人気漫画『東京リベンジャーズ』は、2017年13号から2022年51号まで『週刊少年マガジン』(講談社)に連載されていた、累計発行部数は6500万部を超える若者に人気のマンガです。2021年にはテレビアニメ化され話題となり、2021年7月9日に公開された実写映画は9月26日には観客動員数328万人、興行収入43.8億円を突破。2021年公開作品の中で、実写No.1の興行収入を記録しました。
その内容は、今では希少な存在となった(いわゆる)「ヤンキー漫画」に属するもの。中途半端な人生を送っていた主人公が、ある日タイムリープ能力に目覚めて中学生時代へタイムスリップ。かつての恋人が半グレ集団に殺害されたという悲しい運命を変えるべく、その元凶となった暴走族チームで成り上がっていく姿を描いた作品です。
時代背景は、バブル経済崩壊の余波が続く2000年代の中盤。大人たちが作った社会からはみ出し、居場所を失った10代の少年たちが暴走族グループを結成。互いに抗争を繰り返す中で友情や信頼をはぐくんでいくというストーリは割と古典的なものといえるでしょう。
しかし、「力が全て」という(ストレートな)バイオレンスの要素に、タイムスリップや成り上がりの高揚感などが適度なスパイスとなって、この優しい時代に生きる多くの若者たちの間にも共感が広がっているようです。
思えば、尾崎豊の名曲『15の夜』で、「盗んだバイクで走り出す…」と歌ったのは1983年のこと。その後、「団塊二世」の子供たちが街を闊歩するようになり、非行少年が増加。学校は荒れ、校内暴力で授業が成り立たないような困難校も普通に存在していた時代がありました。
丈の長い学生服を着て額にそりを入れた高校生たちが煙草をふかし、オートバイを乗り回したり路地裏で喧嘩したりしていても、「あぁ、またか…」とあまり気にかけられなかったこの時代は既にノスタルジーの領域にあり、古い世代・若い世代が共通して憧れる夢物語として語られている観があります。
そんなことを感じていた折、11月30日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に教育社会学者の舞田敏彦氏が、『日本人が知らない、少年非行が激減しているという事実』と題する論考を寄せているのを見かけたので、参考までに一その部を残しておきたいと思います。
法務省の『犯罪白書』に掲載されている20歳未満の刑法犯検挙・補導人員は、2020年現在の数値で3万2063人。つまり1日に90人近くの少年が捕まっている計算で、これだけ聞くとかなり多いように感じられると氏はこの論考に記しています。
実際、少年が起こした事件の報道に接することはしばしばで、その中には凶悪なものもある。しかし、(実を言えば)少年の非行は,昔の方がはるかに多かったというのが氏の指摘するところです。
もっとも、少年非行のトレンドは直線的なものではなく、いくつかの波を経て推移している。第1の波は1951(昭和26)年の戦争が終わって間もない頃で、貧しさ故の盗みなどが多かったと氏はしています。
第2の波は1964(昭和39)年で、他の時期と比べて暴力犯罪の比重が高かった。この時代は10代の少年が学生と勤労者に割れていた頃で、後者の地位不満が暴発することも多かったということです。
そして第3の波が1983(昭和58)年にピークを打つ。この年の刑法犯検挙・補導人員は31万7438人と戦後最多で、現在の10倍以上の数になると氏は話しています。
検挙の理由となった違法行為の内容は、スリル目当ての万引きといった「遊び型」が多く、(豊かな社会になったものの)受験競争や管理教育が横行していた当時の状況を反映している。一方、その後は減少傾向が続き、1998(平成10)年に小さな山ができた後は減少の速度がさらに加速しているということです。
さて、結果(前述のように)2020年の刑法犯検挙・補導人員は3万2063人で過去最少、最も多かった1983年の10分の1にまで減少した。これは少子化という人口変化では到底説明できない現象で、(インターネット上での誹謗中傷など、悪事をする場が変わったことを加味しても)少年の非行は大きく減っているのは明らかだというのがこの論考における氏の見解です。
しかし、このような事実は国民の間に(あまり)知られていない。2015年に内閣府が実施した世論調査によると、20歳以上の国民の78.6%が「非行は増えていると思う」と答えており、こうした誤認は高齢層ほど多いと氏は指摘しています。
もちろんその責任は、突発的な事件をセンセーショナルに報じるメディアなどにあるのでしょうが、怖いのはこのような歪められた世論に押されて教育政策が決められていくことだというのが氏の懸念するところです。
2015年の学習指導要領一部改訂で道徳が教科になったが、それがどういうエビデンスに基づいていたのかは定かでないと氏は言います。社会では、何か事が起きるたびに「学校は何をしているのだ」「学校で教育すべき」などと安易に言われるが、こうした世論が教員の過重労働をもたらしていることを多くの国民は(もっと)知るべきだということです。
さて、実際、学校教育はあらゆる問題を解決する万能薬ではないし、若者がこうして(時代とともに)荒れたり大人しくなったりするのも、(多くの場合)学校の責任ではないでしょう。
子供たちの素行は、(多かれ少なかれ)大人たちの社会を反映したもの。さらに言えば、若者たちの(直接的な)行動への恐れは、社会が若者たちをどれだけ管理したいと考えているのかを映す鏡と言えるのかもしれません。
(いずれにしても)各種のメディアが発達した社会では、こうした落とし穴が(あちこちに)空いていることに、私たちは注意しなければならないと氏はこの論考の最後に記しています。
センセーショナルで感情的な報道ほど注意して接する必要がある。少年非行の現実と認識の乖離は、それを教えてくれる格好の題材と言っていいとこの論考を結ぶ氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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