疲れている。頭も体も。
もはや、老猫の呆けっぷりが酷い、「母さんが夜なべをして~♬」ではなく、「猫さんが夜鳴きをして~」、いや、ひっきりなしに、昼夜関係なく、一日中お腹が空いたと大声で鳴いている。
そして、睡眠を削って食べさせている。若いのならともあれ、老衰で「自力で食べられない=死」でももう良いと思うが、猫が空腹が我慢できないでがーがーと騒ぎ続ける。私にとっては地獄と忍耐の罰ゲームの日々が続く。
動物ですら老醜を感じる。自分の良心、愛情と忍耐を試されている。
◆9月23日(水)雨から曇りへ。24-20℃
辛い強制給餌は今日で一年経過した、まだまだ続くだろう、この猫は全てを私に頼り切り、自立していないのに、生きる気が満々だからだ。
結局のところ、問題の台風が海から上陸しなかったことは助かった。
雨で一日中暗い、気温の変化もこの一週間で激変、猫には保温ヒーターを出す。
そして今日は、あまり好きではなかった、ある親族の命日であり、その人がさっさと先に(手遅れになるまで治療せずに、手遅れになってから大騒ぎ)病死したおかげで、今、自分はその人の親戚関係で苦しんでいる部分がある。逃げたその人が勝ちである。
あれから5年経った。なぜ自分が生きているのか、この5年に、その人より生きて、何か良い事があったのか。
だが、生きてこそなのだ。死んだら良くも悪くも試合終了、何も出来ない。
◆9月24日(木)雨。21-19℃
猫は食べさせても、夜じゅう鳴き続けている、明け方まで餌をやり、その後、それを布団の中で聞いている。そして、一日がまた始まる。その繰り返し。
近頃、脳が疲れすぎて、何を繰り返して叩きこんでも、頭に入らない。
雨は引き続き、降り続いている。ノロノロ台風は海上から回って動かない_| ̄|○
そして、コロナが消える日なんかないように思う。やがてインフルと同じ扱いになるのではなかろうか。
また時間だ。何をしても、猫は一晩中吠えている。
ざるに水をくむ作業とはこのことだ。ため息。
それにしても、天変地異、コロナ、そしてあらゆる詐欺の横行(ドコモ、点検などを装った強盗)世情も余りに暗すぎる。
◆9月25日(金)雨。21-18℃
何時ものお世話が始まる。
雨が降り続き、気温は落ち、いよいよベーキング、ガスコンロが懐かしい季節になった。
どのみち、猫のために一日中台所にいる、気温も低く、重い腰を上げて、冷蔵庫やパントリーの整理をする。
小麦粉は鮮度が命だし、食べ飽きた干したプルーンをいい加減に片付けたい。ラム酒や、ワインで戻す、今日はあり合わせで梅酒。そして適当に焼く。
これで週末、おやつやパンを買うことはない。何よりも焼いている時に部屋がほんのり暖かいのと、ベーキングの匂いが良い。
猫は丁度満腹で大人しい、尻尾を合わせていて可愛い♡
そういえば「のだめカンタービレ」再放送も今週で終わるが、私と同じメトロノーム発見!
こういう偶然の一致が嬉しい。しかし近頃は、音楽も、何もはかどらない。
何かに取り組んでも、すぐに給餌の時間が来る。時には2時間おきか?もう、ヘトヘト。
無料の市民や学生の主催のコンサートも消えた、ま、今やることは無謀だ。全く楽しい事がない。
夕方一息つく。
ふと、ラフマニノフは良いなぁと。ピアノ(有名なピアノ協奏曲第2番 浅田真央さんや「のだめ」で有名)も良いが、クライスラーに贈ったコレルリの主題による変奏曲とか、「ヴォカリーズ」作品34の14とか良い曲だらけ。
以前に好きだった事を久しぶりに思い出すが、ゆっくり考える時間がない。思い出しても、話す人もいない…。
◆9月26日(金)曇り。夜8時から雨。22-19℃
気温が下がりだすと、庭にスズメたちが集まりだす、夏には見向きをしなかったインコのこぼれた餌が目当てなのだ。
しかし、こいつの世話だけでもう手一杯。内心は、餌を待ちきれない、吠えるような、犬の遠吠えのような催促する大声を聴くだけで嫌になる、それでも、この手でせっせと手厚く手当てしている事には変わりはない。
今日はレッスンの日だ、先週同様、少し練習するが、レッスンの時間間近まで疲れて、つい寝てしまう。
お腹のすいた猫の騒ぎで、出発ギリギリまで給餌。
コロナ患者数の増加したニュースを聞きながら出発。土日は、その東京からの遊びに来た人達で、道は大混雑している。
親しくしていた御宅、主亡き家にも、彼岸花が忘れずに咲いている。
到着。
先生は時間以上に見てくださった、しかし、なかなか進まないし、おまけで合格を頂いても嬉しくない。今、私を疲れさせている、猫やら、病気やら、色々の雑多な苦悩は、学習には関係ない事だ、弾けてなんぼなのだから。
しかし、ざるに水をくむように、教えていただいたことが、近頃、身に着かない、満腹中枢のおかしいもじゃ公の空腹感のようにとどまらない、右から左である。唯一の生きる楽しみが疲れ切って駄目になってきた。
レッスン後。
大好きな紅玉が出回っていた(喜)、青切りミカン、栗を買って帰宅。ついに秋が来た、秋の香りがする。色々買いだめをする。
帰宅してウンザリする、
猫は手の消毒も待てない、着替えや食品を片づける間も、がーがー餌だと鳴きわめいている。全てが終わる時にぐったりする、復習も勿論出来ない。
土日は筋トレは休むが、筋トレは鬱に良いといわれるが、私に関してはあまり効果はない。そして、土日は暴食気味!
◆9月27日(日)曇りから雨。21-19℃
何時ものスタート!
栗を焼く。茹でるのでなく、焼く。爆発しないように切れ目を入れるが、やはり一部は爆発した。
幼い頃に食べた山に自生する自然の柴栗(日本和栗)を焼いたことをふと思い出したのだ。
文字通りに、火中の栗@爆発を拾うwww
さらに、炒った椎の実の美味しさも思い出すが、椎の実など入手出来ない、販売もされていないだろう。
私の記憶でも、椎の実のとれる大木は、故郷の川のほとりの神社に一本、そこで子供の頃に味を覚えたのだが、まず椎の木を見ない。
大学に入学したての頃だった、東京のお茶の水の「湯島聖堂」@昌平坂学問所、ニコライ堂の見える孔子廟の近くに一本発見し、実も落ちており、母と驚いた事があった。今もあの木はあるのだろうか?(建材用の杉などでなく、実のなる木が少し増えれば、熊などの野生動物も山を下りないだろうと。椎の木を見たのは2か所のみ。)
今日だって、故郷にも、お茶の水駅にも、「小さな旅」として行けないこともないが、このコロナ禍に、わざわざ行くべきではない。
大人しく練習した。
動画を観ると、沢山の人が2種類以上の教本で学んでいる、自分もその二本立て行くべきだろう。お互いの長所というか短所というか、両方を覗くと、それがわかる。
付属のCDを聞きながら居眠り少々w でも猫の世話がある。
ぐずついた天気は夕方には回復してきた。
空には月が上がってきた。
今日も、深夜の分があるが、もうひと踏ん張りで終わる!
有名人の自死が続いているが、心や体が低空飛行になれども、その時はいずれは必ず来るのだから、辛くても最後まで生き抜いて欲しいなとも思う、猫など、ひたすら真っ直ぐに生きるのみ、死の概念がない。
振り返った時に、平凡でも一つの歴史がある。ちっぽけな、歴史にも残らない歴史である。
そして、「失敗だらけの人生だった」と思っても、素敵な一コマも、その中には綴られている事を願って生きている。
ドラマ『JIN -仁-』より JIN - 仁- MAIN TITLE ORCHESTRA POSSIBLE
私も紅玉 みかんを昨日かってきました
母が元気で生きていたころは裏庭の栗をたくさん
送ってくれて栗ご飯も作ったものでした
栗は買って食べるものの感覚が今でもないのが不思議です
もう猫ちゃんの給餌f1年なんですね
ほんとにご苦労様です 並大抵ではないですね
私もお風呂の栓の閉め忘れでありますよ。
だって、台所にもスイッチがあり、わざわざ風呂にまで押しに行かないのでw
今年は栗も不作のようで、(この猛暑の真夏にレタスが不作なのには泣きましたが)
今回の栗は甘くないうえ、お高いです。
私の実家にも栗があって、大きくなって成れる頃に母が他界したので、そのまま売却です。
栗ご飯を作る人はマメです、栗は剥きにくいので、エライ!
猫の介護はね、ほんと猫だからこれですんでいる、
人の介護殺人がわかります、あと育児放棄とかも。
疲れますわ。
膨大な御記事を全部拝読したわけではないのですが、
引き籠りの自分からしたら、驚きの記録であります。
素敵な人生の記録ですね♡
また、史実にもお詳しい。
パブの写真は持ってはいるのですが、実際に行かれたのですね、うらやましい。
コメ返にも書きましたが、ぜひ拝見したいです、が、
記事の書く順番などもあると思うので、
管理人様のご都合でアップでよろしいです。
わざわざコメントありがとうございます。
(エミリー・ブロンテの命日が、私の誕生日なんですよ。イラナイ余談w)
パトリック・ブランウェルは不倫をしたり、飲酒で肝臓やられたり、悲しい記録しかないのですが、
ブロンテ三人姉妹が銘々、作品を残してくれたのはありがたい事です。
今のようにSNSもなく、女性が作家になる、作品を発表するのも大変だったと思います。
男性名をペンネームにしたりね。
私は嵐が丘の舞台で有名な場所、ギャザリングワイツの舞台になった、ヒースの野原を見るのが夢ですが、夢で終わりそうです。
酒場のアップありがとうございます!
ブロンテ以外も、記事は全て面白いですよ、
たまたま、ブロンテで米を入れただけで、全ての旅行記が良いです、
沈黙の読者様もそう思っているはずです。
頑張って更新し続けてください♡