今日は母方の祖母の三回忌。
ということで群馬まで出向いた。
縁の下の力持ちという言葉もあるが、
2017年7月8日、同日に二人の祖母が亡くなったため、
7月の初頭は自分の頭に暗い影がよぎる時期。
今年は無事過ごせるだろうか、と。
母方は浄土宗で、饒舌な坊さんのお話と
参列者全員で各自支給される木魚を一斉に叩くことに特徴がある。
そしてその木魚は裏打ちで叩くのもルール。
お経はテンポが終盤に大きく揺れるため、
案外テクニカルである。
文字で表現しようがないことをあえて文字で書こうとするなら、
ナム〜(ポン)アミ〜(ポン)ダブ〜(ポン)× 数回
ツ〜(ポン)ナム〜(ポン)アミ〜(ポン)rit
ダブゥ(ポポン)morendo
といったところだ。
ポン、が木魚。
最後はお坊さんのrit についていけずに皆の木魚の音がバラける。
上ではポポンと書いたが、本当はポポポポンくらいである。
過去に「お経聞いてて「流れ変わったな」と思う瞬間」なるタイトルの掲示板を見て笑っていたが、
今日の法要中に実際に""願わくば〜"のくだりが始まったので、このサイトの人達はちゃんと話を聞いていたのか、と思った。
一周忌ではお盆の由来の話をされたが、
今日の話は何だろうと多少の期待を込めて話の始まりを待つ。
現世以外の世界(全部で4つの世界)も見える能力を持った
釈迦の弟子の目連とその母親の話。
彼の母親が亡くなる。彼はその能力で母がどこにいるだろうとの探したものの、極楽界にいない。何故だろうと思ったら、餓鬼界で逆さ吊りにされていた。
何故なら、自分の子供ばかりに(豪華な)食事を与え、貧しい人に施しをしなかったからことの罰、ということだった。
転じて、普段の生活や仕事で、仮に自分だけにできる事があるとして、自分だけのことを考え、周りを助けず、下に見たりすることはないか?との問い。
かたや僕は、聖闘士星矢の六道輪廻のことを思い出し、餓鬼界、修羅界、地獄、畜生界、人間界、天界で数が合わんなぁと思っていた。
◇
一周忌と同様に雨が降り、一周忌と同様に傘をさしながらお供え物と線香を挙げた。
今回は随分ヤブ蚊が目立ってもいたようだ。
礼服に強力に虫除けスプレーをかけられ、
結局蚊に刺されずに済んだようだ。
(オマケ)
マイクロバスから撮影した標語
縁の下の力持ちという言葉もあるが、
時代に合わせて?「足の裏的な人間になれ」ときたもんだ。
"足の裏的な"じゃねーよと思いつつも、こうして自分が写真を取りブログに書いた段階で、寺さんの勝利なのかも知れない。上品でも、インパクトに残らない標語は人に見向きもされないというのはコピーライターのジレンマ。
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