氷室神社を訪れた後、昨日から始まった奈良国立博物館での「快慶展」に出かけてきました。
今朝の新聞に載っていましたね。
氷室神社の南側の道路を隔てたところが奈良国立博物館です。
鹿があちこちにいますよ。
博物館のエントランスには快慶展の垂れ幕。
快慶は、わが国を代表する仏師のひとりであり、鎌倉彫刻様式の完成に重要な役割を果たした人物として運慶と並び称されてきました。快慶には確証ある遺品が際立って多く、鎌倉時代初頭の造像界の動向を具体的に知るうえで不可欠な存在である一方、出自や工房など、その人物像には不明な点が少なくありません。
建久3年(1192)に無位でありながら後白河院追善の造像に抜擢されるなど、康慶の弟子のなかでも特殊な立場にあったようですが、こののち運慶と肩を並べて活躍の舞台を得る画期となったのは、後白河院主導のもと重源により進められた東大寺再興造像でした。
「巧匠アン(梵字)阿弥陀仏」と称したことからもわかるように、快慶は単に仏師として重源にしたがっていたのではなく、熱心な阿弥陀信仰者として造仏に臨んでいたことも見逃せません。彼が生涯をかけて追求した実在感と格調の高さを兼ねそなえた阿弥陀如来立像の姿は、後世「安阿弥様」と称され、来迎形阿弥陀の一典型としてながく受け継がれてゆきます。平安時代には、仏師定朝が「仏の本様」と謳われる理想的な仏の姿をつくり出しましたが、快慶はこの定朝にも匹敵する役割を果たしたといえるでしょう。
本展は、快慶の代表的な作品を一堂に集めて、わが国の仏教美術史上に残した偉大な足跡をたどる試みです。さらに、快慶作品の成立と密接に関わる絵画や、高僧たちとの交渉を伝える史料をあわせて展示することにより、いまだ多くの謎に包まれた快慶の実像に迫ります。本展を通じて、多彩な快慶作品の魅力を堪能していただくとともに、現代を生きる我々の共感をいまもなお呼び起こし、仏の規範とされつづける快慶芸術の本質について考える機会となれば幸いです。
(ちらしより)
運慶、快慶については勿論日本史選択だったので知っていましたが、
こんな歴史、そしてこんなに多くの仏像を作成していたとは驚きでした。
東京国立博物館での「快慶展」も観に行きたい。
もっと混雑しているのかと思いきや、意外と空いていました。
こんな撮影コーナーもありましたよ。
今日は入ることができませんでしたが、ロビーから庭園。
ぶつぞう館への地下通路にも撮影コーナー。
スタンプラリーにも参加。
「阿修羅」2度も行ったけど、こんなのあったかな~。
何時ものごとくポストカード2枚購入。
阿弥陀如来立像。静岡・新光明寺。
そして快慶の工房で作られた阿弥陀如来像たち。
さて、興福寺まで歩いてゆき、南円堂でお参りをしようかと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます