横浜引っ越して来て色々不思議な出会いがあった。
横浜中央市場の食堂には久が原幼稚園(東京大田区)の後輩がいた。
GENE三宅さんは久が原小学校の先輩だった。
昔、父親と同じ会社にいて、父親をよく知ってるTVプロデューサーがYCMB(やんちゃでC調マジメにバカやる放送局)の放送にゲストとして偶然やってきた。
以前から1度見てみたかった、父親が朝鮮動乱の時に出した毎日新聞の号外(大スクープ!)にも日本大通りにある新聞博物館で出会えた。(コピーは額に入れて父親の写真の隣に飾ってある)
和田昌樹さんは元ニューミュージックマガジンの編集者で、オイラと同じ業界にいた人。
坪倉さんはオイラが良く知ってる音楽カメラマンと最近知り合った。
悟空研究所の笠井さんはオイラがプロモーターをやっていた時代にニッポン放送,ニューズレコードなどに出入りしていた人だと判明。なので共通の知り合いが何人もいた。
元TVKで現在映画監督の市川徹さんはオイラも良く知ってるアンアンの元編集者、吉田弘さんと仲良しだった。(吉田さんとはこの前再会した)
その市川監督がこの前ユースト生中継で俳優の清水宏次郎を良く知っていると言っていたので、そんじゃマネージャーの田中(通称ケル)を知ってるんじゃないかと聞いてみたら、よーく知ってた。
ケルはブルーベリージャムと言う横浜のバンドの事務所の社長(兼マネージャー)をやってた奴で、その当時から市川監督はケルを知っているそーです。
オイラは、KITTYレコードで、このバンド担当プロモーターだったので、ケルとは仲良かった。
このバンドの後期のベーシスト、渡辺英樹は後にCCBを結成し人気者になった。
英樹からブルーベリージャム時代に撮った写真公表しないでねと言われたが別に変な写真はない。因みにyoutubeの曲は英樹が入る前のベーシスト)
その後、ケルはいつの間にか清水宏次郎のマネージャーになっていた。
だいぶ前に宏次郎のライブを観に行きケルとは再会したが、その後、どーしているかはオイラ知らない。
これ以外にも不思議な出会いがあったと思うが、今は思い出せない。
(追伸)さきほど和田さんの奥さんが亡くなったと連絡あり。
和田さんの奥さんのおとーさんは戦後のベストセラー本「HOW TO SEX」の著者、医学博士の奈良林 祥さん。
オイラがこの前よーやく手に入れた本「旋風20年」(父親が協力した本)も戦後のベストセラー。
和田さんが、奥さんのおとーさんが奈良林さんだと教えてくれた時、不思議な縁だなと少し思った事を思い出した。
ご冥福をお祈りいたします。