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「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

今でも自己分析している。

2015-07-28 | コラム

なんで、あの高校を受験したのか、まったく記憶に無い。

もっと家から遠くにある学校に行きたいと思っていた記憶があるが、通学に1時間以上かかるよーな学校は、まっぴらごめん。

父親は出来の悪い僕を心配して、この高校受験は、会社の部下に卒業生がいた為、裏から手を回した。(誰かさんが会社に入る時も裏から工面していたけど)

それを知ったのは掲示板で自分の合格確認した後、書類受け取りに窓口行ったら、すでに取りに来た人いると言われた時だったと思う。(ここらは昔の事なんで記憶曖昧だが)

入試終わった段階で合格したと思っていたので、そんな事しなくてもいいのにぐらいに思っていたと思う。

一年生の時、最初の試験で僕は学年で28番ぐらいの成績だった。

当時、僕のクラス56名いた。

AからHクラスまであったので、1学年450名ぐらいはいたはず。

普通に受験していても合格していたはず。

内心ずーっと思っていたけど、父親には何も言わなかった。

別に恨んでもいない。

本当に知能が遅れている子供だったので心配して当たり前。

小学校に入学した時、普通の学校に入れてよかったみたいな事を母親が言ったのを、なんとなく記憶しているが、入学後の親子面接で言葉が幼い(幼児に近い)と先生に言われたので、同級生よりかなり劣っていたんだと思う。(少し話は逸れるが、4年生から担任になった雨宮先生(女性)が僕をとても可愛がってくれ、先生のお陰で僕は勉強するよーになった。雨宮先生と出会っていなかったら、その後、どーなっていたか分からない)

高校入学後、最初の個人面接で大学進学に関して問われたので、

「慶應に行きたい」などと適当な事言ったら、

「君ならがんばれば入れる」

アホか、慶應入れるぐらいだったら、こんな学校来てない!。

と内心思い、やる気なくなり成績ガタ落ち。

担任が『磯田、何かあったのか?』と心配してくれたが。

付属高校だったので、簡単な試験で同じキャンパスにあった大学に入れたが、不合格。

後で調べたら30点ぐらい足りなかったらしいが、その程度だったら、裏から手を回せば何とでも出来たと言う話。

でもあのまますんなり大学行かなくてよかった。

二浪し国学院に入ったが、ここも別に行きたい学校ではなかった。

試験科目が少なかったので(英語と国語?)受けただけ。

興味ない科目は、まったく勉強しなかった。

理数系はすべて全滅。

世界史も中国の地名、人名覚えられないので飛ばしていた。

国学院の入試、英語の試験で二箇所以外はすべて正解だと自分で分かっていたので、間違いなく合格したと思った。(よーするに英語だけで合格したよーなもん)

合格発表見に行きすぐに母親に電話

「思った通り受かっていたよ」

国学院は母親の実家の、すぐ近所だったので、あんまり評価が高くなかった大学だけど、自分の実力で合格したので嬉しかった。

ただ文学部は片親(二浪の時父親急死)だから就職に不利だと言う、母親の訳の分からない理由で受けさせてもらえなかった。

なので受験した大学すべて経済学部だったのではないだろーか。(今みたいに国際学部や人間なんたら学部なんて無かったし)

経済学部、はっきり言ってちんぷんかんぷん。

まったく興味無かった。

英語と社会人類学の授業以外、ほとんど出席しなかったが3年でほぼ単位取り4年生の時、レコード会社で半年バイトでプロモーターやる事出来た。(英語の試験は毎回100点。クラスで一番だった)

心理学部に行っていたらと思う事がある。

一橋大学の南博氏の心理学の本など読んでいた。(今でも本屋に行くと心理学の本棚見る)

ちっちゃな時に、叔母の友人(医者?)が、一度診察してみたいと言っていたので、かなり変わった子供だったんだと思う。

心理学に興味があったのは、自分を分析したいと思っていたからだと思う。

ある著名な心理学の先生も自分を知りたく心理学を勉強したと書いていた。

僕は今でも自己分析している。

(あとがき)

う〜ん、今回もとりとめの無い文章だった。

支離滅裂は子供の頃から変わって無いな。

FBにコメントしても、話があっちこっち飛ぶのは、やはりどこかに問題あるからだろーね。








 









 

 



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