国連の安全保障理事会は4月5日、公開会合を開き、改めてロシアによるウクライナ侵攻に関する議論を行ったと4月6日の時事通信が報じています。
会合では、ウクライナの首都都キエフ郊外のブチャなど、ロシア軍が撤収した町で民間人とみられる多くの遺体が発見されたことに、米欧を中心に理事国から非難が殺到。これまでロシア批判を避けてきたインドも殺害を糾弾し、ロシアの孤立が深まった形になったと伝えられています。
インドのティルムルティ国連大使は同会合で、「ブチャでの民間人殺害はひどく心をかき乱すものだ。われわれはこのような殺害をはっきりと非難する」と明言。実態解明に向けた調査の実施も支持したとされています。
インドはこれまで、安保理や国連総会での対ロシア非難決議採択で棄権し、ロシアと対立する言動を控えてきました。しかし、侵攻が長期化しロシアへの国際的な圧力が高まる中、外交姿勢を修正した可能性があるということです。
こうした情報に対し、国際政治学者の三浦瑠麗は4月6日、ツイッターを新規投稿し、「これは大きい」と綴っています。国境を接する大国中国への対抗上、軍事装備品等でロシアに依存してきたインド。その政府が対ロ姿勢を硬化することで、国際的なパワーバランスに大きな変化が訪れる可能性があるというのがその理由です。
日本にとっても、中国に次ぐ14億の人口を抱えるインドは、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、二国間や日米豪印のクアッドなどを通じて緊密な連携が求められる関係です。
日本の岸田文雄首相も3月下旬にインドを訪問。モディ首相との首脳会議を果たし、ロシアのウクライナ侵攻について「国際秩序の根幹を揺るがす深刻な事態であり毅然と対応することが必要だ」と、強く訴えたと伝えられています。
ロシアのウクライナ侵攻に(こうして)揺れるインドの立ち位置について、4月7日の日本経済新聞が「大国の自覚問われるインド」と題する社説を掲載しているので、ここで触れておきたいと思います。
ロシアによるウクライナ侵攻に対するインドの姿勢を国際社会が注視している。ロシアに対する直接批判を避け国連の非難決議も棄権するといった「中立」を貫くスタンスに、インド国内でも賛否が分かれ議論が起こっていると筆者はしています。
インドは今や英仏並みの経済大国であり、人類全体の平和と安全に影響力を持つ。(で、あればこそ)大国の自覚を持って、影響を熟慮したうえで発言と行動を決めてほしいというのが筆者の願うところです。
インドは中国との国境紛争を抱え、パキスタンとも緊張関係にある。一方、中国は武器供給、軍事協力、「一帯一路」構想に基づく経済協力などを通じてパキスタンと関係を強めている。そんな地政学的状況のなか、インドにとってユーラシア大陸の大国ロシアとの友好関係は抑止力として不可欠だろうと筆者は言います。
しかもインドにとって、独立後しばらく旧ソ連は社会主義経済の先生であり、武器やルピー建て貿易など軍事・経済両面で支えてくれた恩人的存在だった。両国が歴史的に特別な関係にある事実を、国際社会も理解する必要があるというのが筆者の認識です。
しかし、長年の特別な2国間関係の前提には主権の不可侵や人命尊重など共通の大原則があったはず。今回のロシアによる一方的な軍事侵攻とその後の民間人に対する残虐行為はそれらの前提を崩しており、インドはその事実を直視し、人道危機終結に向けて果たせる役割を探ってほしいと筆者はこの社説に綴っています。
国際社会もインドの役割に期待している。岸田文雄首相とモリソン豪首相が相次いでモディ首相と会談し、英外相も訪印したのはその表れと言える。日米豪印による「Quad(クアッド)」の枠組みも、力による一方的現状変更を抑止する意味があるということです。
英国による植民地支配、20世紀の米国によるパキスタンへの軍事支援、ベトナム戦争、などの記憶から、インドには、正義をかざす米英の言説に対する不信感が根強く残っているだろうと筆者は話しています。
16世紀の大航海時代以降国主義の荒波に飲まれ、植民地からの独立に何百年もの歳月を要したインド。その歴史と経験から、自由や人権を振りかざす欧米人の感覚に対するインドの人々の思いには、確かに特別なものがあることでしょう。
そうした中、日本は「アジアの友人」として、欧米諸国とは違った立場から主権と人道の普遍的重要性について粘り強くインドとの対話を続ける必要があるとするこの社説における筆者の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。
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