今日(2017.3.26)の大相撲中継、「照ノ富士」「稀勢の里」戦を観て大いに感動した。更には、何年振りかで日本人力士の意地と執念、内に秘めた技と闘魂による快挙に暫し酔いしれた。大方の予想では怪我の翌日、強行出場して横綱「鶴竜」になすすべなく敗れた「稀勢の里」の今場所優勝は無理ではないかと観られていた。そんな予想を覆し、新横綱として「貴乃花」以来22年ぶりの優勝を果たした。誠に以て敬祝の至りである。
改めて、「稀勢の里」の優勝に万雷の拍手を送りたい。同時に、2014年7月の名古屋場所で場所の終盤、不甲斐ない負け方で敗退した「稀勢の里」をこのブログで老生が酷評したことに対し、心から謝罪とお詫びを申しあげる。その時の記事の一部を末尾に転記した。でもこの記事は、稀な勢いを秘めている筈の当時大関「稀勢の里」に対する万感の期待の意味もあったことなので了として貰いたい。
国家斉唱の場面で男泣きしていた「稀勢の里」は、この優勝を契機に、今度こそ「心技体」共に優れた平成の日本人横綱として、大相撲界を牽引して呉れることだろう。
ところでこの大関は、白鵬とは年令・初入幕も1年違い、三役昇進は19歳11ヶ月で貴乃花・北の湖・白鵬につぎ歴代4位の実績もあり、大関昇進のころから、日本人横綱の最短候補と目されていたし、白鵬キラーとしても認められて来た。事実、白鵬の63連勝(2010.11月)23連勝(2011.1月)、43連勝(2013.7月)を夫々の月に大きな壁となって阻止して来たのは、この稀勢の里だけだ。
本人には悪いが、あのふてぶてしい面構えで、今場所も小手投げで堂々白鵬を破り、流石稀勢の里と誰もが思った。だがその後、残り2日は2横綱になす術なく惨敗した。白鵬を破ったあの勢いはどこに行ったのかと云いたくなる2連敗した負け方を観て思ったことがある。
それは、この大関は、「心技体」のうち、最も欠けているのは「心の強さ・逞しさ・柔軟さ・厚釜しさ」ではないだろうかということだ。さらに云えば、この1~2年、稀勢の里は次の場所で12勝以上すれば、横綱昇進間違いなしと半ば約束され乍、そんなチャンスの場所になると不甲斐な戦績で昇進のチャンスを自ら潰しているのも、心の脆さが大きな原因になっているのではないかと思わざるを得ない。
稀勢の里なる四股名の「稀勢」とは、今迄にない勢いのある力士と云う意味もあるのだろうが、現状では、その「稀勢の里」が、稀に大器の片鱗を見せて、豪快な勝ち方をする時もあるが、脆さも大ありの万年大関に成り下がってしまっている。こんな現状に一番悔しい思いをしているのは、勿論当の関取本人だろうし、その親方だろう。しかし、ここで忘れられてはならないのは、長年期待を裏切られ続けている多くの稀勢の里フアンである。
かく云う当方も隠れ稀勢の里フアンの一人だ。だから、もし、来場所以降も稀勢の里らしい成績が残せなければ、多くのフアンは稀勢の里の将来に見切りをつけることにだろう。もしそうならば最悪の場合、同大関は、相撲人生上最大の窮地に見舞われることになるような気もする。
そうならない為にも稀勢の里には、来場所に向け今から「心のギア」を入れ直し、リニュウアル稀勢の里として次回こそ本来の底力を見せつけられる大大関に変身することを心底切望したい。こう願うのはこの老生だけではないだろう。