大阪歴史博物館へ向かう歩道橋から大阪城とTWIN21。
大阪メトロ谷町線谷町四丁目駅。
大阪歴史博物館
博物館前の庭に、前回来た時には黄色い花を咲かせていたツワブキがすっかり花は枯れ、綿毛が。
これはランタナ?
花かとおもえば葉っぱでした。
アトリウムには大きな吊り広告。
今放映中の「おちょやん」。
パンフレットも2種類おかれています。
今放送中の番組を紹介する、NHK大阪拠点放送局の番組ガイド「おおきに」
表紙は「おちょやん」
こちらは「おちょやん」のパンフレット。
さて、
まず特集展示を8階の特集展示室で。
「蒐集家・高島唯峰-明治期考古学の遺産ー」
大阪歴史博物館では、令和3年1月13日(水)から3月22日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「蒐集家・高島唯峰―明治期考古学の遺産―」を開催します。
明治時代、日本の考古学はまだ古物趣味や珍品目当ての蒐集などと未分化な状態にありました。高島多米治ためじ(1866-1960、号:唯峰)は、そんな時代に関東地方を中心に採集活動を行った人物です。
高島は東京銀座で歯科医を営むかたわら、縄文時代の貝塚出土品を収集・蒐集することに熱中していました。時には東北地方にまで足を運んでいたようです。いまとなっては彼が集めた出土品の正確な数を知ることは難しくなってしまいましたが、およそ1万点に届くとみられます。現在、そのうちの約7千点が大阪歴史博物館に収められています。
なぜ高島が集めた関東や東北地方の蒐集品が大阪にあるのでしょうか。そこには滋賀県長浜市にあった鍾秀館しょうしゅうかん(下郷しもごう共済会)という大正時代の私立博物館が深くかかわっていました。
今回の展示は、高島が行った採集活動をその遺品から探るとともに、彼のコレクションがたどった経過、さらにはコレクション研究の現状を紹介するものです。
ここは撮影可能ということで何枚か撮影してみました。
次に6回に移動して特別企画展
「大阪の近代化と町ー水帳から公文書へー」
大阪歴史博物館では、6階特別展示室において、特別企画展「大阪の近代化と町 ―水帳から公文書へ―」を開催します。
本展は、江戸時代の町人身分の共同体であった町が、明治以降の近代化の過程でどのように変化したのかを、土地台帳である水帳や町人間の土地売買に関する書類といった、もともとは町で作成され、町に保管されていた資料などで確認しながら、明らかにしていきます。
本展では、明治12年から13年(1879~1880)にかけて町でおきた以下の三つの変化に注目します。
1.水帳における土地所有者名義の切り替え作業(帳切)が終了すること。
2.町が作成した水帳が区役所に「移管」され、公文書となったこと。
3.町に町会という議会が導入されたこと。
本展では、この一連の変化を町共同体の解体過程と理解し、大阪における近代化の意味について考えます。
展示を観終わってエスカレーターで一階ずつ降りて博物館をあとにします。
窓から大阪城のお堀。
大阪城とTWIN21。
難波宮跡。
歴史博物館の北側。
NHK大阪放送局と大阪歴史博物館をつなぐアトリウム。
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