20001年の元旦から毎日、平均300~400文字程の日記を書き始めて今年でもう15年になる。その日に書けなくて、後で時には2~3日分を纏めて書くときもある。思えば結構続いているものだと思う。新潮社が毎年発行している文庫版(白紙の各頁に月日と曜日のみが
印字されている)を用いて書いている。日誌に綴っているのは、その時々印象に残った事柄に関する略記や雑感が主である。書き続ける主目的は二つ。 ・呆け防止と・自分史の一部として家人達に残す為である。
但し、家人等が当方亡き後、不要と思えば破棄するもよしで、このマイブックのじ後処置のことは解らない。書棚に並んでいるこの私本を時折、何気なく手にして読み返す時もある。読んで改めて感じたり、為になることも又多い。
先日、孫が生まれた年(2003年)にどんなことを書いていたのか、同年の日記を手にして斜め読みしていたら、9月26日の日記に「塩爺の名せり」とのタイトルで書いた記事が目に留まった。
塩爺(愛称=塩じい)とは、当時第一次小泉内閣の財務大臣で、内閣の重鎮としての存在感も抜群だった「塩川正十郎代議士」(H27.9.19、享年93歳)のことである。
その塩爺が、第一次小泉内閣改造時、総理から高齢にも拘わらず手腕を買われて続投を要請されたが就任を固辞し、その後の記者会見の際、退任理由を問われた記者団に対し、当の塩じいは、要旨次のような引退のセリフを残している。
「人生のホイッスルが鳴る迄未だ若干のロスタイムがあるのではないかな・・節制すれば未だ若干は長生きする気がする。しかし、お役目はこのくらいにして、そのロスタイムを大事に使いたいんですよ・・・」と。
このコメントを聞いた小泉総理は、「寂しいと同時に塩川さんらしい潔い見事な引き際で敬意を表する」との所感を述べたと当時の新聞は伝えている。
当方は、その日の新聞報道を引用した日記の末尾に、ご両人の所感はどちらも実に味のある言葉だ。確かにそれ相応の立場にある者は、いつ迄も地位・立場に居座り続けるべきでない。人生のロスタイムを控え、塩爺はそんな人生哲学を以て傘寿直前に政界から引退することを前々から決めていたのだろう・・と書いている。
立場は塩爺とは天と地程の開きはあるが、自分も既に80歳。塩爺流に云えば確かに「人生のロスタイムを真面に考える時期」に入っているんだな・・・。ならば、そういう時期を迎えている自分に正直に向き合おう。でも生きることに執着する訳ではないが、折角与えられた尊い命だから、これを大切に守りつつ、「人生のロスタイム」の幅と奥行きを今少し頑張って伸ばして行きたいものである。
自分には、あとどの位のロスタイムが残されているのか、長くはなかろう。それは運命の神のみが知ることだが、13年前のある日の日記を読み返しながら前記のようなことを再認識した次第である。