格差の拡大や中間層の崩壊が、(特に先進国が直面する)最大の課題として認識されるようになっています。
生産を担い、消費を底支えし、社会を支えてきた(いわゆる)中流を自認する人々が、気が付けば生活に安定感を失い、何かあればすぐにでも明日の食卓に困るような状況に陥ったりする。
セーフティ・ネットに頼るほどではないけれど、わずかながらの年金や夫ひとり給料では食べていくのがやっとといった生活。スマホの料金は払えても、子供の塾にまでは手が回らない。三度の食事を欠かすことはないけれども、貯金通帳の額が10万円以上に増えるようなことはない。そうした生活感覚が、大都市の低所得者層にかかわらず、全国のあらゆる地域で、普通に、広く共有されるようになっているようです。
実際、データからも、日本人の家計が全体として随分と貧しくなっていることが判ります。専業主婦世帯が減って共働き世帯が増えているにもかかわらず、世帯所得はピークを打った1994年の664.2万円から20年間で約2割も落ち込んでいます。
年収200万円以下で暮らす世帯は全体の2割にも及んでおり、1990年に20%だった非正規就業の割合は、現在では4割を超えています。
こうしたこともあって、若者が結婚して子どもを持つことすら難しくなり、彼らが寄生する(かつての中間層を形成していた)父母たちでさえ、今では年金生活者となって低所得層の仲間入りをしている状況です。
しかし、その一方で、大半の日本人たちは未だ自分たちを「中流」だと認識し、自らを社会の「負担する側」に属する人間だと認識しているのも、どうやら事実のようです。
それが証拠に、自ら「庶民」を自認する多くの人々が、自分よりさらに下の低所得者層や生活保護の受給者、働いていない人などに(やたらと)厳しく当たったりしています。日本の社会保障は高齢者に手厚すぎるとして、恩恵を受けていないと感じる若年層との間の感情的な対立も深まっているようです。
恐らくそれは日本ばかりの現象ではなく、例えば先の米国の大統領選挙における(いわゆる)「トランプ現象」などを、安定した中間層の崩壊に起因するものとして捉える識者も多いようです。
一般的にプアー・ホワイトなどと称される、(産業のグローバル化などに起因する)不安定な雇用に脅かされている白人たちを支持層とするトランプ氏が、彼らの苛立ちをパワーに「アメリカン・ファースト」という反グローバリズムの旗を掲げて勝利を勝ち取った。これなどは正に、これまではサイレント・マジョリティとして声を上げることが少なかった中間層の(ある意味)「叛逆」と位置付けることができるかもしれません。
さて、こうした内外の状況を踏まえ、12月22日の朝日新聞の紙面には、慶応大学教授の井手英策(いで・えいさく)氏が「中の下の反乱、食い止めよ」と題する興味深い論評を寄せています。
内閣府の国民生活に関する世論調査によると、いまだに日本人の約9割が自分を中流だと考えているということです。また、国際社会調査プログラムをもとに他国と比較してみると、調査対象38カ国のなかで「下の上」と答えた人の割合が29位と低い一方で、「中の下」と答えた人の割合は日本が断トツの1位だったと井出氏はこの論評の冒頭で紹介しています。
一方、厚生労働省の国民生活基礎調査では、「生活が大変苦しい」「やや苦しい」と回答した人の割合が、世帯所得の下落が始まる直前の1996年に47%だったのに対し、現在では60%を超えているということです。氏によれば、実際、データを見る限りこの20年で中間層の多くが(分類上の)低所得層に移っており、所得格差をあらわす諸指標を見ても日本はもはや明らかに格差社会だということです。
こうして格差の拡大や所得減少に苦しみながらも、自分は「下流ではない、中流だ」と信じる(自称)「中の下」層が今、(低所得層への反発を鋭く強めながら)内外で政治のキャスティングボートを握りつつあるというのが現在の社会情勢に対する井出氏の基本的な認識です。
イギリスの欧州連合(EU)離脱問題では、高所得層が残留を、低所得層が離脱を支持しました。
どの階層から離脱が残留を上回ったかと言えば、それは中の下層だった。アメリカ大統領選も同じで、中の下に近い年収3万ドル以上5万ドル未満の層において、前回選挙でオバマが57%の支持を集めた一方でクリントンは51%しか支持されていない。つまり、両国とも「中の下の反乱」が、歴史を動かす原動力となったということです。
平均所得以下の人たちが6割を占める日本でも、格差是正を訴えるリベラルの戦略は一見正しく映ります。しかし、多くの低所得層が「自分は下流ではない」と認識していたらどうなのかと、井出氏はこの論評で問いかけています。
生活不安に怯えているのに政治的に取り残されたままの下層の人々は、格差是正の訴えを聞けば聞くほど、低所得層への反発を強めるのではないか。貧困に苦しむ女子高校生の番組が激しい批判にさらされた際、その多くは「自分の生活の方が苦しい」という怒りの声だったと氏は指摘しています。
井出氏によれば、そうした日米英の3国には、いずれも福祉の財源が限られ、給付に所得制限がつき、財政が低所得層の利益で固められているという共通点があるということです。
そこに中間層の不満が沈積し、中の下層に「移民や貧困層があなたたちの暮らしを悪くする」という被害者意識が芽生え、結果として政治的に下流への転落の恐怖をあおるポピュリズムが威力を発揮するようになる。そう考えれば、米英のできごとは「対岸の火事」では済まされないと井出氏はしています。
そのような環境の下では、持てる者から奪い、弱者を助けるやり方では分断を深めてしまう。であれば、「中の下の反乱」を食い止め、中低所得層に連帯をうながす方法は、すべての生活者のニーズを満たし、増税への合意を引き出し、生活と財政の将来不安をともに払拭することしかないと氏は言います。
そのためには、既得権をなくして分断を無意味にしつつ、納税者の受益を強め、税への反発を和らげることが必要だというのがこの問題に対する井出氏の認識です。
多くのリベラリストは、「困っている人、貧しい人を助けよう」と口にします。しかし、そこで「私たちだって苦しいのに、なんで人のために税金を払わないといけないの」とそっぽを向く人たちをどうすれば説得できるのか。
日本社会で多数派を占める年収300~800万円の中間層がそっぽを向けば、税金を払うのを嫌がり、増税に抵抗することになります。
従って、重要なのは、彼らにそっぽを向かせないこと。彼ら納税者が税金を払うことで、(少なくとも)中間層が恩恵を自覚できるような制度とすることが求められるとする井出氏の指摘を、私も大変示唆に富んだ視点として興味深く受け止めたところです。
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