気心は未だ若い「老生」の「余話」

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 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

収斂出来ない?反日と嫌朝・嫌韓の両国関係

2018-11-03 14:54:55 | 時評

1、当方の嫌朝意識の端緒となった身内の不運

当方の嫌朝意識は、あの終戦の数か月後、朝鮮から引き揚げて来た叔母さんの体験談を聞いたのが始まりである。叔母さん夫婦は、戦前から北朝鮮の清津でかなりの規模の船具商を経営していた。

数名の従業員の殆どは現地人だった。不幸なことに社長の夫が終戦直前に病死したこともあり、終戦を境に家人に対する従業員の言葉使いや態度も豹変し、彼らは事実上会社を乗っ取り、更には帰国の目途も全く不明だった一家に対し、自宅の立ち退きを強要し続け、この間家財の一部を勝手に持ち出す等の非情な仕打ちを繰り返した。

疲労困憊が続いた帰国準備の間には、70歳過ぎで病弱だった実母は衰弱死し、その遺体を現地の山に埋めて去る等幾多の試練を乗り越え、親子4人はやっとの思いで終戦の3ヶ月後に帰国した。叔母さんからそんな痛ましい話を聞いたのは、叔母さん一家が我家の隣に住むようになって直ぐ(当方が中学生の頃)のことである。

2、反日の根源は、朝鮮民族の「恨」(ハン)の精神から派生している。

両国(朝韓)には、古来民族精神の根本に「恨」の意識が根強く存在している。そのことを、韓国人で東海大学教授の呉善花氏は、ずばり次のように解説している。

「日本では、怨恨の『怨』も『恨』もだいたい同じ意味で使われていが、韓国の『恨』は、韓国伝統の独特な情緒であり、恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいけれども達成出来ない、自分の内部に生まれるある種の『くやしさ』に発している。それが具体的な対象を持たないときは、自分に対する『嘆き』として表われ、具体的な対象を持つとそれが『うらみ』として表われ、相手に激しき恨をぶつけることになっていく」と自著「朴槿恵の真実」の中で説明されている。

10月30日に韓国の大法院(最高裁判所)が、1965年の日韓請求権協定に反して元徴用工の損害賠償訴訟を認める判決を下したり、日韓合意に逆行する慰安婦問題の蒸し返しが今なお多くの韓国民に支持されている背景には、前記傍線部分のような根本感情があるからであろう。そうした基本的な国民感情が、豊臣秀吉の朝鮮征伐の歴史に纏わる怨念に繋がっているし、諸悪の根源は、35年に及ぶ日本による統治だったとする根強い国民意識や歴史観が、今も拭えない嫌日反日感情となって広く深く表れているのは周知のとおりだ。

しかし、そうした「恨」の思潮が、古来長い年月に亘り事実上支配隷属させられて来た中国に向けられて来ていないのは、何故か。それは多分、大国に囲まれて国境続きである小国の悲運や立ち位置を歴代の為政者と民が、十分に弁えて事大主義に徹し、その考えが今も国の基本姿勢として残っているからではないかと思う。

3、日本人の嫌朝意識の行方

韓国にも純粋な親日世代の国民がそれなりに多い筈だ。だが、総じて同国民の多くは、政府の歴史教育等の影響もあって、残念ながら、反日感情を有する国民が多いと聞いている。逆に日本では、若い世代には、嫌朝意識は少ないようだし、どちらかと云えば嫌朝意識が根底にある高齢者の多くも、未来志向で日韓関係の改善を真に望んでいる。

一面的な見方かもしれないが、歴代韓国の対日外交方針は右顧左眄的であるし、国内の反発や批判を意識し過ぎるが故に、内政面で未来志向に相応しい現実的な対応を怠り、問題解決のカギは全て日本側にあるとして、責任転嫁をし続けている。と当方は思う。

今日迄の経緯を見ても明らかなように、日本側の対韓関係改善の認識努力に比して、韓国の対日政策は、内に弱く外に求め過ぎる歪な面が多過ぎる。今後も、こうした傾向が続く限り、両国にとっても不幸なことだが、真の日韓友好親善の輪は大きく膨らみ広がることは難しいのではないだろうかと当方は危惧している。