設けず、気楽に自分のblogを続けることがこのブログ本来の目的(自分史の一助にする)ことに繋がると再認識したこと。

2大学1年生になった一人息子の「孫」に贈ったのは次の10訓だ。

(1)何の為に、何故、如何に学ぶのか、よく自覚認識し、日々充実感のある学園生活が送れるように努めること。

(2)情報・環境に関する専攻学部生として自分なりの見識を広め深めること。       (例:「情報」とか「環境」の定義・重要性とは、SDGsとはその内容は、ウクライナ紛争の背景遠因と近因及び現況は)

(3)論理的思考と表現力を身につけること。(多弁は駄弁、能弁は駅弁なり)

(4)何事に対しても自分の意見・考えをしっかり持ち、説得力をもって人前でも話せるよう日々事故修練に努めること。

(5)良き友を求めその交わりを大切にすること。(良友は終生の友、益者三友、損者三友)

(6)感謝と思いやりの心を堅持し、相手に対し時にはTPO(時・場所・場合)に応じて言動を以て示すこと。

(7)「時、金、もの」に関する関心・意識を無駄なく大切かつ有効に使うこと。

8)常にプラス思考であること。(マイナス思考は、己を負のスパイラルに追い込むだけだ。

(9)4年以内に自分の将来像を固め、そのための識能の習得に努めること。(高3迄は概して与えられて学ぶが、大学は求めて学び極める学府なり)

(10)克己の気持ちを堅持する。一人で解決できないときは早めに「ホーレンソウの原則」(報告・連絡・相談)で対応すること。

以上ハードルが高そうな意見だが、老生の新入生の頃は学長の訓示以外はどこからも教訓的な話はなかった。若い頃からどちらかと云えば反応の鈍い当方にとっては、あの頃箴言的アドバイスがあれば、あの頃の自分の生活信条にもいい影響があった筈だと思うのだが、これも老生の戯言か。愛する孫を含め、全国の新入生諸君頑張れ!!(2022.4.6記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


令和2年老生のブログ記事はじめ

2020-01-01 13:32:20 | 人生

お陰様で老生は今年、85回目の新しい年を迎えることが出来た。 

自分だけの心得や努力だけで今日この年を「生きている」のではなく、社会や家人等「諸々の人々のお陰で」「生かされている」のだと思う。加齢とともに、身の回りのことで「受益のウエイト」が増すばかりなので、今年も周りに迷惑をかけずに、自分流の生き方で静かに生き抜きたいものである。

 

ところで、前回の東京オリンピックの年からもう56年が経った。

この間我が国は、内政・外交上の難問や・国内外経済不況等に加え、度重なる大規模災害等の試練を乗り越えて成長してきた。このブログ更新中に、2018.11月に民事事件で逮捕・起訴され、その後保釈中の日産自動車前会長「カルロス・ゴーン」被告が、海外渡航等禁止の掟に反し、レバノンに出国(逃亡)したとの信じがたい外信部報道があった。

 

出国(逃亡)が事実なら、それは、正に、想定外の出来事なのだろうか。「時の人」だったこの人に関する本件は、ほんの一例に過ぎないが、近年は、自然や社会の諸現象に関しても信じがたい事案・事件が多過ぎる。

今を生きる我々は、そんな時代に生きているのだ。今年も、老生は老生なりに、時代の流れを注意深く見つめつつ、自分らしい生き方を余生ある限り、平穏にし続けたいものだと願っている。(2019.12.31


老後の人生雑感

2018-04-16 14:57:56 | 人生

1、当方が、人生の「老後」を自分自身の「老後」として、痛切に意識したのは、65歳で再々就職をするようになったのに、未だ終の棲家さえ決まっていなかった頃のことである。

今のところ当方は、至って元気なので、今年83歳の人生峠は無難に越えられるだろうと思ってはいる。先のことは解らないから、余計なことはせず、余生をただ閑居して静かに生きるのも老後における生き方のひとつかも知れない。しかし、当方はそんな生き方はしたくはない。 

2、最近、渡部昇一著の「知的余生の方法」(新)潮新書を読んで改めてそう確信した。「老いを生きる」者は、須らく常に自分に知的及び身体的刺激を与えながら生きた方が、充実感もあるし、忍び寄る認知症の予防上も望ましいと信じているからである。

 そんな思いもあって、最近は未更新状態がかなり続いたが、そのmyblogや有志Netへのメール投稿、更にはもう15年余も続いている日誌の継続、NHKラジオ講座(以前は「まいにち中国語」、最近は、遠山顕の英会話楽習)の受講等を細々と続けている。

3、こうした努力の習慣化により、義務感よりも充実感が得られるので、「学び知ることは、結構楽しいこと」に通じている。

当方は、「心は丸く腹立てず、口慎めば“いのち”長かれ」という人生訓( 京都・大徳寺大仙院の尾関宗園 住職の名言)が好きだ。老いてからの「怒り」は、一利もなく、百害あるのみだ。

どうせ先は短いのだから、余計なことは避けて無難に生きられればそれで由とする人生はつまらないと思う。

4、江戸中期の俳人,滝瓢水(ひょうすい)は、「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」との秀句を残しているそうだ。引用されている前記の書には、その解説は記されてはいない。しかし、プラス志向で生きるべしとの趣旨で述べられている箇所での引用なので、当方は、この句の意味は、濱に着いて海に入る 迄の間には、時雨で濡れるのだから、態々蓑を着け濡れないようにして行かなくよい筈なのに・・と観る人は思うだろう。

しかし、そんなことは海女たちも十分承知のうえで、彼女たちには、雨に濡れて浜に向かう見にくい姿を、人には見せたくないという純粋で前向きな気持ちがあったのだろう。滝瓢水は海女のそんな気持ちを察して詠んだのだろうと当方は解釈した。

5、最近は、特に時の移り変わりの早さを実感している。短期日のうちに黄泉の国入りする同僚・同輩が年々増えているのもその一因だろう。                                                                   

                  

「どうせ・・」お迎えが近い「年だから・・」「・・しても」「・・だけ」で、「・・だ」と云うような退嬰的な語句もよく耳にするようになった。日常生活の中で、そんな言葉や気持ちが先行するようでは、とても前向きな生き方は出来ないだろう。

6、年々老いて、「冥途の使者のシルエット」が見え隠れするように感じられるようになっても、「お迎えは未だ早い、行く準備は、終活の一環として既に始めているので、頃合いを見て出直して来るように・・・」と願っている。

当面は、「2020」年を通過点として余裕をもってクリアし、願わくば「卒寿」の坂を越える頃迄は、是非そうありたいものである。


散歩の累積=終着駅への旅路?

2017-06-24 12:28:02 | 人生

 綺麗な街並みを歩いたリ、好みのコースを散歩した時のデータ(時間・距離・歩数・経路・消費cal)は、常時携行しているスマホに全て記録されている。散歩途中の休憩の際等にそんなデータを確認する度にふと標題のような雑念が脳裏をかすめることがある。このことは、末尾に書くので、少し我が街のことと、老生が好んで歩く浦安海岸沿いの散歩に付随することについて以下書くことにする。

浦安の新市街地は整然と整備されており、一見西洋風で解放感もあり、住むほどに良さを感ずるいい街である。東側が東京湾岸に面した総合公園に至る緩やかな坂道から、振り返って西側の市街地を観る度に確かにそう思う。このことは、一市民としての誇りでもある。 

上記地図上の国道357号線から東南方向の全地区は、昭和39年に始まり昭45年に工事が完了した埋立地である。この街は、昭58年東京ディズニ-ランドの開業、昭63年京葉線の開通を契機に急速に発展し今日に至っている。東京駅迄快速で約16分の立地とあって都内への通勤率は約50%、面積は約17K㎡、市の人口は約16.8万人(昭和56年市制施行時の約2倍)で、全国でも屈指の若い街である。

北陸・若狭の海辺で育った老生は、元来街向きタイプの輩ではないので、この街が全て性に合っている訳ではない。しかしこの街は湾岸沿いにあり、当方は、この微かに感ずる潮風の匂いと周囲の景観が大好きである。なので、散歩の際は、自宅から湾岸沿いの総合公園と墓地公園を経由する約7㎞の散歩コース をよく利用している。

湾岸沿いのこの散歩コースは、通称「三番瀬沿い緑道」と称され、沿道には健康器具や散歩・ジョギング時の目安板等も設置されている。

アンツーカ仕様の歩道と自転車専用の二帯に区分された「緑道」は約4㎞程だが、人に優しく整備されたこの緑道を含む湾岸域は実に素晴らしい。湾岸風景を眺めながら散歩する老生にとっても、この湾岸域は、爽快感と解放感を満たして呉れる癒しのゾーンでもある。

 

約15㎞の対岸は幕張メッセをはじめとする京葉コンビナート地域である。3・11地震で被害を受けた緑道や堰堤も3年前に完全に再整備され、今は被害の痕跡は全く見当たらない。

周囲約1200mの広い公園は若い家族連れで休日は終日賑わっている。平日、人が少ない日中には、公園地区から程近いディズニ-ランド関係の外人専用マンションからの非番者なのだろうか・・。シートを敷いてビキニスタイルで陽気に談笑している美女グループを見かけることもある。

 左は東京湾、正面の先は羽田方向で松林に囲まれた右のエリアは市営の墓地公園である。

 

 新浦安駅から墓地前迄はバスの便もあり、所要時間も約10分程の地域にアクセス・環境共に申し分のないよく整備された市営の墓地公園(約4万㎢)がある。

  

 墓地公園内には、樹林墓地と呼称されている樹木墓地が2ケ所あり、その一部は今も整備中である。樹林の移植年数は未だ浅いので、外見上は荘重感はないけれども10数年もすれば、湾岸地域一の樹林墓地となることだろう。

 

長くても、あと10年後位には人生最後の永遠の終着駅に辿り着くであろう当方は、散歩の途中時々、樹林墓地内のこのベンチに腰掛け、暫し休憩しながら、「人の人生」「久遠の旅路」「霊の世界」「無の空間」etcについて深く考えさせられたりしている。日頃諸々あるくだらない雑念を払拭出来るこの時が、老生にとっては心の底から「癒されるような気分」になれるから不思議である。

市内在住14年を過ぎている当方は、樹林墓地か個別の墓地のいずれにも入墓出来る条件は満たしている。既に家族の了解も得ているので、当方は共同の「樹林墓地」を永眠後の終の棲家として希望している。その年月が何時なのか神仏のみが知っていることだろう。

老い先長くない人生の臨終の前後のことに関する雑念を、あれこれ思い重ねてもそこから得られるものは何もなかろう。ならば、そんなマイナス思考は止めるようにしよう・・。今日も与えられているこの命を大切にして生きるよう・・。心を広く豊かに持ち、日々生かされていることに感謝の気持ちを忘れず、前向きに生きて行こう・・。素敵な墓地公園のベンチでの休憩の間には常にそう考えるようにしている。

何はともあれ、そんな心境にして呉れる公園墓地での小休止の時間帯と「周りの緑道」沿いの散歩の累積は、人生の終着駅に向けての歩みの積み重ねではなく、当方にとっては、「心のオアシス」を求める憩いと癒しの旅路なのだと思っている。

 


結婚52年目を迎えて過ぎる老生の願い

2016-11-03 14:29:07 | 人生

振り向けば老生共の家庭人としての始点は、東京神田のYMCAでの結婚式からだった。時は52年前の1964113日、巷に東京オリンピックの余韻が残る秋晴れの好日、夫29歳・妻25歳で我々二人は晴れて夫婦になった。以来可もなく不可もなく、お互いに健康にも恵まれ今日に至っている。

銀婚式や金婚式は、単なる通過点位の行事認識しかなったので、そんな行事は一切なしで過して来た。誰が、いつから名付けて節目の儀礼が定着するに至ったのか知らないが、結婚の節目毎に洋の東西を問わず、何々婚式なる呼び名が用いられている。我が国の場合は、例えば下表のように節目の何々婚式が24回もあることになっている。

当方達は、そのいずれの何々婚式なるものをした経験は全くない。しかし、そのことで、別に後悔はしていない。そんなことより、80年余の人生を家族にも支えられ、日々分相応に充実した生活が出来ていることに感謝している。

ただ最近、持病以外に気になる疾患が判明。当面この治療を受けることになるが、無難にこの疾患を克服して2度目の東京オリンピックをこの目で確かめ、次は米寿越えを必達の終活目標にして、前向きに更になお元気に、老後を過ごしたいものである。

目算通りに願い叶えば米寿を越えて、8年後は人生最後の「ダイヤモンド婚式」を卒寿で迎えたいものである。