HPやipadをやり始めた時もそうだったが、老生はどうしても理屈に拘り、仕組みや操作手順を納得するのに時間がかかる。
加えてITものは、機種の如何を問わず、やたらカタカナ用語が多いのですんなりその意味と機能を理解・修得しにくい点もある。例えば、カテゴリー・テンプレートの選択・編集、モジュール、トラックバック管理、TEXTエディター、HTMLエディター等々である。
焦らず、徐々に、楽しみながらblogの良さを知り軽易に使えるようにしたい。
再就職後、東京都下の武蔵村山市から現在の千葉県浦安市に移り住んでもう11年になる。
前住所地の武蔵村山市大南地区は玉川上水に隣接していて、水清く自然林豊かな住み易い街だった。
この浦安市は現在人口約16.3万人、面積僅か17.29km²で市域は狭く、かつその約4分の3は1960年代後半以降造成された埋立地である。今住んでいる新町地区は最後の造成地で、浅い海浜地区だった地域の景観は造成後一変した。JR新浦安駅から東に伸びる片側3車線のシンボル通り沿いには、中高層マンションが立ち並び沿道の常緑樹も見事に育っている。我家への訪問者の中には一見外国の街並み風だと評する者もいる。
大手住宅サービス会社の調査によれば、浦安市は関東では「住好感度10位」県内では第1位にランクされている。
都心迄快速で16分と交通も至便だ。だからこの地からの通勤者は、「千葉都民」と評されることもあるようだ。転入当初の頃は、歴史文化や自然性を感じない景観に全く潤いを感じなかった。しかし、年月と共に現代を生きるにはこの街が、最適の住環境だと思うに至ったし、この街を終の棲地と決めて良かったと実感している。
T君が喉頭癌で逝去されたのを知ったのは 26日の葬儀が終ってからだった。当方はT君の兄S君とも親交があるのに何故じ後連絡でしか、T君の消息を知り得なかったのか聊か残念だった。この訃報のじ後連絡には、兄弟不仲関係が原因しているようだった。幼少期に父親を亡くした兄弟が不仲になったのは、もう40年も前のことである。
詳述は省くが、長兄のS君が弟T君の結婚のことで、良かれと思って何度か仲立ちをしたその好意の何処かに、T君としては終生許せない理由があったようだ。以来、実母が逝去された時も含め不仲の始まり以降、T君は一度も帰省せず、70年の生涯を終えてしまった。
葬儀後T君の奥様からお知らせの電話を頂いた。「・・主人は頑固な人で1年前頃から闘病中も、実家や同郷の知友人には絶対他言無用だと厳命されていていましたので事前の連絡が出来ず失礼しました・・」とのことだった。確かにご兄弟は共に「頑迷固陋で一徹」な一面があったことはお互いに認めてもいた。
しかし、そんな間柄をよく知る先輩としての自分が、何故、両君の和解の取持ちをこれ迄真剣にしてあげられなかったのか、今にして後悔することも多々ありである。
「義を見てせざるは勇無きなり」ではなかったのか、反省し悔やまれてならない。
本当は誰よりも故郷への想いが強かった筈のT君・・兄さんとの仲直りの手伝いが何も出来なくて申し訳ない。ごめんなさい・・祈るご冥福・・合掌