ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【隕石】難波先生より

2013-02-20 12:12:57 | Weblog
【隕石】隕石は大気圏に突入した際の摩擦熱で不純物がほとんど燃えてしまい、ほぼ純粋な鉄になる。普通の鉄と違うのはニッケルの含量が多い点である。だから重い。
 ロシアに落ちた隕石でさぞかし難儀しているだろうと同情したが、どっこい敵はたくましい。「観光スポット」および隕石の破片の販売で地元は活気づいているらしい。何しろ1gmの隕石が20万円もするという。同重量の金の40倍ではないか。
 http://www.j-cast.com/2013/02/19165971.html


 昭和20年3月10日、早暁の焼夷弾空襲で、東京の下町は業火につつまれ、およそ10万人の焼死者が出た。
 その日、午後、東京医大のある新宿から水道橋まで焼け跡を見に歩いた山田風太郎は、水道橋でこんな光景に出くわしている。(「戦中派不戦日記」, 講談社文庫)


 <焦げた手拭いを頬被りした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで
 「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……
と、呟いたのが聞こえた。 
 自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。
 数十年の生活を一夜に失った女ではあるまいか。子供でさえ炎に落として来た女ではあるまいか。あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞いた女ではあるまいか。
 それでも彼女は生きている。また、きっと、いいことがあると、もう信じようとしている。人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。…この細々とした女の声は、人間なるものの「人間の賛歌」であった。>


 この一節は山田風太郎の全作品のなかで、私がもっとも好きな部分のひとつである。
 ロシア人の「たくましさ」を知り、この一文を思い出した。同時に、今なお大震災と原発事故の後遺症から立ち直るための奮闘を続けている、東日本の方々にこの一節を送りたい。「また、きっと、いいことがある」と。
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