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雲が多いものの、久々に青空を見ました
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2011年3月11日
あの日は、もっと晴れ渡った、
少し汗ばむほどの陽気でした
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房総の海辺のレストランで
磯料理のランチを済ませ
国内最大級の熱帯・亜熱帯動植物園
南房パラダイス
(現、アロハガーデンたてやま)を見学して
園内のフルーツパーラーで
ここでしか飲めないフルーツジュース
(名前は思い出せません)を
オーダーして寛いでいた直後に、
あの地震に遭遇しました
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店員さんの、外に避難して!との呼びかけに
取りも直さず店外に出て
地震がおさまるのを待ちました
今まで、体験したことのない
大きな地震でした
その後、津波警報が出て慌てて車に戻り
ただ、ただ、海から離れることだけを考え
ひたすら狭い山道を辿って
帰路についた記憶があります
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通常は3時間の道のりなのですが
かなりの渋滞に巻き込まれて
家に帰り着いたのは夜中の一時過ぎでした
途中、千葉のコンビナート方面に
立ち登る大きな炎を見ながら、
被害の大きさを感じ
当時、留守番をしていた
サンディーとポポの安否をひたすら祈って
不安ながらの帰路でした
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ドアを開けたと同時に胸に飛び込んできた
サンディーとポポの顔が
未だに忘れられません
しぱらく、涙が止まりませんでした
家の中は、台所の食器類が割れて散乱し
本棚から落ちた本などでドアが塞がれ
各部屋がごった返しになっていました
彼女達にとっては
物凄い恐怖だったと思います
この日を教訓に、それ以後は
ワンチャンだけで留守番をさせるような
計画は極力しないようにしています
私達家族にとっては、忘れる事のできない
恐怖体験でした
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それでも、震度が大きかった
東北地方に比べたら問題になりません
この程度で恐怖を感じたくらいですから
東北の方達の恐怖や絶望感は
計り知れない大きなものだったでしょう
あれから、早いもので
9年という月日が経ちました
原発のあった福島では、未だに
避難先などから帰れない方達がおられます
亡くなった方へのご冥福を
お祈りすると共に
1日でも早く復興されることを
心より願っています
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今日はこの地から、同時刻になった時
静かに黙祷を捧げました
全ての人々が
安寧で暮らせますように
少し離れたところからでも
直接震災に遭遇・・津波も心配されて
忘れられない記憶ですね。
関西の私は阪神大震災を経験しましたが~
東北大津波は車で西宮の姪の家へと走っていた時で
向こうへ着いたらちょうどテレビで津波がやってきたところを見ました。
そのあとは夫の実家(陸前高田)の安否を
テレビやネットで探す毎日でした。
義姉の姉妹家族5人が波にのまれてしまいました。
昨日もちょうど車の中で黙祷を捧げました。
ryoさんのご親族も被災されたのですね。
改めてお悔みを申し上げます。
自然災害には、なす術もありませんが、多くの犠牲者の方達から学ぶべき事は、あらゆる災害に対しての防災意識を高め、早めの準備を怠らないということに尽きます。
お互い、命を大切に、が一番ですね。
ありがとうございました。