【修復腎移植ものがたり:(16)拡大】
修復腎移植はその後95年2例、96年4例、97年2例、98年1例、99年4例、2000年6例、2001年5例、02年0件、03年3例と続けられた。内訳は市立宇和島病院23例、呉共済病院4例である。9年間で透析患者27人が腎移植を受けることができた。91年の光畑移植からだと31例に達した。
この数値は他の市中病院で行われている生体間腎移植の実績に匹敵する。 . . . 本文を読む
【修復腎移植ものがたり:(15)虚報】
今はカルテの電子化で様変わりしたが、当時の臨床医は月初めに「レセプト請求」という事務作業に追われた。社会保険支払い基金に提出する診療報酬請求書を「レセプト」という。元は英語のレシート(Receipt)だが、医者はドイツ語読みをする。締切りが毎月10日で、請求書の審査が行われ内容がチェックされる。妥当と査定された額の医療費が、2ヶ月後に病院や医院に支払われる . . . 本文を読む
【修復腎移植ものがたり(14):捨てられる腎臓を!】
「先に在りしものはまた後にあるべし。先に成りしことはまた後に成るべし。日の下に新しきものあらざるなり。…前のものの事はこれを覚えることなし。後のものの事もまた後に出る者これを覚ゆることあらじ。」(『旧約聖書』「伝道の書」)
男が尿管の下部にあるがんを腎臓ごと切除し、きれいな腎臓を移植に用いることを始めたのは、呉共済病院で腎動脈瘤のある腎臓 . . . 本文を読む
【修復腎移植ものがたり(13)不思議な寿命】
83歳で天寿を全うした三宅謙一が75歳の時に身体の外へ「捨てた」腎臓は、44歳のレシピエントに植えられると、99年という臓器寿命を発揮し、ドナー本人より長生きするという不思議な現象が観察された。つまり個体の寿命と臓器の寿命が異なるのだ。これはどういうことだろうか…。この不思議な現象を説明するのに、二つの仮説が可能である。
一つは、もともとヒトの寿 . . . 本文を読む
【修復腎移植ものがたり(12)巨大な腎動脈瘤】
光畑直喜は1980年4月に岡山大から呉共済病院泌尿器科に赴任した。当時の科長は石(せき)正臣は名医の評判がたかく、朝の5時から受付待ち患者が病院の通用門に行列をつくり、開門を待った。2時間待ち3時間待ちはざらで、番取りの代行屋が出るほどだった。その石の下で光畑は鍛えられた。だが石は腎移植には関心を示さなかった。
光畑が廉介に誘われ宇和島で男の腎移 . . . 本文を読む