気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

Blogの立ち上げ

2014-05-31 22:22:11 | 自学
昨年暮れ頃から今流行のipadをやり始め、5月初めから平行して新たにgooのblogも立ち上げ目下自学中である。3年程前にやりかけたblogのフレーム等が残っていたので、それをベースにして再興した。最近何とかそれらしいものになって来つつありblogの良さも解ってきた。参考にしたテキストは次の2冊である。     青本は、JUGEMのブログ、茶本はgooのブログのガイド書である。今度始めたblogには日記的なものを、そして以前から使っているHPには比較的纏まった内容のものを掲載することにしている。当方は居住地周辺以外にはあまり出歩かないので、blogは文書中心の内容になるが止むを得ないだろう。
HPやipadをやり始めた時もそうだったが、老生はどうしても理屈に拘り、仕組みや操作手順を納得するのに時間がかかる。
加えてITものは、機種の如何を問わず、やたらカタカナ用語が多いのですんなりその意味と機能を理解・修得しにくい点もある。例えば、カテゴリー・テンプレートの選択・編集、モジュール、トラックバック管理、TEXTエディター、HTMLエディター等々である。
焦らず、徐々に、楽しみながらblogの良さを知り軽易に使えるようにしたい。

足のむくみ

2014-05-31 10:46:35 | 健康
4月以降両足の「むくみ(下腿浮腫)」が目立つようになっている。
以前から患っている「心房細動」の経過観察のため、月に一度専門医の診断を受けているので、先日担当医に「むくみ解消策はないのか」伺った。担当医はむくみ部分を指で押しながら「貴方は心臓弁膜症の疑いもあり症状軽減のための投薬服用もしているので、この程度のむくみは許容の範囲です。心臓疾患者の多くに観られる傾向は、体内水分(人体の約70%は水分)の調整機能が正常に働かないことです。貴方もその一人だから、運動及び寝不足防止・同一姿勢で机に向かい放し、塩分の摂り過ぎ等に気をつけ、就寝時は足の方を心臓の位置よりやや高くして休みなさい・・」との指示も受けている。
概ねそうしている。昨夜も寝る前に指で押し込んだら、部位によっては2cm以上もへこみ、戻りが遅い。浮腫が進行しているのかも知れない。担当医の指摘はそれなりに正しいのだろう。でも、他により効果的な治療法がないか、来週以降市内の総合病院で専門医の診察も受けてみることにしたい。

人夫々の信仰心

2014-05-31 09:25:09 | 信仰
当方は信仰とは、「何かの宗教を受け入れてそれを生活信条の中心にした考え方・生き方をすることだ」と思っている。では宗教とは何か、人間に何故宗教や信仰が必要か否か、疑問の輪が広がるがここではそのことには触れないでおく。
我家は、当方を除き娘達その家族を含めオールクリスチャンである。約50年前、都内神田のYMCAで挙式した祭、妻は既に洗礼を受けていた。結婚後故あって挙式時の司式牧師宅に暫く世話になっていた頃、そのK牧師に「貴方もまず、信じなさい。さすれば心も豊かになり生き方も変わるのだから・・」と何度も諭された。その後も妻達が世話になって来た別の牧師諸氏から同様な説論を受けた。しかし、その勧めを受け入れることなく今日に至っている。
所詮、信仰はその人の心に関する問題だから、他律ではなく自律的に何かを信じて求めたいと思う「時期・場合」に求めれば良いのではないか。受入れの時期の遅速は問題ではなかろう。反社会的な教義集団でない限り、どんな宗旨の信仰を受け入れるか、それは基本的にはその人の意思によるべきだろう。では、貴方は何を信じているのかと問われた際は、私は「仏教」わけても「般若心経」を信じていると答えている。何故なら僅か300字足らずで書かれている「般若心経」には、人の心のあり方から三世(過去・現在・未来)や無限世界に関する真髄が凝縮して説かれており、時に無声で称えることにより「然り」と思えるし心の平安を感ずるからである。
これ迄この関連の参考本もかなり読んだ。教本を見ずに全文を書くことも称えることも出来るのが老生のささやか誇りでもある。

住めば都

2014-05-29 09:14:10 | 環境

再就職後、東京都下の武蔵村山市から現在の千葉県浦安市に移り住んでもう11年になる。
前住所地の武蔵村山市大南地区は玉川上水に隣接していて、水清く自然林豊かな住み易い街だった。
この浦安市は現在人口約16.3万人、面積僅か17.29km²で市域は狭く、かつその約4分の3は1960年代後半以降造成された埋立地である。今住んでいる新町地区は最後の造成地で、浅い海浜地区だった地域の景観は造成後一変した。JR新浦安駅から東に伸びる片側3車線のシンボル通り沿いには、中高層マンションが立ち並び沿道の常緑樹も見事に育っている。我家への訪問者の中には一見外国の街並み風だと評する者もいる。
大手住宅サービス会社の調査によれば、浦安市は関東では「住好感度10位」県内では第1位にランクされている。
都心迄快速で16分と交通も至便だ。だからこの地からの通勤者は、「千葉都民」と評されることもあるようだ。転入当初の頃は、歴史文化や自然性を感じない景観に全く潤いを感じなかった。しかし、年月と共に現代を生きるにはこの街が、最適の住環境だと思うに至ったし、この街を終の棲地と決めて良かったと実感している。


同郷の後輩へのレクイエム

2014-05-28 11:12:27 | 人生

T君が喉頭癌で逝去されたのを知ったのは 26日の葬儀が終ってからだった。当方はT君の兄S君とも親交があるのに何故じ後連絡でしか、T君の消息を知り得なかったのか聊か残念だった。この訃報のじ後連絡には、兄弟不仲関係が原因しているようだった。幼少期に父親を亡くした兄弟が不仲になったのは、もう40年も前のことである。


詳述は省くが、長兄のS君が弟T君の結婚のことで、良かれと思って何度か仲立ちをしたその好意の何処かに、T君としては終生許せない理由があったようだ。以来、実母が逝去された時も含め不仲の始まり以降、T君は一度も帰省せず、70年の生涯を終えてしまった。


葬儀後T君の奥様からお知らせの電話を頂いた。「・・主人は頑固な人で1年前頃から闘病中も、実家や同郷の知友人には絶対他言無用だと厳命されていていましたので事前の連絡が出来ず失礼しました・・」とのことだった。確かにご兄弟は共に「頑迷固陋で一徹」な一面があったことはお互いに認めてもいた。


しかし、そんな間柄をよく知る先輩としての自分が、何故、両君の和解の取持ちをこれ迄真剣にしてあげられなかったのか、今にして後悔することも多々ありである。
「義を見てせざるは勇無きなり」ではなかったのか、反省し悔やまれてならない。
本当は誰よりも故郷への想いが強かった筈のT君・・兄さんとの仲直りの手伝いが何も出来なくて申し訳ない。ごめんなさい・・祈るご冥福・・合掌