MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1188 ポツンと一軒家

2018年10月11日 | テレビ番組


 広く使われている行政用語に「限界集落」というものがあるそうです。

 過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者となり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある(つまり維持できる限界を迎えた)集落を指す言葉だということです。

 実は、限界集落には段階が存在していて、(1)55歳以上の割合が半数を超えている段階を「準限界集落」、(2)65歳以上の割合が半数を超えている段階を「限界集落」、そして、(3)65歳以上の割合が70%を超えている集落は「危機的集落」と呼ぶ場合があるということです。

 政府・与党の「地方創生」の掛け声のもと、国土交通省と総務省では5年ごとに限界集落の集計を行っています。2016年の調査によると、現在の日本の限界集落の数は1万4375に及び、2010年~2015年の5年間で190の集落が消滅したとされています。

 また、2011年時点の限界集落数は1万91集落だったことから、同じ5年間で4000を超える集落が新たに限界集落となったことが判ります。(恐ろしいことに)実はこれは割合で言えば全国の市町村の22%を占めており、さらに今後増える見込みとだということです。

 因みに、現在、限界集落の割合が最も多い地域は四国で、集落全体の3.8%にあたる2426集落が限界集落とされています。また、中国地方でも3829集落、九州地方では3045集落の限界集落を数えるなど、特に西日本を中心に限界集落の問題が顕在化している状況が見て取れます。

 限界集落が生まれる最大の理由は、もちろん人口の流出です。若い世代が就学や就職、結婚などで集落を離れ戻ってこない。生活を維持することへの負担が大きく限られた仕事しかない故郷を後にして、都市部での生活を選択する若者が増えているということでしょう。

 また一方で、こうした限界集落の空き家などに新しく移住しようと考える人がいても、実際はそう簡単にはいかないようです。

 集落には集落の共同体があり、家々のつながりや協力関係の下で集落の様々な仕組みが維持されています。特に限界集落では人と人との結びつきが強く、外部の人を警戒する人が少なからずいるため、外から移り住んだ人はコミュニケーションに苦労し、受け入れる側も馴染んでいくのに時間がかかるケースが多いということです。

 さて、近年のテレビでは(制作費があまりかからない)のバラエティ・情報番組が増えていると聞きますが、地方創生のムーブメントもあってか、ここのところ(一時はあまり見かけなかった)田舎暮らしを紹介するような番組が改めて増えてきているような気がします。

 ゴールデンタイムのNHKから深夜のテレビ東京まで、有名無名のタレントやディレクターがカメラを片手にいきなり田舎の町を訪問し、そこに暮らす人々との出会いや(少しズレた)やりとりを楽しむという企画です。

 中には(田舎を馬鹿にしたような)趣味の悪い番組もあるのですが、そうしたものの中でもたまに見かけるとつい(最後まで)見てしまう番組に「ポツンと一軒家」というものがあります。

 全国各地の人里離れた場所にある(ポツンと離れた)一軒家を衛星写真から探し出し、スタッフがそこを訪ねてその家に暮らす人や家族の生活を取材するという、(タイトル通りの)かなりストレートでシンプルな内容です。

 実は、先日時事通信社の行政誌「地方行政」(10月4日号)に目を通していたところ記事の中でこの番組に触れられており、私と同じ問題意識からこの番組に注目していた人がいたことに少し嬉しくなりました。

 山奥だったり離島だったり、いずれにしても生活するには相当不便な人里離れた場所で住民がポツンと一軒家で暮らし続ける理由は、結局そこが好きだからという一点に尽きるとこの記事は説明しています。

 多大なる不便があっても「好き」という背景にはその人や家族の人生があって、どれも聞くに値するストーリだという点も共通しているということです。

 ポツンと一軒家は、いわゆる「限界集落」の概念を超える究極の過疎の姿と言える。現行の地方自治制度では中心市街地からどれだけ離れていようと、人が住んでいれば行政サービスを提供しなければならない。

 そして、これから人口減少が進んでいけばポツンと一軒家は各地で増え、行政サービスのコストはさらに膨らんでいくだろうという指摘がそこにはあります。

 そういえば、番組で紹介される(相当孤立した)ポツンと一軒家でも、そのほとんどに道は通じているし、電気や水道も通っています。たった1軒の家のために、何百万円、何千万円もかけてこうしたインフラを維持していくのは本当に大変なことでしょう。

 一方、人口が減れば、市役所や町村役場の職員も今までの体制は維持できなくなる。マンパワーの不足が行政コストの増大に追い打ちをかけることになりかねないと記事はしています。

 高齢者にはできるだけ便利な中心市街地に移住してもらおうと考えても、(「ポツンと一軒家」に出てくる住民ではありませんが)住み慣れた土地への「思い」を押しのけて移住を強制するわけにもいかず、現実的な選択とはなりえていないのが現状だということです。

 本格的な人口減少社会の到来に備え、国はすべての市町村が同じ水準の行政サービスを提供する「フルセット主義」から脱却する必要があると訴えています。

 そこで想定されているのは、できないものはできないと降参して身の丈に合った行政サービスに縮小していくとともに、どうしても足りない部分は「圏域」の市町村や都道府県に委ねようという仕組みです。

 しかし、もしも市町村がフルセットの丁寧な行政サービスを提供できなくなった場合、一体誰が、最も手間のかかるポツンと一軒家まで生活に必要なサービスを届けるのか。

 町村役場には、あそこの家には〇〇さんのご夫婦が住んでいて、こちらの林道の突き当りには足の悪い〇〇さんのおじいちゃんが一人暮らししているなどと、一人一人の顔が見える地域のリアルがあるわけです。

 コンパクトシティ化など、方法論としての地方行政の効率化が叫ばれて久しい昨今ですが、そこからはもはや過疎地域や限界集落を社会や行政の「お荷物」として扱う発想しか見えてこないのも事実です。

 その一方で、 「ポツンと一軒家」がこうして人を惹きつけるのが、日本人が失いかけている故郷への郷愁や自然と暮らすことへの憧れからであるとすれば、地域との「交流」や「理解」によって何か違う方策が生まれてくる可能性があるかもしれません。

 (少なくとも現在の議論からは)自然と折り合いながら過疎の農山村が守ってきた生活や文化の価値が置き去りになっているように思えてならない…そう結ばれた記事の指摘を、私も共感とともに受け止めたところです。



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