連日の猛暑の中、被災地復旧のためご苦労されている被災者はじめ、支援活動に従事されている皆さんのことを思うと、冷房が効いた部屋で閑居している老生としては、大変申し分けない思いである。西日本豪雨で亡くなられた200余人の御霊に心からお悔み申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。
自然の事象は、時に甚大な不幸を齎す天災になって、地域の人々の幸せを破壊する時もある。加えて、近年は「災害は忘れないうちにやって来る」特に豪雨被害は、「突発的かつ広域に亘り、集中して来襲」するので、質が悪い。
被災地の皆様には大変申し訳ないが、もう3週間近くも、降雨がないので、雨乞いを真に願いたい気持ちは切実で募るばかりである。そう願う時の「雨は、恵みの雨、即ち慈雨」なのだが、降って欲しい時には姿・形を表さず、これ以上降るなと願っているのに降る点で、二重性の高い厄介者の代表格は、何といっても「雨」という降雨現象ではないだろうか。
猛暑が続く毎日、当方は、散歩を兼ね熱中症の虞のない夕方遅く、涼を求め東京湾岸沿いの浦安海岸の遊歩道を散策する。海風の程度は、日によって違うが、東京湾という海を観ながらもの思いに耽ったりしている。夏の東京湾を眺めながら、時々思い出すのは、故郷「若狭美浜」の綺麗で透き通った海や自然の風景である。
小中学生の頃の夏、海は自然の遊び場だった。中学の頃からは、「ふんどし」だったが、それまでは「フルチン」で、ガキ共と海辺に直行、お互いによく泳いだり、潜ったり、銛を作って魚突きに興じたりしてよく遊んだものである。小学入学の頃は、お互いに見様見真似で泳ぎや素潜りを覚えた。お互いに「安全」という言葉自体を特に意識したことはなかったが、水の事故は皆無だった。
我が故郷「若狭美浜」は自然に恵まれた風光明媚な田舎町である。特に夏の「美浜」は素晴らしいと自賛している。人誰しも、その人なりの「故郷」がある。その「故郷のイメージと香り」は。80年余の今に至っても、薄れることなく、思慕の情は増すばかりで、「故郷とは、我が心のオアシス」のような存在だと最近、つくづくそんな感じがしている。(H30.7.23)
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