MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1795 ワイドショーの仕事は不安を煽ること?

2021年01月29日 | テレビ番組


 新型コロナウイルスの感染者数の拡大などを受けた新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」も、2月7日とされた当面の期限まであとわずかとなりました。

 新規感染者数の状況は(一時よりも収まってきたとはいえ)いまだ一進一退を繰り返しており、死者数や重症者数、専用病床の使用率などといったその他の指標も、なかなか改善に向けた動きに繋がっていないのが現状です。

 そうした中、新聞やテレビなどの様々なメディアなどからは、「もう1か月」「少なくとも2月いっぱいは」といった期間延長への声が聞こえてきますが、(政府も正直、神様ではないのですから)すぐに判断しろと言われてもなかなか難しい状況にあるのは想像に難くありません。

 一方、折しも始まった国会における議論を見る限り、野党からは「政府の対応は甘すぎる」「(自粛などといった甘っちょろいものではなく)強い態度で国民の行動を規制すべきだ」など、(行動規制に対し)政府により厳しい態度で臨むよう求める主張が相次いでいます。

 議論の中には、「総理が原稿を見ながら答弁しているから国民に気持ちが伝わらない」「国民が自粛要請に協力しないのは総理の話しぶりのせい」といった乱暴なものもあるようですが、普段はリベラルな政策を主張する人たちが、公共の福祉のためなら「国民の自由を奪っても構わない」と、なんの衒いもなく声高に主張していることには(ある意味)驚きを禁じえません。

 さらに言えば、野党各党は(それにもかかわらず)改正特措法の政府案に明記された「時短要請に応じない事業者や入院拒否を続ける感染者に対する刑事罰の適用」には強く反対しているというのですから、与党から「ご都合主義」と言われても(それはそれで)仕方がないことのような気もします。

 いずれにしても、なぜこうした(感情的にまかせた)議論が国民を代表する国会で延々と繰り返されているのか。

 先日(本当に久しぶりに)、平日の昼間に放送されているテレビ各局のワイドショーを並べて眺める機会がありました。そして、そこで繰り広げられている代り映えのしないやりとりを見て、「なるほどな」と合点がいったところがありました。

 「専門家」という立場から、医師や大学教授などを1~2人。論客といった立場から元政治家や弁護士などを招き、議論をたきつけるジャーナリストをもう一人。さらに、お笑い界や芸能界から(世論を代表させる)素人キャラをキャスティングしてコメンテーター陣は完成です。

 まずは、自粛下にもかかわらず賑わう繁華街などを現地リポートし、新橋の酔っ払いサラリーマンなどにインタビュー。次に多くの方が亡くなっている欧米の状況や国内の医療現場の混乱などを専門家に報告させ、スタジオは一気に深刻モードに変わります。

 そこに、はっきりした物言いで名を挙げたタレント上がりの看板MCが登場。フリップなどを使って、現状がいかに困った状況か、このまま行ったらどうなるのかと視聴者の危機感を煽り、(常識的な中高年を代表して)感染拡大に理解のない若者世代を糾弾していく。

 そして、返す刀で、国民に厳しい姿勢を示すことに躊躇したり、飲食店などへの営業補償をけちる政府の無能さを(一方的に)あげつらうというのが彼らのやり方です。

 視聴者は、時に笑いや切り取られたインタビューを取り混ぜる進行の巧さに乗せられて、(情報番組というより)エンターテイメントのノリとは知りながらも、ついつい引き込まれてしまいます。気が付けば、悪いのはコロナではなくて、政治家や政府の無能さなのだと刷り込まれてしまっているのは私だけではないでしょう。

 国会論争も、結局のところそうした流れの中で、テレビの情報番組の枠組みから離れられない小さな議論を続けている。新規感染者の拡大という毎日の数字の中で見落とされている社会正義や利害の対立、さらには財源や効率の問題など、もう少し複雑で入り組んだ現状に対する議論を深めるべきと感じるところです。

 実のところ、(もちろん)そのような印象を持っているのは私ばかりではなくて、コロナウイルスに対する国民の不安を煽り、それを商売の材料として消費していくメディアの態度を苦々しく感じている人も多いようです。

 落語家の立川談慶氏は1月27日のPRESIDENT Onlineに寄せたコラムにおいて、「不安をあおるだけのマスコミ報道は、一体何がしたいのか?」と話しています。(2021.1.27「なぜ、日本の政治家はバカばかりで、あなたの妻の性格は悪いのか?」)

 前回とは異なり今回は緩やかな措置が多い緊急事態宣言下において、どうにも解せないのがマスコミ各社の報道姿勢だと、立川氏はこの一文に綴っています。

 前回ほど厳しくないのだから前回より人出は多くなるのは当然で、子どもでも想像できる。なのに、「以前に比べたら人出が増えている」→「気の緩み」という結論を躍起になって導き出そうとしているメディアの姿勢に、氏はとても違和感を覚えるということです。

 これから先、逆に人出が少なくなったら、今度は飲食店関係者に「景気はますます悪くなる」という答えありきのインタビューでもするに違いない。テレビ局の人たちは一体何をどうしたいのかと、首をかしげたくなるというのが氏の見解です。

 人出が多くても、少なくても、結局のところ視聴者の「不安」をあおることが彼らの目的だとしか考えられない。そもそも「人手が多い=気が緩んでいる」という考え方にしても、とても短絡的ではないかというのがこのコラムで立川氏の指摘するところです。

 夜の繁華街や休日の行楽地に向かう人の中には、遊ぶのではなく働くためにコロナ対策を万全にして向かう人だっているはず。エッセンシャルワーカーを含めて、リモート化できない職種の人たちのことを思い浮かべてみるべきだと氏は言います。

 テレビ番組では、「ターミナル駅に向かう人の流れの映像」を流した後に、コメンテーターは当然のように「気が緩んでいる」というコメントを重ねていくが、自身を乗せて自宅と局とを往復するタクシーの運転手さんもその中の一人なのかもしれないことに思いを致すべきだということです。

 兎にも角にも、新型コロナウイルスは確かに肉体的に怖い疫病であることは間違いないが、精神的にも、かような形で社会を分断させてしまっているという意味において、彼らは非常に厄介で罪深い存在だと氏は指摘しています。

 さて、そうは言っても長引く自粛生活を考えれば、世の中を正義と悪という単純な構造に二分して、だれかを攻撃することをネタに商売をする手法もボチボチ飽きられてくる頃合いです。

 そして、飽きられてきてしまっているからこそ、人々の緊張感は失われ、自粛に向けた気持ちも萎えているのかもしれません。

 日本国内で新型コロナ感染症が流行の兆しを見せてから、早1年の月日が経とうとしています。ウイルスの特性や必要な対応などについても、この1年でいろいろなことがわかってきました。

 もうすぐ接種が始まるワクチンの試験結果は上々とのことであり、(私自身も)今やるべきことは悪者探しや分断ではなく、混乱が少しでも少なくなるよう協力して対策に取り組むことではないかと考えるところです。

 主に高齢者の方々や女性層を対象としたワイドショーなどの情報番組作りに心血を注ぐ多くのメディアの皆さんには、そうした現状をよく理解していただいて、そろそろ違ったパターンの番組作りを考えていただく時期が来ていると思うのですがいかがでしょうか。



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