モジリア

74歳のブロガー。ギネスを目指す!(^^)!
おじさんが読む「赤毛のアン」

大晦日です

2011年12月31日 | 何故 十兵衛は?
11・12・31



白菜です、季語は冬。あぶらな科の1,2年生植物
卵形の葉が結球して柔らかい葉と白い葉柄の部分が食べられる
漬物に鍋に冬には欠かせない食材です。
白菜を積み残されて家は留守(前田忠男)
白菜の芯まで濃尾日和かな(梅村半醒)


昭和62年正月、急に40度を越える発熱、
解熱剤が効いている時だけは熱が下がり、
効果が無くなると又高熱を発症する。

「風邪だろう」程度の診断で風邪薬を処方されても
病状は全く改善しない。

2,3軒医者を代えても埒が開かない。七草が過ぎるころ東邦病院へいった。

「膠原病かも知れません、検査入院してください」と内科医は云った。

膠原病なんて病名を聞いたことがあったかどうか思い出せないが、
病気が特定されただけで、良かったな、と思った。

病気が特定されれば治療法もあるだろう。
チョッと希望が持てる思いがした。

検査中三日間は解熱剤が使えない、頭と胸を氷で冷やすのには閉口した。
 
三日目の夕方看護師が、
「膠原病と診断されました。この病院では二例めです」という。

「副腎皮質ホルモンといって使い方が難しい薬ですから
主治医の指示に従ってください」

どんな指示があるのか、簡単に云うと
「絶対に飲み忘れはしないでください!」と云う事だけ、
病気を特定し、やっと辿りついた治療法、内心、

「飲み忘れなんかする訳がない!」と思った。

夕食後三〇分以内に指示通り、副腎皮質ホルモンを7錠服用した。

服用して20分ほど経つと熱が下がって来た。

解熱剤以外の薬で熱が下がった。
「いよいよ治療が開始されたのだな」と思って嬉しくなった。

2日目も、3日目も発熱はない。

副腎皮質ホルモン剤を服用する以外は抗生物質と栄養剤の点滴、
「消耗した体力を回復させるためだろう」程度に解釈していた。

「間もなく退院できるな」と自分でも思い、
同室の患者もそのような見方をしていた。
 
一日中ベッドの上で過ごす。
本を読んでもたちまち読み終わってしまう。

病院近くの本屋にでかけては、
なるべく厚手の文庫本と云うだけの選択肢で本を買う。

題名は忘れたが渡辺純一の書いた小説、
主人公の女性が膠原病を患い不治の病を悲観して自殺してしまう。

膠原病は不治の病でそうとう難病らしい、
回診に来た主治医に小説のことを話すと、

「まァね……」と云って、ニヤニヤ笑っているだけだった。
だが、どう云う訳か
不治の病にも難病にもあまり深刻にはならなかった。
 
2月、いつものように地下の売店で新聞を買い、ベッドの上で読んでいると、

「今日は啓蟄の日」の見出しが目に飛び込んできた。

「冬の間、土中深く眠っていた虫たちも
春の気配を感じて蠢きだす」

何かしら明るいものを感じた。
「凍りついたようなオレの運命も遠くの方で微かに槌音が聞こえる……」

何だか嬉しくなってきた。

1月の半ばに入院して、退院したのは6月の始め、
約半年間は元気な?患者として入院生活を送った。