Verdure 4F

茶道25年、ブログ19年! 家業を継いで13年。息子は10才。子育て、茶道、季節行事、料理、日記、読書の記録など。

池袋演芸場

2010年11月28日 | Weblog
池袋演芸場で落語を聞きました。

下町ふうとか江戸情緒とか、そういう内装や雰囲気とは無縁(笑)でしたが、そうとう久しぶりのナマ落語は、面白く楽しみました。
ひとつの落語のなかに、のんこうの茶碗、遠州宗甫の銘がある金明竹の寸胴の花活、風羅坊正筆の掛物、織部の香合、もうひとつの落語に井戸の茶碗・・・、がでてきて、その偶然に「おおっ」と思いました。
これって・・・一つ目はそれを上方方言で早口で言われて聞き取れず・・・という話なのですが、これ、今日び、聴衆も、何を言ってるのか言葉だけではぜんぜんわからない人がほとんどだろうな~~~と。
二つ目も、みすぼらしいと思って謙遜して差し上げた古茶碗が実は井戸の茶碗で・・・、という話なのですが、いかに(一見)みすぼらしく見えて、実はいかに超高額なものか、金額は私もよくわかりませんし。。。

しかしちょっとお茶の勉強をした心境♪ 勉強というか、笑ってきましたが

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2 コメント

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専門的!? (赤坂 うさぎ)
2010-11-29 00:20:49
落語も専門的な部分は素養がないとついていけないですね。古典はその当時は庶民の当たり前の常識の範囲だったものが題材になりますが現代人にとっては皆専門的過ぎてついていけないことが多いですよね。
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言葉と文化 (ぴんくこあら)
2010-12-02 17:02:06
言葉は移り変わっていくもの・・・とはいいながら、名詞が消えていくのはその「もの」が消えていくからであり、形容詞が消えていくのはそういうふうに感じ取る「感性」が消えていくことであり、まさに言葉が消えていくのは文化が消えていくということですね。
あまりにしゃべり言葉に近く人々が驚いたという明治の小説も、今では解釈がなければ理解できず・・・。寂しいことです。
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