たしかなこと (1)
私は 笹山香 29歳 会社員
今日は電車の遅延で出社がいつもより遅くなったけどなんとか間に合った
「笹山君。出勤早々で悪いね。君はこの会社の担当だったから渡しておくので目を通しておいて。」
白川部長に書類を渡された
「わかりました。」
白川部長は50歳なのにそこそこ背もあって肩幅もあってスタイルがとても良い
顔は本当に普通だけどスタイルの良さとイケボで格好良く感じる
おじさん好きな女子にはウケそうな人で私の父もあんな感じだと良いのにと思っていた
昔 引き抜きでうちの会社に入ってきたエリートだということは私も聞いていた
毎日手作りのお弁当を持参してるから奥さんはきっと良妻賢母の素敵な人なんだろう
仕事以外の話は一切しないから人だからプライベートは全く見えてこない
仕事は卒がなく 全体の業務の進行具合も見てる
私語厳禁という訳ではないけど気軽に話せる雰囲気が無い
しかも笑わないからか何となーく冷たい印象
そんなある日の夜 ーー
私は仕事帰りに付き合って三年の彼と待ち合わせをし食事に向かった
「俺達、もう三年か 。」
「うん。早いね~(笑)」
何か言いたげに落ち着かない様子に変わった彼
これはもしかして… プロポーズとか!?
まさかまさか こんな騒がしいお店で!?
え~♡ プロポーズだったら困っちゃうな♡
私の胸はドキドキしてきた
「どうしたの? ヒロ♡」
「あのさ、、俺… 転勤辞令が出たんだ… 」
思いもよらない話だった
「ど、どこに… 」
「福岡、なんだ。」
遠い… 嘘でしょ…
「いつ行くの!? 」
「二週間後。」
そんな…
ショックが大き過ぎて言葉も出なかった
彼の仕事は転勤が多いと以前から聞いてはいたけどまさか彼が転勤するなんて…
この時 転勤という言葉の重さをようやく実感した
彼は 結婚なんて今は全く考えていないけど 一緒に福岡までついてこないかという提案だった
私… 今年30になるんだよ
結婚の確約もなく今の仕事を辞めてまで新転地にはついて行けないよ…
ーーー
二週間後なんて あっという間に来てしまった
東京駅で新幹線に乗った彼を見送った
この年齢で遠距離交際を経験するなんて思ってもみなかった
辛い …
具体的に結婚を意識していた私と
結婚なんか1ミリも考えてなかった彼
離れてしまうことよりも彼が結婚を考えていなかったことの方がショックだった
失意の私は何をする気にもなれず
帰宅するため電車に乗った
ーーー
「あれ? 笹山… 君?」
電車の中で男性に声をかけられた
… 誰?
え? この声、、部長!?
会社で見る白川部長とは明らかに別人のような姿に驚いて全身を舐めるように見て確認した
髪は下ろしていて丸眼鏡
黒のトレンチに白のカジュアルシャツを少し開けていて
黒の細身パンツにブルーグリーンのローファー
ブルーの革のトートバッグという
どこかのショップオーナー?と思うイケオジ姿に
『なんで変装してるんですか!?』と口から出そうになった
部長のこのイケボを聞かないと誰も気付かないだろうね
「笹山君、あの、今から予定、入ってますか?」
予定は何もないけど今の私は気を遣う人に付き合う気にはなれない
「すみません、この後は予定が… 」
「そうか… 実は男の私一人では気が引ける買い物があって一緒に見てもらえないかと思ったんですが… 」
話を詳しく聞くと 娘さんのお誕生日に贈るプレゼントを買いに行くようだった
「御礼に貴女の食べたい物を何でもご馳走しますよ。」
食べたい物!? 美味しい物!!
じゃあ…
食い意地張ってる私は食べ物に釣られ部長の買い物のお付き合いをすることにした
デパートの化粧品売り場 ーー
私はブランドのリップにアイカラーを選んだ
「はぁ~! 助かりました… 」
まるで大仕事を終えて安堵したような部長に思わず笑った
「意外です(笑) 部長は何でも卒なくこなせる人なのにこういうのは苦手なんですね(笑) 」
「化粧品売り場は女性の聖域ですから、男の私が足を踏み入れるなど、とてもとても… 」
悩ましげに顔を振った
「ぷっ!(笑) 」“ 聖域 ” って!!(笑)
そのイケオジファッションに相反する真面目で天然の発言に吹き出した
もしかして部長… 天然だったのかな(笑)
化粧品売り場が聖域なら下着売り場はどうなるの?(笑)
「ところで。貴女の食べたいものは何かな?」
おっと!そうだった
ご馳走していただけるんだった
「何でも良いんですか?」
「もちろん構わないよ。」
「では… 」
私は厚かましくちょっとだけ良い焼き肉店を指定した
そして!焼き肉と言えばビールでしょう!
「焼き肉好きなんだね。」
「え~? 嫌いな人います~?(笑) 」
調子にのって飲んだせいでだいぶ酔ってきた
「私はこの歳なので食べ過ぎると翌日胃もたれする(笑) 」
胃を擦りながら少し苦笑いした
あ、部長が笑った!
「部長は毎日ヘルシーなお弁当ですよね!奥様は部長の身体を気にかけているんですね(笑)」
「あぁ、あれは自分で作っているよ。」
えっ!?
「奥様じゃないんですか??」
「元妻とは10年前に離婚をして私は今一人で暮らしています。」
あ… マズイこと聞いちゃった…
「気にすることではないよ。過ぎた話だからね。」
冷酒を一口飲んだ
「はぁ… 」
気にするなと言われても…
「笹山君は結婚 考えてないのかな?」
私との結婚を全く考えてくれていなかった彼の言葉を思い出し 我慢していた悲しみが吹き出して部長の前なのに泣いてしまった
「すまない、悪いこと聞いてしまったようだ、、」
部長は困った表情になった
「いっ、いえっ、(グズッ) 失恋したとか、じゃない、ですからっ (ズズッ) すびません、、(グズッ) 」
鼻をすする私に部長は申し訳なさそうに微笑んだ
「そ、そうか、、(笑)」
「笑いました?(ズズッ) 」
「笑って、ないよ、、(笑) 」
そう言いながらも笑いを堪えている
「めちゃ、笑ってるじゃ、ないですか(ズズッ)」
私が鼻をすする度 部長は笑った
部長は駅で別れるギリギリまで 酔っぱらいの私を気にかけ心配そうな表情で見送ってくれた
まるで我が子を心配そうに見送る親のように
帰った私は彼に電話をかけた
声を聞いてまた私は悲しくて泣いた
電話の向こうで 彼はすまないと繰り返していた
ーーー
冷たい印象だった部長だったけれど
本当はツボにはまるとよく笑う人だということを誰も知らない
しかもプライベートではイケオジに変装をしている
(本人は変装してるつもりはないんだろうけど)
私だけが知っているというこの優越感♪
あ、部長!
廊下を歩く白川部長を見つけた
周りに人がいないのを確認して声をかけた
「部長、プレゼント、娘さんどうでした?」
「とても喜んでくれたよ(笑) 貴女はとてもセンスが良いようだ。本当にありがとうね。」
部長が少し微笑みかけ 丁寧に頭を下げた
「そんな、こちらもご馳走になりましたし(笑) それにご迷惑をおかけしてすみません、、」
「彼の件、大丈夫かな。 あの後 気になってね。」
落ち込む私を気にかけてくれていたなんて…
周囲から部長は笑わない冷たい印象を持たれているけれど本当はとても温かく優しい人だということを他の人にも知ってもらいたい
ーーー
部長の仕事は本当に多くて それでも疲れた顔も見せず安定の精神力で淡々と職務を遂行している姿に
次第に部長に尊敬の念と人柄に興味を抱くようになっていた
イケオジスタイルの部長
紳士的でイケてたな…
きっと彼女がいないから私にプレゼントの買い物を頼んできたんだろう
時々 微笑む部長の顔を思い出す度
つい私も微笑んでいた
男として素敵だよねぇ~
もちろん恋とかじゃなくてね
恋じゃ… 恋じゃない
まさかあり得ない
だって部長は50だよ?
無い無い!
ーーー
3ヶ月ぶりに福岡からヒロが帰ってきた
週に何度かビデオ通話で話してたからか 久しぶりという感覚はなかった
「お前んちに泊まっていいだろ? 」
「うん。」当然そうだよね
帰って来るこの日を私はあんなにも待ち遠しく思っていたのに
ヒロは仕事の愚痴を言い始めて私はウキウキした気分が失せてしまった
話を聞いてると愚痴も言いたくなる状況なのは理解できるけど…
食事中もお風呂から上がってからもずっとだよ
私の心は次第にイライラに変わっていった
「ヒロ。もうその話、終わりにしない?」
「え?」
「久しぶりに会えたのにそういうのばっかり。ヒロは私と会えて嬉しいとかないの?」
ヒロは複雑な表情をして
「お前だけはわかってくれると思ったのにな。」
「わかるよ!? わかるけど、、そんな話ばっかりじゃせっかく会ったのに時間が勿体ないよ。」
「もういい。俺 疲れたから寝かせてもらうわ。」
ふて寝してしまった
こんなので付き合ってるって言える?
私 …
いつの間にか“結婚すること” が目的で付き合ってたのかもしれない
付き合い始めた時の純粋に彼に恋する気持ちが
冷めていたことに気付いた ーー
ーーー
結局 翌朝 彼は私の部屋を出て行った
そのまま実家にでも帰ったのかもしれない
お互い何の連絡もしないまま休みは終わった
彼は福岡に戻っただろう
このまま自然消滅に… なっちゃうのかな…
「笹山君。」
後ろから声をかけられ慌てて振り向いたら部長だった
「すみません、何でしょうか!」
資料を渡された
「これ “ちゃんと” 目を通しておいて。」
“ちゃんと” ??
「はい。わかりました。」
手渡された資料は私の担当している案件
その資料を開くと付箋が貼られていた
なになに??
“予定がなければ今夜19時にここ(場所)に来てくれないか”
こっ、これは、、、!!
これはいわゆる “社内の秘密のやりとり” では!!
動揺を隠し私も付箋に返事を書いて別の資料に貼り付けて部長に渡した
“例の案件、承知致しました” と書いた付箋を読んだ部長は私の方に視線を移しほんの少し微笑んだ
うっ、、
これは本当に“イケナイ”匂いがするわ!いや行くけどね!
ーー ドキドキ
このプライベートなお誘いが恐いようなワクワクするような複雑な感情…
その後も部長はいつものように平然と義務をこなしていた
ーーー
メモに書かれている店の前
ここは… 中華料理店 だね…
「お待たせ、、」
部長が3分遅れてやってきた
「お疲れさまです。ここですよね?」
「ん。中華が食べたくなって。」
え??なんで私を誘ったのかな?
「中華料理は量が多いですからね。一人で何種類も食べられないだろう?」
え??そりゃわかりますけど
なんで“私を誘った”んですかね??
「はぁ… 」取り敢えず一緒に店に入った
ーーー
「私が食べたいものを頼んでも構わないだろうか?」
そう聞かれ 構わないと答えると部長は何種類かの料理を頼んだ
「すまないね。また付き合わせてしまって。」
「いえいえ(笑)」
ここも部長の奢り、ですよね??(笑) なら歓迎です!
「… 今日の貴女は少し変でしたねぇ。」
ーー え?
「そう、見えましたか?」
彼のことでモヤモヤしてたのバレてる!
「そう見えましたが。」
部長の観察力… 鋭すぎですよ
「まぁ… 休日に彼と会いまして、、」
私は彼とのこと 自分の心の変化を話した
「別に寂しいとか、そういうんじゃないんです。ただ… 自分のあざとさに気付いて失望したと言いますか… 」
ずっと傾聴の姿勢で聞いていた部長が口を開いた
「貴女の年頃だと結婚を意識してもおかしくはない。ただ私は結婚だけが幸せじゃないと思うけどね。」
部長 離婚してるんだったな…
経験者のその言葉は響くなぁ
ーーー
店を出ると
季節は春
どこから流れてきたのか桜の花びらが川面に浮かび揺れていた
部長は橋の真ん中ぐらいでゆっくり足を止めた
「笹山君… 」
部長は空を見上げていた
「月が… 綺麗ですね 」
見上げると物凄く大きい月だった
「ほんと綺麗ですね!近くに感じて手が届きそう(笑) 」
ーーん? “月が綺麗ですね” って言葉…
確か…
隣の部長に視線を移すと
部長が私を見つめていてドキッとした
「貴女は… 」何かを言いかけた
「はい… 」ドキドキしてその後の言葉を待った
「いえ、なんでもありません。」
また私の歩く早さに合わせてゆっくり歩きだした
時々 風に乗って香る部長のフレグランスが
一人の男性だということを私に意識させた
今まで “仕事ができる人”とか “50歳” ということを気にしがちだったけど
歩く姿や姿勢や所作が綺麗だなとは気付いていたけど
部長って本当は格好良い男性だったんだな…
「また… 一緒に食事をしませんか?」
部長の声がいつもより優しく聞こえた
「そうですね、是非(笑) 」
私は部長と個人的に連絡先を交換した
ーーー
帰宅し部屋の電気を点けて
冷蔵庫から水を取り出してコップに注いで飲んだ
“ 月が… 綺麗ですね ”
あの部長の言葉…
あれは…
夏目漱石の小説に出てくる愛の告白だよね…
それとも本当に偶然綺麗な月だったから… ?
言葉の真意を確かめたいけど…
私は部長に初めてLINEを送ることにした
ごちそうさまでした。
楽しかったです。とか?
お風呂に入りながら思った
いざ送ろうと思うと悩む…
月を見上げる部長の横顔と香りが強く記憶に刻まれた
スマホのランプが光っていた
開いてみると部長からLINEが入っていた
『食事に付き合ってくれてありがとう。
今もベランダから月を見ています。もう月は高く昇ってしまいましたけれど。いつか貴女と星空も見に行ってみたいです。もちろん貴女が良ければの話です。』
ーー 行ってみたい
直感的にそう思った
こんなに浮き足立つような ふわふわした気持ちは何年ぶりだろう
『ごちそうさまでした。ありがとうございます。その時は是非ご一緒させてください。』
布団に入ろうとしたら返事が返ってきた
『ありがとう。なんと返したら良いか、嬉しいです。』
短い文面に 微笑む部長の顔が浮かんだ
… これは理屈じゃない
心が 部長に惹かれてる
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