MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1849 美人を見たら自分の妻と言う国

2021年05月13日 | 国際・政治


 米国のジョー・バイデン氏は4月28日夜、連邦議会の上下両院合同会議で就任後初の施政方針演説を行いました。演説では、政権の外交重視の方針を改めて強調。米国は21世紀を勝ち抜くために中国などの国々と競争していくと強く訴えています。

 大統領は演説で、中国の習近平国家主席や他の専制主義者は「民主主義はコンセンサスを得るのに時間がかかりすぎ、21世紀には専制主義に対抗しえないと考えている」と言明。「彼は本気で世界で最も重要な国になろうとしている(He is deadly earnest about becomming the most significant and consequential nation in the world.)」と言い切りました。
 そして、「私は習主席(President Xi)との会談で、紛争を始めるためではなく防ぐためにインド太平洋地域で強力な軍事力を維持する」「米国は決して人権と基本的自由へのコミットメントから離れることはない(America won’t back away from our commitment to human rights and fundamental freedoms.)」と彼に伝えたと続けています。

 世界が注目したバイデン大統領のこうした演説に対し、中国はさっそく反応し、米国は自国の民主主義の理想を他国に押し付けるべきではないと反発しているようです。
 中国の汪文斌外務報道官は、数時間後に開かれた定例会見で演説の内容について触れ、「他国に自国の民主主義体制を受け入れるように強いることは、分裂を生み出し、緊張を強め、安定を損なうだけだ」と批判したと伝えられています。

 民主主義の普遍性を前提に中国を「専制主義」と決めつけ、米国こそが世界から民主主義を守るリーダーだと改めて強調するバイデン政権に対し、「中国には中国の民主主義がある」と主張する中国共産党指導部。
 中国王毅外相は4月23日、米国外交協会とのオンライン会議で「民主主義は、米国が原料を作り全世界が一つの味を味わう コカ・コーラではない」とし「地球に一つの方式、一つの文明だけしかないのなら、この世界は活気も活力も失われる」と話したと伝えられています。そして最後に、「民主の形式が米国と異なるからといって、中国に“権威”と“前提”のレッテルを貼ること自体が非民主的だ」と付け加えたということです。

 果たして中国の政治システムは(彼らの言うように)本当に「民主主義国家」として機能しているのか。
 主権国家としての中国に暮らす人々が実際にそう思えているのであれば他国が口をはさむべきことではないのでしょうが、香港における政治デモの制圧やウイグル人への迫害の状況を見聞きするにつけ、それが「民主的」であるかどうかについては疑問の余地も大きそうです。
 さらに、中国の軍事的影響力の拡大と膨張政策がもたらすインド洋、南シナ海、東シナ海などにおける緊張の高まりなどを考えれば、軍事力、経済力による現状変更を迫る中国政府の姿勢は(自由主義世界の国々にとって)放置できないものと映るのも当然でしょう。

 「民主主義国家」を標榜し、かなりの強引さで(あからさまに)世界の覇権を狙う現在の中国の存在に対し、4月28日の日経新聞に掲載されたコラム「大機小機」は、「美人を見たら自分の妻と言う国」と題する興味深い一文を掲載しています。

 「美人を見たら自分の妻と言う国」 これは、中国を評した台湾の李登輝・元総統の雑誌への寄稿の言葉だと筆者は説明しています。(注:正確には「おネエちゃんがきれいだからといって、私の妻だと言う人間がどこにいるのだ」という、李登輝氏らしいもう少しざっくばらんな言いぶりだったようです。)

 周辺海域の海底油田や沖縄県の尖閣諸島の問題。南沙諸島や南シナ海に勝手に設定する九段線と呼ぶ境界線の存在。台湾の帰属問題や、香港、ウイグルにおける人権問題など、中国政府の美人を求める強引さと国内における家庭内暴力の範囲は拡大の一途をたどっている。そして李氏のこの言葉は、彼の透徹した先見性を裏付けているというのが筆者の見解です。

 私有財産権は自由の最も基本となる権利で、それなくして民主国家は成り立たない。私有財産には、知的財産や言語、文化、思想・宗教など個人が自由に選択・創造できる無形資産も含まれ、むしろそれらの重要性の方が大きいと筆者は言います。
 人命は究極の個人資産だが、それさえ自分の所有物でない経験を、人類は社会主義やファシズムの下で経験してきた。社会主義と専制国家は同根で、その至上目的である体制維持のためには自国民の自由さえ許さないということです。

 人類が1人当たり所得の増加を意味する経済成長を手に入れたのは18世紀半ばの産業革命以来のこと。個人主義の基本は、人間が才能と素質を開花させるのは自由であるべきだとの信念にあり、個人が独創性を発揮してリスクを負い、その成果を享受できる財産権を得た結果、科学の進歩と生活水準の向上が始まったと筆者は考えています。
 その進歩をより加速するためとして、計画経済や社会主義が現れ旧ソ連やナチスにつながったが、それは上手くいかなかった。結果としてのその後の悲惨な歴史を知りながらも、いまだに、民主的社会主義は達成不可能で社会主義は自由を破壊するものだ、と認識していない人々も多いというのが筆者の指摘するところです。

 とりわけ近年は知的財産が重要だと考えられているが、自由と私有財産権の侵害が国家規模で進行し、他方で自由貿易の下で成長を続ける新たな専制国家連合が生まれていると筆者はしています。
 そうした国々では、個人の才能や文化の自由な発露は半面で、経済的には取り残された人々を生んでいる。その人々を弾圧して無視するか、自由を尊重して一体化した多様な社会を志向するか。いずれにしても、そこに「民主国家」を標榜する資格は見いだせないということでしょう。

 現代の民主国家は、財産権に基づく個人の自由と多様性の尊重を全人類進歩の基本とするというのが筆者の認識です。世界が平和と貧困撲滅のための資源利用を切望する中で、隣の美人を求めて財産権を侵害する国があれば、全世界は資源を軍備に費やさざるを得ないと筆者はこのコラムに記しています。

 私有財産権を守る法の支配の下での自由競争こそが人類の平和と繁栄への希求をかなえる道であることは自明なのに、基本的な価値をないがしろにしながら結果としての利益のみを追求することを黙って見過ごすべきなのか。
 例え隣のおネエちゃんがどれほどきれいだからといって、金と力に任せて奪い取っても誰も幸せにはるものではありません。
 成熟した国家にとって、国民の幸せは金銭的な豊かさや国家の覇権ばかりでないことを、かの国もそろそろ理解する必要ががあるのではないかと、私も改めて感じたところです。



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