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どうも。
みなさん、お元気ですか?
はい。
私は元気です。この寒ささえ何とかしてくれれば・・・・・寒がりなんで。でも弱点が寒いのって怪獣とかによくいますよね?ゴジラ(ゴジラの息子より)とか。
そう思うとごく自然なはず(笑)
さてなぜ今回こんな書き出しかというと久しぶりのパソコンからの更新だからです。
まあ熱烈な読者の方(いるのか?)ならご存知でしょうがモデはパソコン所持してません。
なんで毎日仕事では触っていますが、私生活では触らない事のほうが多いんです。
まあそれはどうでもいいとして。
今回は
劇場版 仮面ライダーW
についての感想なんかを書いていこうかなって。最近携帯投稿だから書くのが大変でしてなかなかガッツリ書く気が起こりませんでしたが。
ああ、また脱線(笑)
物語は・・・・・あーコピペも面倒なんで割愛。
見た人しかわからなくていいのが感想なんで。そんな映画情報誌でもあるまいし(笑)←もう脱線。
今回の映画の主役はフィリップで、テーマは「少年の成長」でした。
で観ていて感じたのが
「おもしろい!」
でした。
もちろん今までの映画だって面白かった。特に「剣」「カブト」のラストとかは好きだし、ディケイドは補正入りまくりで大好きだし。
ここでいう「おもしろい」は作品全体なもので。
でどこが面白かったか?を箇条書きであげてみます。
・TVシリーズの中の1エピソード
・アクション
だけです。
というのもこの映画に限らずキャラ映画って結局は「僕ら」にしか向けてない。ここでいう僕らって言うのは「視聴者」。ここで視聴者っていうのオタクに変えなかったのは「児童層とその家族」を指すからです。
でなんでこのTVシリーズの1エピソードってところが面白いか?
それは映画として今までのライダー映画としての構造の違い。
どちらかというと映画っていうのは
「切り離した世界観」
が多いです。
それはライダー映画に限らず、ドラゴンボールとかのアニメにしてみても。キャラはいつもテレビで見ているけどテレビとは関係ないですよ。ってやつです。
これは
「この映画は1本映画として楽しんでください」
っていう構造なんですよね。
で平成ライダーファンは映画は
「パラレルワールド」
っていう見方が通説になってます。龍騎でみんな覚えた観方ですね(笑)
で今回のWはそうではなくてしっかりと「いつもテレビで観ている仮面ライダーW」のお話。しっかりとリンクさせてますね。
でその構造自体がこの映画が面白い理由なんじゃないかな?と思います。
まあ延長線上で描いていたアギト、電王もありましたが。
じゃあその2つと何が違うのか?
それが
「少年マンガ的展開」=「王道」=「元気玉パターン」
それプラス
「風都市民」
という要素。
ラスト近くに今まで出てきたゲストキャラクターが出てきます。懸命な視聴者の「僕ら」は判るんですよね。
「あ、ジミー中田だ!」
とか
「ハリケンブルー」
とかね。
そこが「僕ら」と「ダブル」を繋いでいるんじゃないかなっと。彼らは今回エピソードには絡んでません。ただ彼ら風都の人たちが出る事で「今まで見てきて判る」っていう楽しさと「ダブルを応援している僕らの擬似的姿」じゃないのかな~なんて思います。だからかなんか一体感みたいなものは感じましたね。
だからいきなりダブルがアイテムも無しに最終進化するのも納得というか、ごく自然に受け入れられてしまう。ここがすごいとこなんですよね。今まではラストの展開がアイテムがあってパワーアップ(ファイズ、響鬼)とかがあったわけで。それも「王道」なんですよね。むしろカブトくらいまでは「僕らの」毎年映画の肝は「パワーアップ姿お披露目」だったわけで。
それを映画で観て
「じゃあ本編ではどんな風にでてくるんだろう?」
って感じだったと思うんです。
ライダー映画の楽しみは
「テレビシリーズに楽しみを増やす作り」
だったんじゃないかな?って思うんですね。
でダブルに関してはそれも残しつつ映画も楽しめる。
そこがダブルの劇場版の評価の良さなんじゃないかな?
みんな
「須藤元気!!!」
とかすぐあげますけどね(笑)
でもねモデ個人としては少しやりすぎ感が目立つわけで。役者として「インパクト」を残すというのは全然ありです。
ただやりすぎというか。主役やオーズを喰ったっていうのはすごい事ですけど。
「ディケイド」の時のベテラン大杉蓮さんや石橋蓮司さんの役者としての「爪あと」の残し方も絶大だったけど。
これは情報がちょっと出すぎなのが原因じゃないかな~とも思います。
見る前に情報を確認して(どんなライダーがでるとか)、それを映画で観て「あぁ、出たね」っていう確認の作業にもなりつつあるような気がするんです。モデの個人的には思いますし、特撮雑誌我慢するっていうのも辛い。だから毎年夏は辛い時期でした。
さて脱線したので次はアクションを。
ワイヤーアクションの使い方がよかったっていうのが大雑把な言い方で。
今までワイヤーアクション使っている映画(アクション邦画)ってなんで面白く感じないんだろうな~って感じていたんです。
答えは簡単でした。
「吊っている感」
「観ている頻度」
でした。
例えばなんかの映画でジャニーズタレントがワイヤーアクションをするとします。モデはこれで「あぁ、吊ってる」って感じてしまうんです。これはモデの集中力が足りないのかもしれませんが。
でハリウッド俳優や韓国俳優がワイヤーアクションしてても気にならない。
なんでだろう。
「あっ、普段この人たちを見すぎなんだ!」
って思ったんです。
「テレビでよく観る人たち、日本語をしゃべっている」
っていうところでモデは無理になってしまっていました。
で仮面ライダーとかになると若干薄まってくれるんです。
それが今回ダブルでは「ハードボイルダー」も飛んでいるからある程度見れたわけです。
ここである程度というのは
そこまで気にならなかった。
っていうことです。
でもキャラクター映画だからこそそういうワイヤーアクションが栄えるのも事実。正直役者の素面で吊られてると「バラエティに出てる人」
っていうのが働いてしまうんで。
とまあ薄い感想でしたが(笑)
でも映画だけで語る部分ってそこまでじゃないかな?後はテレビシリーズを絡めて語るものだから。
とまとめきれないので逃げるモデでした。
ほら、平成ライダーってそういうのもあったじゃない?だからそれにインスパイアされてだね・・・・云々かんぬん
みなさん、お元気ですか?
はい。
私は元気です。この寒ささえ何とかしてくれれば・・・・・寒がりなんで。でも弱点が寒いのって怪獣とかによくいますよね?ゴジラ(ゴジラの息子より)とか。
そう思うとごく自然なはず(笑)
さてなぜ今回こんな書き出しかというと久しぶりのパソコンからの更新だからです。
まあ熱烈な読者の方(いるのか?)ならご存知でしょうがモデはパソコン所持してません。
なんで毎日仕事では触っていますが、私生活では触らない事のほうが多いんです。
まあそれはどうでもいいとして。
今回は
劇場版 仮面ライダーW
についての感想なんかを書いていこうかなって。最近携帯投稿だから書くのが大変でしてなかなかガッツリ書く気が起こりませんでしたが。
ああ、また脱線(笑)
物語は・・・・・あーコピペも面倒なんで割愛。
見た人しかわからなくていいのが感想なんで。そんな映画情報誌でもあるまいし(笑)←もう脱線。
今回の映画の主役はフィリップで、テーマは「少年の成長」でした。
で観ていて感じたのが
「おもしろい!」
でした。
もちろん今までの映画だって面白かった。特に「剣」「カブト」のラストとかは好きだし、ディケイドは補正入りまくりで大好きだし。
ここでいう「おもしろい」は作品全体なもので。
でどこが面白かったか?を箇条書きであげてみます。
・TVシリーズの中の1エピソード
・アクション
だけです。
というのもこの映画に限らずキャラ映画って結局は「僕ら」にしか向けてない。ここでいう僕らって言うのは「視聴者」。ここで視聴者っていうのオタクに変えなかったのは「児童層とその家族」を指すからです。
でなんでこのTVシリーズの1エピソードってところが面白いか?
それは映画として今までのライダー映画としての構造の違い。
どちらかというと映画っていうのは
「切り離した世界観」
が多いです。
それはライダー映画に限らず、ドラゴンボールとかのアニメにしてみても。キャラはいつもテレビで見ているけどテレビとは関係ないですよ。ってやつです。
これは
「この映画は1本映画として楽しんでください」
っていう構造なんですよね。
で平成ライダーファンは映画は
「パラレルワールド」
っていう見方が通説になってます。龍騎でみんな覚えた観方ですね(笑)
で今回のWはそうではなくてしっかりと「いつもテレビで観ている仮面ライダーW」のお話。しっかりとリンクさせてますね。
でその構造自体がこの映画が面白い理由なんじゃないかな?と思います。
まあ延長線上で描いていたアギト、電王もありましたが。
じゃあその2つと何が違うのか?
それが
「少年マンガ的展開」=「王道」=「元気玉パターン」
それプラス
「風都市民」
という要素。
ラスト近くに今まで出てきたゲストキャラクターが出てきます。懸命な視聴者の「僕ら」は判るんですよね。
「あ、ジミー中田だ!」
とか
「ハリケンブルー」
とかね。
そこが「僕ら」と「ダブル」を繋いでいるんじゃないかなっと。彼らは今回エピソードには絡んでません。ただ彼ら風都の人たちが出る事で「今まで見てきて判る」っていう楽しさと「ダブルを応援している僕らの擬似的姿」じゃないのかな~なんて思います。だからかなんか一体感みたいなものは感じましたね。
だからいきなりダブルがアイテムも無しに最終進化するのも納得というか、ごく自然に受け入れられてしまう。ここがすごいとこなんですよね。今まではラストの展開がアイテムがあってパワーアップ(ファイズ、響鬼)とかがあったわけで。それも「王道」なんですよね。むしろカブトくらいまでは「僕らの」毎年映画の肝は「パワーアップ姿お披露目」だったわけで。
それを映画で観て
「じゃあ本編ではどんな風にでてくるんだろう?」
って感じだったと思うんです。
ライダー映画の楽しみは
「テレビシリーズに楽しみを増やす作り」
だったんじゃないかな?って思うんですね。
でダブルに関してはそれも残しつつ映画も楽しめる。
そこがダブルの劇場版の評価の良さなんじゃないかな?
みんな
「須藤元気!!!」
とかすぐあげますけどね(笑)
でもねモデ個人としては少しやりすぎ感が目立つわけで。役者として「インパクト」を残すというのは全然ありです。
ただやりすぎというか。主役やオーズを喰ったっていうのはすごい事ですけど。
「ディケイド」の時のベテラン大杉蓮さんや石橋蓮司さんの役者としての「爪あと」の残し方も絶大だったけど。
これは情報がちょっと出すぎなのが原因じゃないかな~とも思います。
見る前に情報を確認して(どんなライダーがでるとか)、それを映画で観て「あぁ、出たね」っていう確認の作業にもなりつつあるような気がするんです。モデの個人的には思いますし、特撮雑誌我慢するっていうのも辛い。だから毎年夏は辛い時期でした。
さて脱線したので次はアクションを。
ワイヤーアクションの使い方がよかったっていうのが大雑把な言い方で。
今までワイヤーアクション使っている映画(アクション邦画)ってなんで面白く感じないんだろうな~って感じていたんです。
答えは簡単でした。
「吊っている感」
「観ている頻度」
でした。
例えばなんかの映画でジャニーズタレントがワイヤーアクションをするとします。モデはこれで「あぁ、吊ってる」って感じてしまうんです。これはモデの集中力が足りないのかもしれませんが。
でハリウッド俳優や韓国俳優がワイヤーアクションしてても気にならない。
なんでだろう。
「あっ、普段この人たちを見すぎなんだ!」
って思ったんです。
「テレビでよく観る人たち、日本語をしゃべっている」
っていうところでモデは無理になってしまっていました。
で仮面ライダーとかになると若干薄まってくれるんです。
それが今回ダブルでは「ハードボイルダー」も飛んでいるからある程度見れたわけです。
ここである程度というのは
そこまで気にならなかった。
っていうことです。
でもキャラクター映画だからこそそういうワイヤーアクションが栄えるのも事実。正直役者の素面で吊られてると「バラエティに出てる人」
っていうのが働いてしまうんで。
とまあ薄い感想でしたが(笑)
でも映画だけで語る部分ってそこまでじゃないかな?後はテレビシリーズを絡めて語るものだから。
とまとめきれないので逃げるモデでした。
ほら、平成ライダーってそういうのもあったじゃない?だからそれにインスパイアされてだね・・・・云々かんぬん
と
イカでビール!!
だね!