東京電力福島第一原発事故をめぐり、東電の株主46人が旧経営陣5人に対し、22兆円を東電に賠償するよう求めた株主代表訴訟。
7月24日には控訴審の第1回口頭弁論が東京高裁で行われ、東京地裁から約13兆円の支払いを命じられた旧経営陣側が、「想定をはるかに超える地震で、事故は防げなかった」として一審の取り消しを求めたと、同25日の朝日新聞が伝えています。
既に報じられているように、昨年7月の地裁判決は「巨大津波を予見できたのに対策を先送りした」として、勝俣恒久元東電会長ら4人の被告に対し13兆3210億円の(株主への)損害賠償を求めています。この金額は国内の民事裁判で出た賠償額としては過去最高とみられ、地震や津波、電源喪失等の予見可能性等を巡って双方が控訴しているところです。
とはいえ、「13兆円」といえば、個人にとっては天文学的な数字です。1万円札で13万枚ということは、重さにして1300トン。損害賠償額が100分の1の1300億円に減ったとしても、個人で支払える日本人は恐らく一人もいないでしょう。
そう考えれば、責任者への「制裁」「おしおき」を目的としたこの裁判自体が「茶番」にも見えてくるところ。そもそも、国のエネルギー政策のもとに進められてきたはずの原発の立地、運営、管理のはずなのに、気が付けばどうして(事故の責任を私企業の経営者個人に押し付けるような)顛末になっているのか。
ぼんやりとそんなことを感じていた折、2012年から福島県南相馬市で精神医療に携わっている精神科医の堀 有伸氏が8月1日の『現代ビジネス』に寄稿した論考、『昔から変わらない日本人「最大の欠点」の正体』を読んで少しピンとくるところがあったので、参考までにその一部を小欄に残しておきたいと思います。
2011年、国策として推進されていた原子力発電所で大きな事故が発生。その処理にいまだ膨大な時間と手間がかかることが予想されている現在、貯まっていくばかりの処理水を太平洋に放出することの是非が論じられていると、氏は原発処理水の海洋放出問題に触れています。
これに強く反対する人のモチベーションの一つは、「国策」が十分なチェックを受けることなく暴走し、大きな事件や事故が起きる事態の再発を防ぎたいというもの。そうであれば、「廃炉」や「賠償」という原発事故後の処理に外せない事業を、「東京電力」という営利活動が本質の民間企業に担当させ続けることは合理性を欠いているように思えるというのがこの論考における氏の見解です。
当たり前であるが、「廃炉」も「賠償」も利益を生む活動ではない。それを営利企業が担い続ければどこかで歪みが生じるのではないか。あらゆる組織は、その組織の「本質」とそぐわない事業を担うことに不向きだというのが氏の懸念するところです。
現状を続ける方が、国にとって便利であるというのは想像できる。「廃炉」も「賠償」も、不満や批判の対象となりやすい。国が直営でそのような事業を担い、その権威に傷がつくのは困るという計算もあるだろう。言葉は悪いが(政府や官僚たちは)、「汚れ役」を東京電力が担い続けてくれた方が都合がよいと考えているのではないかと、どうしても勘ぐってしまうということです。
しかし、安全に関する信頼性こそが重要な事業を実施する体制が、そのような「公」と「私」がズルズルベッタリと野合しているもので、果たして本当に良いのだろうかと氏はここで指摘しています。
危惧されるのは、「外には公的にきれいごとを言うが、内部の弱い所にどんどんと歪みが押しつけられていく」振る舞いが横行すること。東京電力の経営層から地元の社員、さらに協力企業へと事業が展開していく中で、系列の末端近くに位置する職員への待遇が過酷になってしまう可能性を否定することはできないと氏は言います。
そして、そのような力学が働く世界で長年過ごし、生き残って影響力を発揮するポジションに就いた「偉い人」たちが、安全性と社会への信頼を重視する価値観を身につけているか否かという点にも、疑問が生じるということです。
そもそも、東京電力と国の規制当局との関係がズブズブだったことが、原発事故の発生に大きなマイナスの影響を与えたと指摘したのが、国会の事故調査委員会の報告書の内容だった。それなのに、そのような関係性のあり方を問題と考える議論がまったく盛り上がらないことは、残念でならないと氏は言います。
事故対応を民間企業に行わせれば、議会対応が楽であるし人件費も節約することができるという主張も聞く。しかし、電力会社と規制当局が「なあなあ」の関係になって事故が起きたという展開を振り返れば、ここでコストを削減したことが、後に途轍もなく高い代償を求められる事態を招く可能性を思わざるをえないというのが氏の指摘するところです。
同時にこれは、現在の日本経済を悩ませている「安い人件費」の問題につながる事柄でもあると氏は話しています。廃炉や賠償のような事業を民間企業が担当することには、やはり相当の無理があるのではないか。再発防止策も含め、形式を整えて国直轄の事業とすることが適正だと主張する堀氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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