MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1957 菅総理の総裁選断念は自民党の「神風」になるか

2021年09月06日 | 国際・政治


 2020パラリンピック東京大会の閉会式が迫った9月3日、菅義偉総理が総裁選への出馬断念を表明し、永田町界隈はいよいよ与党自民党総裁の座をかけた「秋の政局」の季節を迎えました。

 内閣退陣について菅首相は(表向き)「コロナの感染拡大防止に専念する」としていますが、新型コロナの感染対策の失策や党内調整の不手際などを巡って孤立し、結局「詰め腹を切らされた」形となったのは誰の目にも明らかです。自民党内の若手議員の中には「菅では選挙の顔にならない」「菅でなければ誰でもいい」と公言する者などもあったと言い、有権者への発信力の弱さにソッポを向かれた観があるのも否めません。

 もっとも、二階俊博幹事長もテレビのインタビューで怒っていたように、少なくとも小選挙区における選挙とは、政治家としての日ごろの主張や活動、有権者とのつながりがものを言う世界。若手議員たちが当落を「首相のせい」にしているようでは、それだけで「自民党の先は見えている」と言えるかもしれません。

 ともあれ、安倍晋三前首相が体調不良を理由に放り出したコロナの中での国の舵取りは、誰がやっても困難を極めたことでしょう。多くの反対のもと綱渡りで開催した緊急事態宣言下でのオリンピックや、ワクチン接種のトラブル、外出自粛による経済の圧迫など、(ある意味)同情したくなるような状況が続いたのも事実です。

 安倍内閣を支えた強面の官房長官として名を馳せた菅義偉という政治家には、国民の生活を守るための実務を担う、小回りの利く仕事師としての役割が期待されてきました。しかし、国民が(少なくとも)普通に暮らせる平時ならともかく、その言動によって国民を引っ張る必要のある(コロナ禍の)有事の宰相としては、少しばかり荷が重かったのかもしれません。

 いずれにしても、9月中にも予定されている自民党総裁選の後には、野党にとっては政権交代をかけた(衆議院議員の任期満了に伴う)総選挙が待っています。菅総理の不出馬表明の報に接し、野党はさっそく、新型コロナ対策が必要な時に「政治の空白を生む」との批判の声を強めています。

 立憲民主党の枝野幸男代表は3日、記者団に対して「コロナへの対応が求められている状況にあるのに、残り1カ月もない首相は既にレームダック状態」と話し、「責任の放棄」だと批判の矛先を向けています。また、共産党の志位和夫委員長は「政権の投げ出しだ。明らかに行き詰まったのに、行き詰まりを認めようとしない」と話し、また社民党の福島瑞穂党首も「山火事が燃えさかっているなかで『僕、やめます』というのは無責任だ」と非難したと伝えられています。

 もっとも、野党各党がこのタイミングでの総理大臣の不出馬表明に語気を荒げるのには(もちろん)理由があるのでしょう。オリンピックやパラリンピックが終わった現在、既に世の中の話題は自民党の総裁選挙一色で、コロナの報道も影を潜めつつある。かと言って国会は開いてもらえず、総選挙の告示まで(メディアへの)野党各党の出番はほとんどなさそうな気配です。

 さらに、彼らの危機感を煽っているのは、世論調査等における支持率の低迷です。菅政権の支持率は確かに大きく下がり続けてきましたが、だからと言って野党各党の支持率が上がっているわけではない。広島や横浜の選挙で勝てたのも、「ほかに選択肢がない」という有権者の意識の表れだったということでしょう。

 9月6日の読売新聞は、「野党は支持率低迷に危機感…」との記事を掲載し、同紙が行った緊急世論調査の結果、立憲民主党など野党の支持率はいずれも1桁台だったと伝えています。調査によれば、野党の支持率は第1党の立民でも7%に過ぎず、自民党の36%に大きく水をあけられている。共産党は3%、日本維新の会は2%と低迷したということです。

 一部では自民党御用達とも評される読売新聞ですので、「さすがのタイミング」と思わせるものがありますが、実際、(こうした自民党内部のすったもんだが表面化しているにもかかわらず)野党への国民の支持の広がりは見えてきません。

 立憲民主党はこれまで、菅内閣への対決姿勢を示す前提で公約作りを進めてきており、自民党総裁選告示前の今月半ばの発表を目指してきたとされています。しかし、(総裁選をめぐる)今回の一連の騒ぎの中で、そうした政策議論もすっかり影が薄くなってしまいました。また、最近の立憲民主党の枝野代表の発言を見ていると、(「労働保守」ともとれるような)社会主義的なイデオロギーへの傾斜が強まっているような印象も否めません。

 実際、立憲民主党や国民民主党、れいわ新撰組などの野党共闘が政権を目指すには、共産党との連立をどうするかという(時限)爆弾を抱えているのも事実です。経済が低迷し、政府の財政状況も厳しさを増す中、彼らの(旧態然とした)平等や公平の思想は国民にどこまで受け入れられるのか。

 テレビのニュースでは、野党議員は常に強い姿勢で与党や官僚を糾弾しているシーンが繰り替えし流されますが、それを見て感覚的に「ああ、嫌だな」と思ってしまう。野党の追及を「揉め事」「怒り」のように感じ、「ただ(感情的に)責めるばかり」と拒否感を持つ若者も増えていると聞きます。「野党は反対ばかりで対案を示さない」とはよく聞く話ですが、国会やメディアで示す彼らの一方的な口調が、(もはや)時代に合わずネガティブな印象を与えているような気もします。

 さて、そうした中、この政局において菅総理の総裁選不出馬の表明は、自民党にとって「神風になる」と考える与党関係者もあるようです。一般にはあまり興味が持たれなかった総裁選も、本命の菅総理が出ないとあれば一気に注目を浴びることになる。メディアが注目すれば活発な政策議論も生まれるだろうし、自民党にとっては「世代交代」もアピールできるということです。

 確かに、今回の総裁選は党員選挙も含めたフルスペックで実施されるため、各地の地方組織も活性化される。長かった安倍政権との決別も含め、野党に先んじて自民党の「変革」をイメージづけることも可能でしょう。少なくとも、ここしばらくは野党は蚊帳の外。それもこれも、出馬を断念してくれた菅総理のおかげといえばおかげです。

 そういう意味では、菅総理の最後は立派だった。小泉進次郎環境大臣ではありませんが、自民党にとっての菅総理は、後世の人が振り返って「最後までいい仕事をした」と言われる政治家になるかもしれません。



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