ウクライナ侵攻後のロシアでは極端な愛国教育が行われ、戦争に関する虚偽の情報が子どもたちに伝えられていると、多くのメディアが報じています。
現在、ロシアの教育現場にはプーチン大統領の歴史修正主義的な思想を反映したオンライン学習コンテンツが配られており、今年3月までに全国で500万人以上の子どもが視聴したとされています。
また、4月にはロシア国内向けにプーチン大統領が子どもたちや若者の質問に答える番組が組まれ、12歳の少女に「ウクライナ東部のドンバス地方で起きている“悲劇”のために、私ははただ“やむを得ず”侵攻を命じたのだ」と話す姿が放映されました。
ウクライナ侵攻を巡るロシア国内でのこうした動きを踏まえ、5月25日の「Newsweek日本版」では、映画監督の森達也氏が「ドキュメンタリー映画『教育と愛国』が記録した政治の露骨な教育介入」と題する一文を寄せています。
この寄稿で森氏は、日本の愛国教育と(いわゆる)「負の歴史」に対する政府の姿勢に触れています。
2015年8月、安倍晋三首相(当時)は戦後70年談話を発表し、「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べたと、森氏はこの論考に綴っています。
いつまで謝罪しなければならないのか。何度賠償を要求されるのか。おそらくこれは、保守的な思想を持つ多くの日本人の気持ちの代弁でもあるのだろう。しかし、韓国や中国などかつて日本から加害されたアジアの国の多くは、決して日本人に謝罪や賠償だけを求めているわけではないと氏は言います。
(おそらく)彼らの本意は「謝ってほしい」のではなく、「忘れないでほしい」というもの。しかし、(おそらく)日本は忘れる。被害の記憶は語り継がれるとしても、加害の記憶は風化するというのが氏の認識です。
その意味で言えば、長く論争の対象となってきた南京虐殺や従軍慰安婦問題はまだましかもしれない。李氏朝鮮26代高宗の妃を殺害した閔妃暗殺事件、オーストラリア兵・オランダ兵捕虜を殺害したラハ飛行場虐殺事件、市民10万人が犠牲になったマニラ市街戦での住民虐殺、中国で3000人以上を人体実験で殺害した731部隊。ほかにも日本国や日本人が関わった虐殺は数多いと氏は続けます。
しかし、多くの日本人はそうした歴史上の出来事を知らない。忘れる以前に、そもそもインプットされていないということです。
確かに失敗や挫折の記憶はつらいし、できることなら忘れたい。なかったことにしたい。でもそれでは人は成長しない。個人史と同じだと、氏は話しています。成功体験ばかりを記憶するならば、傲慢で鼻持ちならない人格になってしまう。同じ過ちを繰り返さないために記憶する。歴史を学ぶ意義はここにあるということです。
しかし、特に近年、こうした負の歴史を伝えることは自虐史観として、忌避される傾向が(どんどん)強くなっているというのが氏の懸念するところです。
2006年、第1次安倍政権下で教育基本法にいわゆる「愛国心条項」が加えられた。その後も政治権力は教育に介入を続け、教科書は大きく変わり続けていると氏は話しています。例えば、道徳の教科書で、「パン屋」は「和菓子屋」に変えられた。理由はよく分からないが、パンは西洋発祥だから(日本人なら和菓子だろう)ということなのか。
ロシア国民によるプーチン大統領への支持率が80%を超えていることを多くの人はいぶかるが、もしも、(昭和の初期の)あの時代にこの国で世論調査が行われたならば、ほぼ100%が中国侵攻や軍事政権を支持していたはずだと氏はしています。人は環境によりどのようにも変わってしまう。だからこそ、メディアと教育の姿勢は極めて重要だというがこの論考における氏の見解です。
いま、プーチン政権のプロパガンダの下、ロシア国民の多くは「(アメリカの策略で)世界中から虐められ、バッシングされる可哀そうなロシア」と憤慨していることでしょう。しかしその姿は、かつて国際連盟からの脱退を余儀なくされた日本が通ってきた道と大きくダブって見えるのも事実です。
人間は(都合の悪いことは)「忘れてしまう」生き物。あえて意識していなければ、「なかったこと」にもしてしまうと森氏は言います。そんな私たちには、自分たちの未来のために敢えて「背負っていかなくてはいけないもの」もあるのだろうと、氏の論考を読んで私も改めて感じたところです。
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