MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯328 ユーロはなぜ上手くいかないのか

2015年04月06日 | 社会・経済


 2002年に誕生したヨーロッパの統合通貨ユーロ。そのユーロが作りあげた経済圏が、参加国の財政破綻などを機に崩壊の危機に瀕しているとされてから、おおよそ5年の歳月が経過しようとしています。

 2009年10月のギリシア政権交代による国家財政の粉飾決算の発覚に端を発するユーロの信用低下問題は、スペイン、ポルトガルなどユーロ加盟諸国の経済に広く波及しました。また、2011年に、ユーロ圏第3位を占めるイタリア情勢の深刻化などが世界的な金融危機に発展するのではないかとの不安をもたらせたのは、私たちの記憶にも新しいところです。

 今年の1月25日にギリシアの総選挙で急進左派連合(SYRIZA)が勝利したことを受け、大手メディアはこぞってユーロ危機再来への懸念を伝えています。スペインやイタリアなどではいまだ景気回復がもたつくなどユーロ圏全体が停滞ムードにある中、債務危機の震源地であるギリシア政局の混乱が危機の再燃に火をつけるのではないかとの懸念が大きくなっています。

 さて、こうしたユーロ危機に関する過去の資料を当たっていて、2012年1月4日の「日経ビジネス」誌面において行われた、ジャーナリストの池上彰氏と東京大学名誉教授(経済学)の岩井克人氏の対談が目にとまりました。

 今から既に3年ほども前の記事になりますが、岩井氏はこの対談で、混乱する欧州経済圏と統合通貨「ユーロ」の本質的な問題点を経済学者の視点から判り易く説明しているので、備忘のため改めてここで整理しておきたいと思います。

 そもそも、ヨーロッパ各国の指導者層はなぜ通貨を共通化しようとしたのか。そうした疑問に対し岩井氏は、歴史的に培われたヨーロッパ域内の「政治的」な意志の強さを挙げています。

 二度にわたる世界大戦やその後の東西冷戦のように、ヨーロッパ域内で隣国同士が戦い合うような事態はこれから先何としても避けなければならない。そのためには、ドイツとフランスとのパワーのバランスをとるための仕組みが必要だと、ヨーロッパの指導者層は考えたということです。

 岩井氏によれば、その具体策として経済大国となったドイツの力を抑え、ユーロという枠組みに押し込めてドイツとフランスとの確執を埋没させたうえ、両国の経済力をエンジンに「統一ヨーロッパ」という強い経済圏を創出しようとする政治的な要請が、共通通貨「ユーロ」という形に結実したということです。

 しかし、こうしたヨーロッパのインテリが抱いた政治的な「夢」と、一般の人々が暮らす「現実」との間に存在した予想以上の大きなギャップが、現在まで続くユーロの不安定さの根本的な原因となったというのがこの問題に対する岩井氏の基本的な認識です。

 岩井氏は、統一通貨ユーロ試みが(今のところ)上手くいっていないのは、通貨統一という本来ならば時間をかけなければいけない事業を、いかにも拙速に進めてしまったところにあると見ています。

 ユーロ実現が(実態経済の調整を超えて)加速された理由として、氏は、1990年代、東西冷戦の崩壊によって世界経済が「アメリカの時代」になったことで、ヨーロッパの指導者層が強い焦りを覚えるようになったことを挙げています。その焦りがドルに対する対抗意識を生み、基軸通貨ユーロによる「ユーロ経済圏」を一刻も早く作って「アメリカ=ドル経済圏」と対抗しようという、強い動機に繋がったということです。

 さて、一方で岩井氏は、複数の国の通貨を共通化する政策は、環境さえ整えばうまくいくケースも多いと指摘しています。

 例えば、日本の明治維新政府による(円による)通貨統一の実績です。江戸時代には、江戸は金、大阪は銀と、事実上一国に2種類の貨幣単位が存在していました。さらには地域では、各藩が発行する「藩札」が流通していたうえ、年貢(租税)として集められていた「米」自体も、武士の俸禄として支給されるなど(一種の)通貨として扱われていました。

 岩井氏は、そうした日本において通貨統一が上手くいったのは、通貨の統一と同時に「労働力の移動」が頻繁に起きたからだと説明しています。

 江戸時代まで、日本人は幕藩体制のもとで自分の住んでいる土地に縛りつけられており、移動の自由はありませんでした。しかし明治政府は、通貨統一と相前後して、国民に移動の自由を認めることにしました。日本の人々は以降、どこに住んでもどこで働いてもいいということになったのです。

 岩井氏によれば、経済学用語に「最適通貨圏」という言葉があるということです。ある地域で共通通貨を維持するためには、その地域内では、資本や労働力が自由に動くことが前提でなければならないとする考え方を指す言葉です。

 明治期の日本では、通貨の統一と同時に、人々と資本とが移動し、経済活動が活発なところに労働力と資本とが投下されるようになり、労働力のダイナミックな移動が、経済の地域間調整を行ってきたと岩井氏は言います。

 資本が動き、それに合わせるように人々が動く。そして、資本が投下された場所に労働力が集約され、経済が活性化していく。その繰り返しにより、江戸時代には経済的には必ずしも統一していなかった日本が、ひとつの通貨のもとに経済活動を行う(ひとつの経済圏にまとまった)国に変身し先進国になったということです。

 もちろんその成長と引き換えに、たとえば島根県は過疎化し、東京や大阪には過剰といわれるほど人口が集中しました。(現在の地方創生の議論が示すように)それがいいか悪いかはまた別の問題として、こと経済の側面から眺めると、それは必然的な流れだったというのが岩井氏の認識です。

 一方、ユーロの失敗の原因を、岩井氏は「そこ」に見ています。

 ヨーロッパ経済を通貨で統合しようと考えたヨーロッパのインテリ層の理想と、通貨は統合されても国どころか地元からさえ離れないヨーロッパの普通の人々との現実との間には大きな認識の違いがあった。まさに「知性の失敗」が一連のユーロ危機の大きな原因となったのではないかと、氏はこの対談で指摘しています。

 ヨーロッパのインテリ層、指導者層とっては、ヨーロッパ域内はもちろん、世界中を自由に移動するのは当たり前のことだったと氏は述べています。

 だからこそ、ユーロを構想したヨーロッパのインテリ層は、ヨーロッパ中の人々が資本(ユーロ)の動きや仕事の重要に合わせて域内を自在に移動するものと想定していた。しかし、現実のヨーロッパの普通の人々には、雇用調整のために地域や国境を超えるという生活感覚が理解できなかったということです。

 国々をまたいで通貨を統一しても、国々をまたいで労働力は移動しなかった。その一方で、通貨が統一されているが故に、例え不景気になっても各国単位の財政政策は有効な景気対策とはなりえない。ユーロ圏諸国がこうした矛盾に直面している現状を見ていくと、ユーロ危機は、起こるべくして起きたようにも感じられると、この論評で岩井氏は述べています。

 ヨーロッパは文明が早くから発達した地域であればこそ、文化的には大変な多様性が存在しているということです。そんなヨーロッパ域内で人間が自由に動くようになるには、実際には多くの時間が必要とされると氏は考えています。

 まず、労働力の移動をもっとゆっくりじっくりと促してからユーロを導入する、という順番であれば、もっとユーロはうまくいったかもしれない。たとえば、導入が20年後だったら、ひょっとするとユーロ圏は第2のアメリカ合衆国になったかもしれないとする岩井氏の指摘を、私も改めて興味深く読んだところです。




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