昭和一桁生まれで戦後の高度成長期をビジネスマンとして過ごした私の父は、60歳ですっぱりと定年退職。「あとは釣りをして過ごす」と宣言して海のすぐそばに竟の棲家となる家を建て、亡くなるまでの約10年間を本当に釣りばかりをして過ごした変わり者でした。
こちらも昭和一桁生まれの母は、そんな父のわがままに付き合って、慣れない土地に戸惑いながらもそれなりにのんびりと(現役時代よりも仲良さげに)暮らしていたのですが、父が亡くなったとたん(「田舎は嫌い」とばかりに)都内のマンションに引っ越し、90歳を過ぎた今でも都心の一人暮らしを謳歌しています。
とにもかくにも「老後」の過ごし方は人それぞれ。企業の定年年齢が65歳まで延び、70代の半数以上が就業している現在の状況を考えれば、「余生」と呼べる期間はあまりにも短いと言わざるを得ません。
いわゆる「現役」としての務めを終えたのち、わたしたちは残された(個人としての)時間をどう過ごせばよいのか。そんな読者の悩みに関連し、6月10日の(女性のための)生活情報サイト『婦人公論.jp』が、作家としての活躍する医師の和田秀樹氏の近著『60歳から女性はもっとやりたい放題』の一部を紹介していたので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。
「令和4年国民生活基礎調査」によると、同居家族の介護をする人のうち約3割が60代。(自身や夫の)親の介護から自由になったとしても、結婚している女性には別の「問題」が残されていると和田氏はこの著書で話しています。
それは、定年退職して家でダラダラ過ごす夫の存在。やっと子どもが自立したと思ったら、働きもしない夫が一日中家にいて飯だの風呂だの言ってくる。もちろん、深い愛情が残っていればそんな夫の世話も苦にならないかもしれないが、多くの場合、女性は「仕方ないからやっている」というのが本音だろうと氏は話しています。
それでも、多くの女性は「誰かの世話をする」ということが長年の習慣になっているのか、(あまり深く考えずに)その面倒なタスクを受け入れているように見える。まあ、夫のほうが先に旅立つ可能性は高くそれが永遠に続くわけではないにしても、「そのとき、あなたは一体何歳になっていますか?」というのが、この著書で和田氏の問いかけるところです。
70代、80代になって、「やっとこれからは自分の人生だ」と思っても、そこでやりたいことをゼロから始める気力・体力が残っているとは限らない。もしかすると、自分自身に介護が必要な状態になっている可能性だってゼロではないと氏は言います。
第2の人生は、誰のものでもない「自分の人生」であって然るべき。その人生の大半を誰かにせっせと尽くすことに費やすなんて、あまりにもったいない話だというのが氏の感覚です。
そもそもの話として、あなたは第2の人生でも今の夫と一緒にいたいのか? 私(←和田氏)は、60歳を契機に「このまま結婚生活を続けるか否か」を考えるのは(特に女性にとって)とても良いことではないかと考えていると、氏はこの著書に綴っています。
世の中の価値観が変わってきたとはいえ、多くの家庭では相変わらず女性が男性に尽くす構図が続いている。それでも夫が働いているうちなら、仕事に専念できるよう家事のほとんどを請け負ったりするのも多少のメリットはあるだろう。そのおかげで夫の稼ぎが増えていい暮らしができたとすれば、「尽くす」ことが必ずしも損な役割とは限らないと氏は言います。
けれども、相手が定年退職したあとその状況は一変する。大抵の場合、定年後の夫にたいした稼ぎは期待できない。それにもかかわらず、夫に尽くし続けることは、この先値下がりすることがわかりきっている株にせっせと投資するのと同じこと。つまり、このタイミングで夫婦のあり方を考え直さない限り、女性は単なる「尽くし損」になってしまう(可能性が高い)というのが氏の指摘するところです。
和田氏によれば、若い頃の結婚というのは、学歴や年収、年齢やルックスといった条件を重視しがちの由。実際結婚してみると、考え方が合わないなあとか、あまり会話が弾まないことも多いが、仕事や子育てに割く時間が多いので、多少相性が悪くても、案外なんとかなるものだということです。
ところが仕事や子育てがひと段落して、二人だけの生活が始まるとそうも言っていられない。夫婦間の相性の悪さがこれ以上ないストレスをもたらすと氏は話しています。
だからこそ、60歳あたりを契機に、「第2の人生でも今の夫と一緒にいたいのか」をちゃんと考えるべきではないか。(考えてみたうえで)とりあえず気心は知れている、だいぶくたびれてはきたけど結構話していて楽しいなどと、概ね「イエス」という前向きな結論を出せるのであれば、そのまま夫婦関係を維持していけば良いだけのことだということです。
相手が「楽しさ」とか「幸せ」という見返りを十分返してくれて、かつ、その人に「尽くす」ことが最高の喜びというのであれば、相変わらず「尽くす」ことになったとしても、それなりに意味のあることなのかもしれないと氏は言います。
まあ、(和田氏に言われなくても)多くの夫婦はそうした「迷い」の中で、それぞれの人生を選択しているのでしょう。
定年後の10年間を、二人で案外楽しそうに暮らしていた私の父や母も、(お互いに「完璧に満足」していたわけではないにしろ)それなりに意味のある余生だったのではないかと、和田氏の指摘に私も改めて感じたところです。
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