気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

小池新党(希望の党)の光と影

2017-09-30 07:57:45 | 時評

新党の旗揚げに伴い同党の動静が、総選挙戦における大きな政治的関心事項になって来た。このことに関し当方は次のように感じている。

1、総理・与党筋は、今回は結果的に解散時期を読み違えたのでではないか。その読み違いは、民進党の弱体時期に野党共闘の動きが進んでも、細野・若狭グループの初期の動きが今日のような大きな流れになるとは、想定外の流れだったことだろう。しかし、意外な形で進行中の現下の事態は、多勢に安堵し内心楽勝を期待していた与党内に対しては、カンフル剤的効果を齎した。だから与党も、解散宣言後は、脇を固め直し、危機感を持って新党批判を協調し、既に本格的な選挙選を展開している。

2、今回の動きが順調に推移し、「希望の党」の支持率が約25%程度になれば、総選挙で100台位の議席確保が可能ではないか。そうなれば、保守二大政党時代の新たな始まりになりそうなので、当方は歓迎だし、その意味からも新党の行方には、ある程度の期待感が持てると思う。

3、新党が国会で一定勢力を確保すれば、安全保障環境の整備、就中憲法改正も発議を容易にする院内外環境が整うので、来る選挙で新党は、改革保守の観点からこの点を国民的理解に結び付くよう大いに啓発願いたい。

4、既に新党は、結果的に大きな役割を果たした。それは、寄せ集め集団で、批判ばかりが先行し、確たる実績もなく、かっての社会党の二の舞になりかけ、選挙民からも見放され続けている民進党を結果的に事実上分裂・小党化したことだ。名を捨て実を取ることを党内リベラル派も了承したことは、民進党が党の自滅を自ら認めたことに等しい。残ったリベラル派はどんなメンバーで、今後どんな動きをするのかも新たな注目点だ。

5、今回の流れは、野党共闘路線の推進により、漁夫の利を得られる筈だった共産党にとっては、全く期待外れの展開となった。それ故に同党は、今迄以上の執念深さで、面子をかけて選挙戦を展開するだろう。この場合、これ迄、民進党リベラル系支持者だったかなりの選挙民は、民進党支持を諦め、選挙では共産党支持に傾くことも十分予期される。そうなれば、選挙毎に議席微増の同党は、更に党勢を拡大することになりそうだ。

6、民進党からの合流希望者に対する「踏み絵審査」では、野田元総理はじめ61名の民進党の諸先生方も大きな試練を受ける。該当の諸氏は小池代表に、新たな議員生命の引き糸を握られている。兎に角、同代表は、強かで計算高い政治戦略家であることは確かだ。

7、新党に関する当方の目下の最大の関心は、小池代表が2足の草鞋を履き続けるのか否か、代表として立候補するのか否か。立候補の場合、都知事問題はどうなるかである。衆院選に立候補するとなれば、同代表は、憲法67条(内閣総理大臣は、国会議員の議決でこれを選ぶ)に基づく総理の座を確かに狙っていることを公言するに等しいことになる。

8、確かに小池人気や同代表の年齢的な面を考えると、今回が総理を狙う最後のチャンスだろう。しかし先読みに長けている小池代表は、都知事の座を投げ捨てて国政に臨めば、その反動やつけが、どう表れるのか・・そんなことはもうとっくに読めている筈だ。

もし、都民の期待を裏切って国政再登板の挙に出る場合は、その釈明を如何に行っても現下の新党ブームのようなものは、急激に萎み去ることになると当方は思う。

選挙後の新党リーダーは小池姉御でなくてもいいのではないか、機を観るに敏な小池代表が策に溺れず、上昇志向ではなく、平衡感覚で良識ある選択をするよう切に願いたいものだ。


偶然の一致に関する雑考

2017-09-12 21:04:47 | 日常

世界を震撼させた米国での同時多発テロ事件から16年、未曾有の東日本大震災から6年(6年半)が経過した。今もなお、3.11大震災による行方不明者が2546名(11日現在)もおられるとのこと、ご遺族は消えることのない辛い思いをされていることだろう。

 

 犠牲になられた方々やその関係者には失礼なことかも知れないが、前記以外の事件等のことも含め、偶々調べていてふと気が付いたことがある。それは、数字に関する忌まわしい共通性のことである。具体的には以下の地震の発生時刻に関する「偶然の一致」についてである。

・阪神淡路大地震・・1995(H7.1)午前5時46分

・ニューヨーク同時テロ・・2001(H13.9)午前8時46分

・東日本大地震・・2011(H23.9)午後2時46分

・チリ沖(イキケ)地震・・2014(H26.4)午後8時46分

 

4つの巨大災害の発生時間を見ると、その発生時刻がいずれも46分となつていることだ。

この46の数字のミステリー例としては、例えは飛躍するが、Netのある記事では米国16代リンカーン大統領は1846.4、35代ケネディー大統領は1846.11月に暗殺されたとなっている。しかしこれは事実に反するようで、両大統領が暗殺された年は、1865年と1963年である。しかし後年云われているように、いずれも魔の金曜日であったことは確だ。

ラッキーな数字の7も、時には魔の偶然の一致で忌まわしい数字になる場合もある。

その典型例が、3年前ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア航空機に関する悲劇である。

悲劇となったマレーシア航空ボーイング777が初飛行したのは1997年7月17日だった。

そのマレーシア航空17便が撃墜されたのは、それから17年後の2014.7.17だった。これは7に関する数字の忌まわしい「偶然の一致」例の一つとして紹介されている。

 

序に最近話題になった、TとY議員さんはどちらも東大法卒の2回生議員で、Tさんは衆議院第一議員会館724号室で、Yさんは衆議院第二議員会館724号室で号室番号が同じだとは、お互いに不思議なめぐり合わせだと思っていることでしょう。

Netの記事の中には、僅かな事例を筆者の意図で繋ぎ合わせて「偶然の一致」を誇張する事例もかなり認められる。当方は、どちらかと云えば、疑い深い質なので、数字の一致だけを以て何か特別の意義づけをすることを好むものではない。しかし、「偶然は事象の積み重ねにより起こる必然だ」との観方もあるけれども、当方は前記の諸例は偶々数字がそうなっただけの話だと思うので、「偶然は事象の積み重ねにより起こる必然だ」との観方はどうかな・・と思う。しかし、英語のシンクロニシティ(synchronicity)とは、「意味のある偶然の一致」とも訳されているので、意味のある・なしは別として、いい意味の偶然の一致は大いに歓迎したいものだと願っている。


いずれは我が身か?認知症予防心得

2017-09-07 18:15:08 | 健康

 1、他人事ではない認知症

厚労省の統計(平成24年)によると、我国では、65歳以上の高齢者の7人に1人は認知症患者で、その総数は約462万人だそうだ。8年後の平成37年にはこの患者総数は約700万人に達し、実に5人に1人が認知症患者になると見込まれている。

確かに知友人の中にも、認知症で医師の世話になっている者もいる。「俺も認知症で通院中だ//」と患者であることを認めているある友は、・何度も同じ話をしていることに気付かない・昔のお互いの苦労や体験談を完全に忘れている・場の雰囲気に関係なく急に全く話題の異なる話を始めたり・仲間の呼び名を間違えたりなど、明らかに昔の彼でない症状が出ている。そんな彼の言動を現認したりする度に、何故彼が認知症患者になったのか聞いても時期や具体的な理由等の特定は無理なようだ。

1日のうち何度か、認知症の症状が顕著に出る彼の場合は、数年前から理由不明なるもある時期以降「物忘れ」が進行し、奥様同伴でないと遠出や不案内な出先への外出が困難になったとのことだ。

 2、認知症と物忘れとの違い

ところで認知症は、後天的な原因によって病的症状が認められる脳に関する一種の病気であり、、

認知症の具体的な症例としては、

・物忘れの自覚がない

・体験したこと自体を忘れている

・ヒントがあっても思い出せない

・日常生活に支障がある

・判断力が低下していることなどが特徴だそうです。

認知症とは異なる呆けの具体例は、

・物忘れの自覚がある

・体験したことの一部を忘れている

・ヒントがあれば思い出せる

・日常生活にさして支障はない

・判断力はさほど低下していない。などの違いがあると云われている。

 困ったことに認知症には進行を遅らせる治療法はあっても、現在では有効な根本治療法はないとのことだから、困ったことだ。

呆けが進行しても該当者が全て認知症になる訳ではないので、その点ではまだ安心だが、でも呆けが過度に進むと、認知症に近い状態になるのではないかとの心配は尽きない。

今のところ、当方には幸いなことに過度の呆けや、認知症らしき目立った兆候は未だない。しかし、「記憶力」「判断力」「識別力」「書字力」や「状況判断力」等は、年々下降気味で、「認知症」に通ずるかもしれない「高齢呆け化」は年々進行中であることは確かである。

 3、呆けないための心得

そこで、「いずれはわが身」にならない為、現在も続けている次のような呆けないための心得(他人様の認知症看護体験記に出ていた心得)を参考にして、今後も「高齢呆け」の進行と「認知症の防止」に努めている。下記はその体験記の抜粋である。

(1)気持ちの持ち方「か・き・く・け・こ」の励行

「か」… 感動・感激(喜んだり、悲しんだり、興奮を覚えたりする)
②「き」… 興味・緊張(何事にも興味を持ち、適度な緊張感を保つ) 
「く」… 工夫・苦心(創意工夫と新しいことに挑戦。楽をしようとしない) 
④「け」… 健康・献身(健康は当然。周りの人の為になることに心がける)
「こ」… 好奇心・向上心・行動力(人と話したり:口動力、考える意思と行動力=考動力を保つ)

(2)呆け防止「3つの心」の実践

「あそび心」、「おしゃれ心」、「ユーモアの心」を忘れず、T(時)P(場所)O(場合)応じて態度や言葉で表すこと。

 4、脳の老化とその防止                 

ところで、人間の脳の神経細胞は150億個以上もあり、それが20歳を過ぎると、1日に10万個以上も減少するとも云われている。
丼計算すると、1日10万個、10年で36,500万個、50年で182,500万個の減少だから70歳過ぎの高齢者の神経細胞は、20歳の頃の10分の1程度になっていることになる。

なので、脳の「生理的な老化」や委縮が進み、・ もの忘れがひどくなったり・ 新しいことが覚えられないとか・ とっさの判断が遅れたりする・・こと等も至極当然のことであろう。

脳細胞は使わなくても減り続けるけれども、逆に使えば使う程、脳は活性化するそうだから、例えば、毎日パソコンやスマホを操作したり、俳句・川柳等で感性・知性を高めたリ、人と集った際、時には人生や天下国家を論じたりして意識的に頭を使うことは、脳の老化防止や呆け防止、引いては認知症の予防に繋がるのだろう。

事実、毎日無為無策に過ごしている人より、考え事や適度の運動をしたり、好きな趣味を活かしたりして有意義な生き方をしている人の方が、「呆け老人」が少ないし、そういう人達は日々「心豊かな生き方」をしているのではないだろうか。


・「もの忘れ ものに つまずき また忘れ」
・「あれ これ それ ひと(他人)に謎かけ 思い出す」

当方にも、こんな川柳に表されている忘れ癖に気付くことが、最近多くなった。でも、この程度ならお互いにまだ良しとしょう。

認知症ではないがそれに近い、重度の呆け友人もいる。そんな呆け友のような老人にはなりたくはない。その防止の手立てとして生活習慣の間に出来ることは、平凡なことだが、当面は前記の「か・き・く・け・こ」の原則と、「3つの心」の原則を日々忘れず確行して、「重度の呆け老人」や初期の「認知症患者」にならないよう、今後も傘寿過ぎ老人なりの自己管理を続けていく積りだ。