第7 被告らの批判の総括的評価
以上に述べたとおり、被告らの修復腎移植に対する批判は、
医学技術上の主張(第1~第3)は、
新たな医学的知見を無視してすでに崩壊した古い学説に固執する(第1)、
現実に行われている(被告ら自身も行っている)医療を無視し、実証されておらずかつ移植学会の従前の主張や現実の行動とも矛盾する(第2)、
世界的な医学常識に反し、かつ被告ら自身が行っている医療と論理的に矛盾する(第3)、
等の極度に偏頗な主張であり、
修復腎移植の成績に関する主張(第4)は、実際の成績を、解析姿勢、解析技術、表現のいずれの面でも極度に歪曲したものであり、
修復腎移植の手続面に関する主張(第5)は、過去に行われた移植の実施面にしか関係しない批判を、修復腎移植という技術そのものに対する批判に置き換えようとするものである。
従って、これらの批判は、①どの批判をとっても科学的根拠がないだけでなく、②これらの批判のあり方そのものから、被告らの批判が科学(医学)論の体裁をとってはいるけれども、現実には科学性に欠けることが判明する性格のものであり、③そのことのために、被告らが修復腎移植に反対する理由が実際には科学(医学)とは異なる理由に基づいていることを示すものである。
以上に述べたとおり、被告らの修復腎移植に対する批判は、
医学技術上の主張(第1~第3)は、
新たな医学的知見を無視してすでに崩壊した古い学説に固執する(第1)、
現実に行われている(被告ら自身も行っている)医療を無視し、実証されておらずかつ移植学会の従前の主張や現実の行動とも矛盾する(第2)、
世界的な医学常識に反し、かつ被告ら自身が行っている医療と論理的に矛盾する(第3)、
等の極度に偏頗な主張であり、
修復腎移植の成績に関する主張(第4)は、実際の成績を、解析姿勢、解析技術、表現のいずれの面でも極度に歪曲したものであり、
修復腎移植の手続面に関する主張(第5)は、過去に行われた移植の実施面にしか関係しない批判を、修復腎移植という技術そのものに対する批判に置き換えようとするものである。
従って、これらの批判は、①どの批判をとっても科学的根拠がないだけでなく、②これらの批判のあり方そのものから、被告らの批判が科学(医学)論の体裁をとってはいるけれども、現実には科学性に欠けることが判明する性格のものであり、③そのことのために、被告らが修復腎移植に反対する理由が実際には科学(医学)とは異なる理由に基づいていることを示すものである。