【移植ツーリズム】
元日本移植学会理事長の田中紘一が院長を勤める、神戸市の移植医療ビジネス病院「神戸国際フロンティアメディカルセンター」で、肝移植手術後の患者死亡が相次いでいることを報じたのは、4/14「読売」のスクープだったらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150413-OYT1T50156.html
そういえば、昔(1983/12/6)、「広島大人工心臓<世界記録>データ捏造事件」を最初に報じたのも、「読売」大阪・科学部の三木健二という記者だった。
(W.ブロード&N.ウェイド『背信の科学者たち』、講談社, 2014/6, 牧野賢治による訳者解説、p.319)
彼は後に「人工透析」の実態を連載レポートして、「臓器移植の推進」をアピールしたらしい。
田中紘一がらみの「神戸移植病院」構想は、「移植ツーリズムや臓器売買につながりかねず、倫理的に問題がある」として神戸市医師会と県医師会が反対したため、いったん挫折したと理解していた。
ところが「三井物産」のHP (プレスリリース:2014/8/18) によると、物産がスポンサーになって、田中を看板にシンガポールに「移植病院」をつくり、それが成功したので、新たに神戸に形を変えて再進出したのだという。
https://www.mitsui.com/jp/ja/release/2014/1203229_5704.html
商社にとっての「成功」とは、医療ビジネスとして「もうかった」ということだろう。田中の病院は昨年の11月にオープンしたばかりだと「神戸新聞」が報じているが、市医師会や県医師会、地元紙までも、うまく丸め込まれていたのだろうか? 国際的商社のノウハウをもってすれば、そんなものは赤児の手をひねるより、易いものだろうが…。
問題の移植病院は、病床数120床、政府の「医療特区」制度を利用したもので、建物は三井物産からのリース、理事長=院長が田中紘一、院長代行がYという、これまでエジプトや八王子病院(東京医大分院)で、肝移植がらみの事件・事故を起こしてきた、東京医科歯科大卒の女医である。
「神戸移植病院」の常勤医は、そのHPによるとたった9人で、それが消化器内科、消化器外科、内視鏡外科、移植外科、腫瘍内科、放射線科、病理診断科、臨床検査科、麻酔科の9科とICUを標榜している。
<付記=この文章の草稿を読まれた近藤俊文先生(宇和島市立病院名誉院長)から
「九科を標榜し、120床を抱える病院で常勤医9名というのは犯罪的ですが、そもそもこれでは厚労省が営業許可を出せないはずです。
それに、ICUまで維持できるわけがありません。この数字は正しいのでしょうか?」
という、お訊ねがあった。
そこで、同病院が開示している医師情報をHPで調べてみた。
常勤医の科別構成について、はこうなっている。
消化器内科=2名,
1) 医員(川崎医大2000年卒、神戸大第2内科入局、専門医資格の表示なし)
2) 医員(京大医2002年卒、胃腸科認定医)
消化器外科=2名,
1)医員(京大医2002年卒、内視鏡手術)
2)医員(京大医2005年卒、内視鏡手術)
内視鏡外科=0
肝胆膵・移植外科=3名,
1) 理事長・院長兼任の京大名誉教授(73)
2) 副院長・院長代行兼任の女医(東京医科歯科大2001年卒)
3) 医員(京大医2001年卒)
腫瘍内科=0
放射線科=0
病理診断科=0
臨床検査科=0
麻酔科=1,
1)医員(岡山大医1988年卒、自己紹介に「岡山大学を出た後は移植医療とは離れておりましたが、この度ご縁があってKIFMECに赴任させていただくことになりました。」とある。)
http://www.kifmec.com/03_kifmec.html#003
麻酔科の「専門医資格」は貴重なもので、これがあれば高給のアルバイトができるから、食いっぱぐれがない。そこで時に「渡りの痲酔専門医」がいる。この人がそうかどうかは、わからない。
術後早期の死亡には、手術の手技、手術方法の選択、痲酔の管理、手術中の輸液・輸血の量とタイミングなどがからみ、麻酔医が果たす役割は大きく、この麻酔科医はキーパーソンのひとりであろう。
三井物産のプレス・レリースでは「常勤医9人」となっていたが、今の同病院のHPでは「8人」である。「感染症内科」の1人は、京大大学院生の「常勤的非常勤」である。HPでは「非常勤医」となっている。
ICUに関しては、プレス・レリースにはあったが、病院HPには記載がない。もしそうなら常勤の麻酔医ひとりが院内の救命救急に対応しているはずで、それでは術後死亡率が高くなるのは当然であろう。
4/15「産経」記事は、<移植外科の常勤医は3名(うち1名は院長)だ>、という。
http://www.kifmec.com/03_kifmec_ishi_1.html
この情報は正確だと考える。
医療法にいう「病院」には厳しい規程があり、例えば「病理解剖室」(剖検室)を設置しなければならない。また臨床検査と病理診断が日本の医療の質を担保するのに重要であることを、厚労省は認め、検査会社への外注によらず、院内で臨床検査専門医、病理専門医がデータ・チェックと病理診断をおこなう場合に、診断料や管理料を保険から支払うことを認めている。
昔は「病理検査」を院内でやると、人件費、資材費などで病院の「持ち出し」になっていたので、外注する病院が多かったが、今は逆に病理・検査は黒字部門になっている。
これは薬局の「お薬手帳」と違い、実際に有効に機能し、いまやどの病院でも常勤の病理専門医を雇うのに必死になっている。が、質の高い病理専門医の養成が間に合っていない。
さて、近藤先生のご質問だが、「これでは厚労省が営業許可を出せないはず」なのに実際には営業して多数の死者を出しているのは、「医療特区」として、日本の「医療法」を適用していないのではなかろうか?いわば「医療特区」を大使館や領事館のような、ある種の「治外法権」地帯として認めたのではなかろうか?と私は考える。>(「付記」終り)
肝心の組織の管理運営体制はどうなっているのであろうか。この「病院」は、1階が駐車場と事務室、2階が外来診療階という構造になっていて、付近のモノレール駅からは、エスカレーターで2階の連絡回廊に登り、そこを通って外来に行くという構造になっている。
3階が手術場とICUで、4階が食堂、5~7階が病棟となっている。
http://www.kifmec.com/03_kifmec.html#002
で管理組織だが、院長以外に
院長代行=山田貴子
副院長(3名)=山田貴子(医師)
村上明美(看護師・看護部長)、
菊地耕三(看護師・移植コーディネーター)
という責任者がいる。
普通、「代行」というのは、選挙等で選ばれた管理者が事故で急に不在になった場合に、新に選任されるまで、「みなし規程」により正当な責任者である「かのように」振る舞うことできる者をいう。広島大では、現職の学部長が殺害された後、学部内が混乱して学部長選挙ができず、先任評議員のA教授が「学部長代行」を務めた。
不思議なのは、今回の事件が明るみに出た後、院長代行で副院長でもある医師の山田貴子が、記者会見にも取材にも応じていないことだ。
4/15「日経」と「中国」は、<副院長が「医療ミスではない」と述べた>と報じている。元記事が「共同」配信らしく、名前が欠落している。
だが、同じ日の「産経」と「毎日」は、この副院長が「菊地耕三」であることを示している。
菊地は「兵庫腎疾患対策協会」の幹部で、2000/2には、その第10会総会で「移植医療の現状」と題して、記念講演を行っている。
2013/3/4の「三井物産ニュース・レリース」<シンガポールで肝臓疾患・生体肝移植専門クリニックを開設>によると、
https://www.mitsui.com/jp/ja/release/2013/1199888_4689.html
<一般社団法人国際フロンティアメディカルサポート(所在地:兵庫県神戸市、代表理事:菊地耕三、以下「IFMS」)と共同で、シンガポールで肝臓疾患・生体肝移植専門クリニック(以下「本クリニック」)を開設します。>とある。
<本クリニックは、三井物産が20.5%出資するアジア最大の民間病院グループIHH Healthcare Bhd.(以下「IHH」)傘下のマウントエリザベスノビーナ病院(以下「ノビーナ病院」)内に開設されます。>
ともあり、三井物産と田中紘一の間に介在する「影の実力者」だとわかった。
だが医師免許を持たず、医師でないので「医行為が正当であったどうか」について、「医療ミスではない」と記者に断言するのは行き過ぎだろう。
「日本移植学会」のHPによると、兵庫県内で肝臓移植が可能な医療施設は「神戸大学病院」のみで、田中紘一の病院は含まれていない。
http://www.jotnw.or.jp/asp/facilities.php?todouhuken=28&shisetsu=0&searchBtn.x=70&searchBtn.y=26
移植学会は意図的にこの病院を落としているのであろうか?
高原史を理事長とする「日本移植学会」は、この事態にどのように対処するのか?いまや「法人化」したのであるから、社会に対する「アカウンタビリティ(説明責任)」があろう。それとも自分がかつて患者の「腎移植」を依頼した、田舎医者の万波誠潰しには意欲が出ても、「元移植学会理事長」が相手では、手も足も出ないというのであろうか?
アベノミクスの第三の矢「成長戦略」の中心をなす「医療」のひとつは、STAP事件で崩れた。他方が「移植ツーリズム」だとしたら、それは国際移植学会の「イスタンブール宣言」(2008)やWHOの「移植ガイドライン」(2010)に違反している。宣言の意図は「移植ツーリズム」の禁止にある。加盟国は独自に「脳死ドナーを増やし、臓器不足を自らの力で解消せよ」という点にある。
このあたりは、詳しい事情を、心あるジャーナリストに調査報道してもらいたいものだと思う。
この病院(正式には「神戸国際フロンティア・メディカルセンター」(KIFMEC)は、神戸中央市民病院の前にあり、その南側には理研の神戸研究所や笹井が自殺したCDBがあり、一体が先端医療とバイオメディカルがらみの会社や研究所が集中する、いわばアベノミクス「第三の矢」=成長戦略ともからむ「因縁の地帯」だ。「STAP事件」はここで起きたのである。
https://www.google.co.jp/maps/@34.6589239,135.2160947,18z
航空写真を見ると、
https://www.google.com/maps/@34.6599873,135.2162449,236m/data=!3m1!1e3?hl=ja
この「鳥の翼」のような7階建てのビルは、かなり旧く、病院として建設されたものではないと思われる。
この地区は更地のままのところも多く、なんだか「魔の地帯」、「異界」であるような印象を受ける。
「肝移植を受けた患者7例のうち4例が術後1ヶ月以内に死亡」(1ヶ月死亡率57.1%)というのはムチャクチャに高い。広島大の問題の教授には「殺し屋◯◯」というあだ名がついたほど、心臓手術を受けた患者の死亡率が高く、データ捏造事件が表に出るまでに、それが噂になっていた。だから当時、「読売」スクープ記事を読んだ事情通は、「やっぱり」と思っただけで別に驚かなかった。
田中紘一 マイナス 生体肝移植=ゼロ、という公式が成立する。
日本で最初に生体肝移植を実施したのは、島根医大(現島根大学医学部)外科の永末直文助教授である。先天性胆道閉塞症の幼児に、父親の肝臓から切除された左葉を移植するという、「生体肝移植」が実施されたのが、1989/11/13で、日本初、世界で確か2例目である。
(中村輝久・監『決断:生体肝移植の軌跡』、時事通信社, 1990)
この時、同じ島根県の「島根県立中央病院」の外科(小児外科)にかつていたことがあり、メディアによる大々的報道を口惜しい思いをしながら見ていたのが、京大第二外科の助教授田中紘一である。小澤教授が率いる京大チームが日本第2例目の生体肝移植を実施したのは、1990/6のことだ。島根に7ヶ月遅れている。
「永末移植」の場合は、サポートした広島日赤の元内科部長、上司の外科教授がいずれも「九大系」で、島根医大自体は京大が多数派だった。
他方、京大チームの方は、小澤は移植外科が専門で、教授・助教授以下、主だったメンバーは、京大医学部卒だった。「田中紘一生体肝移植」を持ち上げた作家の後藤正治 1)、弁護士の谷澤忠彦 2)などは京大卒である。
1)後藤正治『生体肝移植:京大チームの挑戦』(岩波新書、2002),
2)谷澤忠彦『情熱の移植医:田中紘一の新たな挑戦』(思文閣, 2009)
永末の第1例患者は、京大の第1例よりも倍近く長生きしたのに、なぜか永末の業績は、その後のマスコミやこれら「京大」本により無視されてしまった。「和田心臓移植」を憂いていた永末は、徹底的な「情報公開」をおこなったが、広島日赤の外科部長から島根医大の助教授に転じた永末に対する「嫉妬」もあったのだろ。京大を初めとする学会側は、公開されたデータを元にかえって永末移植を非難する側にまわった。片田舎の新設医大が画期的な移植術をおこなったことが許せなかったのだろう。
永末は、結局、島根医大の教授にも、母校九大の教授にもなれなかった。歴史にはしばしばそういう皮肉な現象が起こるものだ。大江秀房『早すぎた発見、忘れられし論文』(講談社ブルーバックス, 2004)にはそういう例が沢山、載っている。
田中もすんなりと京大教授になれたわけではない。第二外科の小澤後任の教授選には破れ、結局、京大が「移植免疫医学講座」を新設して、そこの教授にした。1995/4のことだ。
それはともかく、「生体肝移植」を大いにPRしたのは田中紘一だが、世界で最初に実施したのはオーストラリア・ブリスベーンの、そうあのデビッド・ニコル教授が「小径腎がん」の修復腎移植を多数、実施した、プリンセス・アレクサンドラ病院である。患者は日本人の小児で、母親から肝臓の一部をもらった。つまり田中の業績にはブレークスルーに相当するものはない。彼は生体肝移植を量的に多数おこない、広めた。これはまあ、イノヴェーションには相当するだろう。
「病腎移植」事件の時には日本移植学会理事長で、アメリカ移植学会で「万波論文」が発表されると知るや、学会長宛に「刑事事件として警察が捜査中」として演題の取り消しを要請する、虚偽のオフィシャル・レターを書いた人物だ。学会長メイタス教授(ミネソタ大・移植外科教授)が取り消し要望に応じたことは、「言論の自由」を常識とするアメリカでは考えられないことだった。のちに彼は「腰抜けメイタス」と批判された。
(村口敏也『否定された腎移植:この国の医療のかたち』, 創風社, 2007/12)
これに味を占めた日本移植学会と日本臨床移植学会の幹部たちは、その後国内でも、医師や患者団体による「修復腎移植」を支持する演題を却下し続け、「万波潰し」を謀ってきた。
(それが崩れたのが、今年2月の「臨床腎移植学会」での愛媛県中からの「小径腎がん」修復腎移植の1例発表だ。)
その結果、憲法が保障する「幸福追求権」を奪ったとして、この理不尽な言説と行動を展開した学会幹部5人(田中紘一:移植学会理事長、大島伸一:同副理事長、寺岡慧:移植学会後任理事長、高原史朗:阪大寄付講座教授、厚労省調査班員、相川厚:東邦医大教授、厚労省調査班長)の5名が、人工透析中や修復腎移植の経験者など患者団体から、損害賠償訴訟を起こされている。
さて問題の肝移植手術に戻ると、各紙報道を総合すると、こういうことらしい。
昨年11月にオープンした病院は、12月から3月末までに7例の生体肝移植手術をおこなったが、うち4例が術後30日以内に死亡していた。この7例はすべて親族間移植である。死亡例の2人は小児で、これとの重なりがあるかどうか不明だが、国籍インドネシアというのが死亡例に2人ある。患者の基礎疾患は、肝臓がん、胆道閉塞など多くの肝移植対象疾患と変わらないものと思われる。(アップルのスチーブ・ジョブズは膵癌の肝転移のために、脳死体からの肝移植を受けた。)
任意団体「日本肝移植研究会」が調査を始めたのが、4/5。神戸市の保健所が調査したのが4/7。保健所の記者会見が4/14という展開になっている。各紙とも「記者クラブ報道」で、毎日、日経、産経、中国のリード文は同一である。つまり「官製発表」のたれ流しだ。
唯一、「読売」は
<肝臓移植医らでつくる日本肝移植研究会(会長=上本伸二・京大教授)が診療に問題がないか調査を始めた。移植医療の専門家から「非常に高い死亡率。手術を止めて検証すべきだ」との声が上がっている。>と書いている。
当然だろう。開院直後の連続・術後患者死亡だ。「倫理委員会を通しているから問題はない」という神戸市保健所長の、お役人的答弁を垂れ流す、記者の見識が疑われる。
商社が49%を出資して営利目的で開院した「センター」だから、スタッフは寄せ集め、機材備品、管理運営や臨床科、ナース、検査部、栄養科などのコメディカル部門との連携にも、まだ未熟なところがあった可能性がある。普通なら、全手術を中止して、システムの点検をおこなうところだ。
病院は「事故ではない」として4月に入っても手術を続けているという。すると「事象」の発生はランダムであるから、8例の手術例のうち、約50%が外国人(うちインドネシアが最多)で約50%が小児であるという推計が成立する。
外国人に日本の医療保険は効かないから、ちょうど日本人が渡米して「心臓移植」を受ける時に億を超す「証拠金」の支払いが必要になると同様に、事前に多額の「前納金」を要求しているのであろう。大手商社がからんだ病院だから、そのへんに抜かりはなく、「医療費不払い」問題は起こらないようになっているのであろう。
4/14「報道ステーション」でインタビューに応じた田中紘一は、2006の「病腎移植事件」の頃に比べて、めっきり老け込んでいた。そのレトリックがふるっていた。「事故ではないので、10例、20例と続けていけば、成績は向上する…」。楽屋では一変して、口汚い言葉で部下同僚を罵る、「ローンサム・ローズ」の古館伊知郎には、これが詭弁だと見抜けなかったようだ。
もし「事故でない」なら、事象はランダムに発生していることになる。
サイコロの目はランダムに出るから、制御できない。田中はそういっているのだ。
もしそうなら8例を10例にし、20例に増やしても、「術後30日以内死亡」はランダムに発生するから、死亡率57.1%は変わらないはずで、20例おこなえば、11人か12人が死亡する。
もし「事故」がからんでいて、手術を一時中断しての総点検により、問題点の発見に成功し、それが除去されると、以後の「死亡アクシデント」は発生例が減少して、死亡率は低下する。それが科学医学の考え方である。
73歳の田中は、いまも肝移植のハウプト(第一執刀医)をやっているようだ。
「肝移植研究会」(会長=上本伸二・京大教授)が調査に入ったというのだから、ただ事でない。http://www.c-linkage.co.jp/jlts2015/
テレビを見ていて「大外科医ザウエルブルッフの悲劇」を思い出した。
フェルジナンド・ザウエルブルッフ(1875〜1951)は、20世紀の初め、新に胸部外科を開拓して、ドイツ外科学会をリードし、ベルリンのフンボルト大学外科教授で、シャリテ病院の外科部長を永年勤め、ドイツ外科学の大御所だった。
だが、1945年、60歳を過ぎた頃から、手術の上で、信じられないような初歩的ミスを繰り返し、患者を死なせる事故が多発した。しかし、弟子たちは誰もそれを止めさせることができず、逆にカバーすることに追われた。
ドイツの大学教授は、「年老いた」と自覚したら、名誉教授号と引き換えに引退して、年金生活に入るのが普通である。名誉教授には、大学施設を利用しての研究生活は認められる。日本のような「定年制」は「年齢による差別」であり、アメリカでは「憲法違反」になる。ドイツにも定年制はない。しかし、ザウエルブルッフには老いの自覚がまったくない。
ドイツのシステムでは、入院中に死んだ患者はすべて病理解剖される。病理学のレスレ教授がまとめた、ザウエルブルッフの術後死亡例の剖検報告が証拠となり、東ドイツ政府・文部省と大学教授会は、ザウエルブルッフに「自発的引退」を認めさせようと苦労した。
要するに彼は「ゼニーレ・デメンツ(senile Dementz)」、英語でいうsenile dementia(老人性痴呆)を発症していたのである。
①J.トールワルド『大外科医の悲劇:胸部外科の創始者、ザウエルブルッフの伝記』, 東京メディカルセンター, 1969
②J.トールワルド『近代外科を開拓した人びと(上・下)』, 講談社文庫, 1973 )
(「言葉狩り」が激しい日本では、「痴呆」という言葉が使いにくくなり、英語のカタカナ表記である「デメンチア」が用いられるようになっている。
③M.シュピッツァー『デジタル・デメンチア(Digitale Dementz):子どもの思考力を奪うデジタル認知障害』(講談社, 2014/2)という訳書のように、ドイツ・ウルム大学の精神科教授が書いた本などは、原題がドイツ語だから、それをいったん英語になおして、カタカナ表記するというややこしいことをやっている。)
『大外科医の悲劇』には、57歳時の彼のポートレート写真が掲載されているが、頭部は額から頭頂部まで禿げ上がり、皮膚にはしわがより、厚いレンズの老眼鏡をかけていて、まるで70歳の老人のように見える。
「ピペットの目盛りが、老眼鏡なしでは見えなくなったら、実験はやめなければ…」という名言を述べたのは、成人T細胞白血病・リンパ腫(ATLL)の発見者、高月清(京大内科講師→熊本大教授)である。
4/16〜17と、メディアのより正確な続報を期待したが、アシアナ航空の広島空港での着陸事故とか産経加藤記者の帰国とかのニュースで、紙面が一杯で、続報がない。「肝移植研究会」による調査結果の公表が待たれるが、とりあえず判明した事実を記した。
肝臓には右葉と左葉があるから、左葉を部分切除して移植に用いる「生体肝移植」が一般化しているが、「生体腎移植」にはない危険がドナーにもレシピエントにも伴う。あくまで、脳死体からの臓器ドナーが不足しているための、緊急措置である。
「棄てられる腎臓」をリサイクルする「修復腎」移植を公認して、ドナーもハッピー、レシピエントもハッピーになり、臓器移植の重要性を口にしてくれる「歩く広告塔」が、1手術につき二人生まれる「戦略」を日本移植学会が採用していれば、今回のような事件は起こらなかった。肝臓だって、リサイクルできる部分切除があるはずだ。現に「肝ドミノ移植」では病気の肝臓を移植に用いている。
三井物産がなぜシンガポールから撤退したのか?「限られた移植医療資源(臓器、専門家、移植施設)を外国からの患者のために配分して、自国民の移植医療を受ける機会が減少する場合は、移植ツーリズム」となると、「イスタンブール宣言」には明記されている。
「移植医療のシステムは、臓器提供から移植医の養成まで、すべて国民国家の責任においておこなうこと」というのが、「宣言」の主旨である。
それなのに、生体肝移植のパイオニアーの一人であり、元日本移植学会の会長でもある人物が、なぜこのような事件に関与したのか、私には理解できない。
その疑問と思いを一文に綴った。
内容に間違いがあれば、いくらでも訂正する。読者の自主的判断の素材になればと思い、メルマガで配布することにした。
元日本移植学会理事長の田中紘一が院長を勤める、神戸市の移植医療ビジネス病院「神戸国際フロンティアメディカルセンター」で、肝移植手術後の患者死亡が相次いでいることを報じたのは、4/14「読売」のスクープだったらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150413-OYT1T50156.html
そういえば、昔(1983/12/6)、「広島大人工心臓<世界記録>データ捏造事件」を最初に報じたのも、「読売」大阪・科学部の三木健二という記者だった。
(W.ブロード&N.ウェイド『背信の科学者たち』、講談社, 2014/6, 牧野賢治による訳者解説、p.319)
彼は後に「人工透析」の実態を連載レポートして、「臓器移植の推進」をアピールしたらしい。
田中紘一がらみの「神戸移植病院」構想は、「移植ツーリズムや臓器売買につながりかねず、倫理的に問題がある」として神戸市医師会と県医師会が反対したため、いったん挫折したと理解していた。
ところが「三井物産」のHP (プレスリリース:2014/8/18) によると、物産がスポンサーになって、田中を看板にシンガポールに「移植病院」をつくり、それが成功したので、新たに神戸に形を変えて再進出したのだという。
https://www.mitsui.com/jp/ja/release/2014/1203229_5704.html
商社にとっての「成功」とは、医療ビジネスとして「もうかった」ということだろう。田中の病院は昨年の11月にオープンしたばかりだと「神戸新聞」が報じているが、市医師会や県医師会、地元紙までも、うまく丸め込まれていたのだろうか? 国際的商社のノウハウをもってすれば、そんなものは赤児の手をひねるより、易いものだろうが…。
問題の移植病院は、病床数120床、政府の「医療特区」制度を利用したもので、建物は三井物産からのリース、理事長=院長が田中紘一、院長代行がYという、これまでエジプトや八王子病院(東京医大分院)で、肝移植がらみの事件・事故を起こしてきた、東京医科歯科大卒の女医である。
「神戸移植病院」の常勤医は、そのHPによるとたった9人で、それが消化器内科、消化器外科、内視鏡外科、移植外科、腫瘍内科、放射線科、病理診断科、臨床検査科、麻酔科の9科とICUを標榜している。
<付記=この文章の草稿を読まれた近藤俊文先生(宇和島市立病院名誉院長)から
「九科を標榜し、120床を抱える病院で常勤医9名というのは犯罪的ですが、そもそもこれでは厚労省が営業許可を出せないはずです。
それに、ICUまで維持できるわけがありません。この数字は正しいのでしょうか?」
という、お訊ねがあった。
そこで、同病院が開示している医師情報をHPで調べてみた。
常勤医の科別構成について、はこうなっている。
消化器内科=2名,
1) 医員(川崎医大2000年卒、神戸大第2内科入局、専門医資格の表示なし)
2) 医員(京大医2002年卒、胃腸科認定医)
消化器外科=2名,
1)医員(京大医2002年卒、内視鏡手術)
2)医員(京大医2005年卒、内視鏡手術)
内視鏡外科=0
肝胆膵・移植外科=3名,
1) 理事長・院長兼任の京大名誉教授(73)
2) 副院長・院長代行兼任の女医(東京医科歯科大2001年卒)
3) 医員(京大医2001年卒)
腫瘍内科=0
放射線科=0
病理診断科=0
臨床検査科=0
麻酔科=1,
1)医員(岡山大医1988年卒、自己紹介に「岡山大学を出た後は移植医療とは離れておりましたが、この度ご縁があってKIFMECに赴任させていただくことになりました。」とある。)
http://www.kifmec.com/03_kifmec.html#003
麻酔科の「専門医資格」は貴重なもので、これがあれば高給のアルバイトができるから、食いっぱぐれがない。そこで時に「渡りの痲酔専門医」がいる。この人がそうかどうかは、わからない。
術後早期の死亡には、手術の手技、手術方法の選択、痲酔の管理、手術中の輸液・輸血の量とタイミングなどがからみ、麻酔医が果たす役割は大きく、この麻酔科医はキーパーソンのひとりであろう。
三井物産のプレス・レリースでは「常勤医9人」となっていたが、今の同病院のHPでは「8人」である。「感染症内科」の1人は、京大大学院生の「常勤的非常勤」である。HPでは「非常勤医」となっている。
ICUに関しては、プレス・レリースにはあったが、病院HPには記載がない。もしそうなら常勤の麻酔医ひとりが院内の救命救急に対応しているはずで、それでは術後死亡率が高くなるのは当然であろう。
4/15「産経」記事は、<移植外科の常勤医は3名(うち1名は院長)だ>、という。
http://www.kifmec.com/03_kifmec_ishi_1.html
この情報は正確だと考える。
医療法にいう「病院」には厳しい規程があり、例えば「病理解剖室」(剖検室)を設置しなければならない。また臨床検査と病理診断が日本の医療の質を担保するのに重要であることを、厚労省は認め、検査会社への外注によらず、院内で臨床検査専門医、病理専門医がデータ・チェックと病理診断をおこなう場合に、診断料や管理料を保険から支払うことを認めている。
昔は「病理検査」を院内でやると、人件費、資材費などで病院の「持ち出し」になっていたので、外注する病院が多かったが、今は逆に病理・検査は黒字部門になっている。
これは薬局の「お薬手帳」と違い、実際に有効に機能し、いまやどの病院でも常勤の病理専門医を雇うのに必死になっている。が、質の高い病理専門医の養成が間に合っていない。
さて、近藤先生のご質問だが、「これでは厚労省が営業許可を出せないはず」なのに実際には営業して多数の死者を出しているのは、「医療特区」として、日本の「医療法」を適用していないのではなかろうか?いわば「医療特区」を大使館や領事館のような、ある種の「治外法権」地帯として認めたのではなかろうか?と私は考える。>(「付記」終り)
肝心の組織の管理運営体制はどうなっているのであろうか。この「病院」は、1階が駐車場と事務室、2階が外来診療階という構造になっていて、付近のモノレール駅からは、エスカレーターで2階の連絡回廊に登り、そこを通って外来に行くという構造になっている。
3階が手術場とICUで、4階が食堂、5~7階が病棟となっている。
http://www.kifmec.com/03_kifmec.html#002
で管理組織だが、院長以外に
院長代行=山田貴子
副院長(3名)=山田貴子(医師)
村上明美(看護師・看護部長)、
菊地耕三(看護師・移植コーディネーター)
という責任者がいる。
普通、「代行」というのは、選挙等で選ばれた管理者が事故で急に不在になった場合に、新に選任されるまで、「みなし規程」により正当な責任者である「かのように」振る舞うことできる者をいう。広島大では、現職の学部長が殺害された後、学部内が混乱して学部長選挙ができず、先任評議員のA教授が「学部長代行」を務めた。
不思議なのは、今回の事件が明るみに出た後、院長代行で副院長でもある医師の山田貴子が、記者会見にも取材にも応じていないことだ。
4/15「日経」と「中国」は、<副院長が「医療ミスではない」と述べた>と報じている。元記事が「共同」配信らしく、名前が欠落している。
だが、同じ日の「産経」と「毎日」は、この副院長が「菊地耕三」であることを示している。
菊地は「兵庫腎疾患対策協会」の幹部で、2000/2には、その第10会総会で「移植医療の現状」と題して、記念講演を行っている。
2013/3/4の「三井物産ニュース・レリース」<シンガポールで肝臓疾患・生体肝移植専門クリニックを開設>によると、
https://www.mitsui.com/jp/ja/release/2013/1199888_4689.html
<一般社団法人国際フロンティアメディカルサポート(所在地:兵庫県神戸市、代表理事:菊地耕三、以下「IFMS」)と共同で、シンガポールで肝臓疾患・生体肝移植専門クリニック(以下「本クリニック」)を開設します。>とある。
<本クリニックは、三井物産が20.5%出資するアジア最大の民間病院グループIHH Healthcare Bhd.(以下「IHH」)傘下のマウントエリザベスノビーナ病院(以下「ノビーナ病院」)内に開設されます。>
ともあり、三井物産と田中紘一の間に介在する「影の実力者」だとわかった。
だが医師免許を持たず、医師でないので「医行為が正当であったどうか」について、「医療ミスではない」と記者に断言するのは行き過ぎだろう。
「日本移植学会」のHPによると、兵庫県内で肝臓移植が可能な医療施設は「神戸大学病院」のみで、田中紘一の病院は含まれていない。
http://www.jotnw.or.jp/asp/facilities.php?todouhuken=28&shisetsu=0&searchBtn.x=70&searchBtn.y=26
移植学会は意図的にこの病院を落としているのであろうか?
高原史を理事長とする「日本移植学会」は、この事態にどのように対処するのか?いまや「法人化」したのであるから、社会に対する「アカウンタビリティ(説明責任)」があろう。それとも自分がかつて患者の「腎移植」を依頼した、田舎医者の万波誠潰しには意欲が出ても、「元移植学会理事長」が相手では、手も足も出ないというのであろうか?
アベノミクスの第三の矢「成長戦略」の中心をなす「医療」のひとつは、STAP事件で崩れた。他方が「移植ツーリズム」だとしたら、それは国際移植学会の「イスタンブール宣言」(2008)やWHOの「移植ガイドライン」(2010)に違反している。宣言の意図は「移植ツーリズム」の禁止にある。加盟国は独自に「脳死ドナーを増やし、臓器不足を自らの力で解消せよ」という点にある。
このあたりは、詳しい事情を、心あるジャーナリストに調査報道してもらいたいものだと思う。
この病院(正式には「神戸国際フロンティア・メディカルセンター」(KIFMEC)は、神戸中央市民病院の前にあり、その南側には理研の神戸研究所や笹井が自殺したCDBがあり、一体が先端医療とバイオメディカルがらみの会社や研究所が集中する、いわばアベノミクス「第三の矢」=成長戦略ともからむ「因縁の地帯」だ。「STAP事件」はここで起きたのである。
https://www.google.co.jp/maps/@34.6589239,135.2160947,18z
航空写真を見ると、
https://www.google.com/maps/@34.6599873,135.2162449,236m/data=!3m1!1e3?hl=ja
この「鳥の翼」のような7階建てのビルは、かなり旧く、病院として建設されたものではないと思われる。
この地区は更地のままのところも多く、なんだか「魔の地帯」、「異界」であるような印象を受ける。
「肝移植を受けた患者7例のうち4例が術後1ヶ月以内に死亡」(1ヶ月死亡率57.1%)というのはムチャクチャに高い。広島大の問題の教授には「殺し屋◯◯」というあだ名がついたほど、心臓手術を受けた患者の死亡率が高く、データ捏造事件が表に出るまでに、それが噂になっていた。だから当時、「読売」スクープ記事を読んだ事情通は、「やっぱり」と思っただけで別に驚かなかった。
田中紘一 マイナス 生体肝移植=ゼロ、という公式が成立する。
日本で最初に生体肝移植を実施したのは、島根医大(現島根大学医学部)外科の永末直文助教授である。先天性胆道閉塞症の幼児に、父親の肝臓から切除された左葉を移植するという、「生体肝移植」が実施されたのが、1989/11/13で、日本初、世界で確か2例目である。
(中村輝久・監『決断:生体肝移植の軌跡』、時事通信社, 1990)
この時、同じ島根県の「島根県立中央病院」の外科(小児外科)にかつていたことがあり、メディアによる大々的報道を口惜しい思いをしながら見ていたのが、京大第二外科の助教授田中紘一である。小澤教授が率いる京大チームが日本第2例目の生体肝移植を実施したのは、1990/6のことだ。島根に7ヶ月遅れている。
「永末移植」の場合は、サポートした広島日赤の元内科部長、上司の外科教授がいずれも「九大系」で、島根医大自体は京大が多数派だった。
他方、京大チームの方は、小澤は移植外科が専門で、教授・助教授以下、主だったメンバーは、京大医学部卒だった。「田中紘一生体肝移植」を持ち上げた作家の後藤正治 1)、弁護士の谷澤忠彦 2)などは京大卒である。
1)後藤正治『生体肝移植:京大チームの挑戦』(岩波新書、2002),
2)谷澤忠彦『情熱の移植医:田中紘一の新たな挑戦』(思文閣, 2009)
永末の第1例患者は、京大の第1例よりも倍近く長生きしたのに、なぜか永末の業績は、その後のマスコミやこれら「京大」本により無視されてしまった。「和田心臓移植」を憂いていた永末は、徹底的な「情報公開」をおこなったが、広島日赤の外科部長から島根医大の助教授に転じた永末に対する「嫉妬」もあったのだろ。京大を初めとする学会側は、公開されたデータを元にかえって永末移植を非難する側にまわった。片田舎の新設医大が画期的な移植術をおこなったことが許せなかったのだろう。
永末は、結局、島根医大の教授にも、母校九大の教授にもなれなかった。歴史にはしばしばそういう皮肉な現象が起こるものだ。大江秀房『早すぎた発見、忘れられし論文』(講談社ブルーバックス, 2004)にはそういう例が沢山、載っている。
田中もすんなりと京大教授になれたわけではない。第二外科の小澤後任の教授選には破れ、結局、京大が「移植免疫医学講座」を新設して、そこの教授にした。1995/4のことだ。
それはともかく、「生体肝移植」を大いにPRしたのは田中紘一だが、世界で最初に実施したのはオーストラリア・ブリスベーンの、そうあのデビッド・ニコル教授が「小径腎がん」の修復腎移植を多数、実施した、プリンセス・アレクサンドラ病院である。患者は日本人の小児で、母親から肝臓の一部をもらった。つまり田中の業績にはブレークスルーに相当するものはない。彼は生体肝移植を量的に多数おこない、広めた。これはまあ、イノヴェーションには相当するだろう。
「病腎移植」事件の時には日本移植学会理事長で、アメリカ移植学会で「万波論文」が発表されると知るや、学会長宛に「刑事事件として警察が捜査中」として演題の取り消しを要請する、虚偽のオフィシャル・レターを書いた人物だ。学会長メイタス教授(ミネソタ大・移植外科教授)が取り消し要望に応じたことは、「言論の自由」を常識とするアメリカでは考えられないことだった。のちに彼は「腰抜けメイタス」と批判された。
(村口敏也『否定された腎移植:この国の医療のかたち』, 創風社, 2007/12)
これに味を占めた日本移植学会と日本臨床移植学会の幹部たちは、その後国内でも、医師や患者団体による「修復腎移植」を支持する演題を却下し続け、「万波潰し」を謀ってきた。
(それが崩れたのが、今年2月の「臨床腎移植学会」での愛媛県中からの「小径腎がん」修復腎移植の1例発表だ。)
その結果、憲法が保障する「幸福追求権」を奪ったとして、この理不尽な言説と行動を展開した学会幹部5人(田中紘一:移植学会理事長、大島伸一:同副理事長、寺岡慧:移植学会後任理事長、高原史朗:阪大寄付講座教授、厚労省調査班員、相川厚:東邦医大教授、厚労省調査班長)の5名が、人工透析中や修復腎移植の経験者など患者団体から、損害賠償訴訟を起こされている。
さて問題の肝移植手術に戻ると、各紙報道を総合すると、こういうことらしい。
昨年11月にオープンした病院は、12月から3月末までに7例の生体肝移植手術をおこなったが、うち4例が術後30日以内に死亡していた。この7例はすべて親族間移植である。死亡例の2人は小児で、これとの重なりがあるかどうか不明だが、国籍インドネシアというのが死亡例に2人ある。患者の基礎疾患は、肝臓がん、胆道閉塞など多くの肝移植対象疾患と変わらないものと思われる。(アップルのスチーブ・ジョブズは膵癌の肝転移のために、脳死体からの肝移植を受けた。)
任意団体「日本肝移植研究会」が調査を始めたのが、4/5。神戸市の保健所が調査したのが4/7。保健所の記者会見が4/14という展開になっている。各紙とも「記者クラブ報道」で、毎日、日経、産経、中国のリード文は同一である。つまり「官製発表」のたれ流しだ。
唯一、「読売」は
<肝臓移植医らでつくる日本肝移植研究会(会長=上本伸二・京大教授)が診療に問題がないか調査を始めた。移植医療の専門家から「非常に高い死亡率。手術を止めて検証すべきだ」との声が上がっている。>と書いている。
当然だろう。開院直後の連続・術後患者死亡だ。「倫理委員会を通しているから問題はない」という神戸市保健所長の、お役人的答弁を垂れ流す、記者の見識が疑われる。
商社が49%を出資して営利目的で開院した「センター」だから、スタッフは寄せ集め、機材備品、管理運営や臨床科、ナース、検査部、栄養科などのコメディカル部門との連携にも、まだ未熟なところがあった可能性がある。普通なら、全手術を中止して、システムの点検をおこなうところだ。
病院は「事故ではない」として4月に入っても手術を続けているという。すると「事象」の発生はランダムであるから、8例の手術例のうち、約50%が外国人(うちインドネシアが最多)で約50%が小児であるという推計が成立する。
外国人に日本の医療保険は効かないから、ちょうど日本人が渡米して「心臓移植」を受ける時に億を超す「証拠金」の支払いが必要になると同様に、事前に多額の「前納金」を要求しているのであろう。大手商社がからんだ病院だから、そのへんに抜かりはなく、「医療費不払い」問題は起こらないようになっているのであろう。
4/14「報道ステーション」でインタビューに応じた田中紘一は、2006の「病腎移植事件」の頃に比べて、めっきり老け込んでいた。そのレトリックがふるっていた。「事故ではないので、10例、20例と続けていけば、成績は向上する…」。楽屋では一変して、口汚い言葉で部下同僚を罵る、「ローンサム・ローズ」の古館伊知郎には、これが詭弁だと見抜けなかったようだ。
もし「事故でない」なら、事象はランダムに発生していることになる。
サイコロの目はランダムに出るから、制御できない。田中はそういっているのだ。
もしそうなら8例を10例にし、20例に増やしても、「術後30日以内死亡」はランダムに発生するから、死亡率57.1%は変わらないはずで、20例おこなえば、11人か12人が死亡する。
もし「事故」がからんでいて、手術を一時中断しての総点検により、問題点の発見に成功し、それが除去されると、以後の「死亡アクシデント」は発生例が減少して、死亡率は低下する。それが科学医学の考え方である。
73歳の田中は、いまも肝移植のハウプト(第一執刀医)をやっているようだ。
「肝移植研究会」(会長=上本伸二・京大教授)が調査に入ったというのだから、ただ事でない。http://www.c-linkage.co.jp/jlts2015/
テレビを見ていて「大外科医ザウエルブルッフの悲劇」を思い出した。
フェルジナンド・ザウエルブルッフ(1875〜1951)は、20世紀の初め、新に胸部外科を開拓して、ドイツ外科学会をリードし、ベルリンのフンボルト大学外科教授で、シャリテ病院の外科部長を永年勤め、ドイツ外科学の大御所だった。
だが、1945年、60歳を過ぎた頃から、手術の上で、信じられないような初歩的ミスを繰り返し、患者を死なせる事故が多発した。しかし、弟子たちは誰もそれを止めさせることができず、逆にカバーすることに追われた。
ドイツの大学教授は、「年老いた」と自覚したら、名誉教授号と引き換えに引退して、年金生活に入るのが普通である。名誉教授には、大学施設を利用しての研究生活は認められる。日本のような「定年制」は「年齢による差別」であり、アメリカでは「憲法違反」になる。ドイツにも定年制はない。しかし、ザウエルブルッフには老いの自覚がまったくない。
ドイツのシステムでは、入院中に死んだ患者はすべて病理解剖される。病理学のレスレ教授がまとめた、ザウエルブルッフの術後死亡例の剖検報告が証拠となり、東ドイツ政府・文部省と大学教授会は、ザウエルブルッフに「自発的引退」を認めさせようと苦労した。
要するに彼は「ゼニーレ・デメンツ(senile Dementz)」、英語でいうsenile dementia(老人性痴呆)を発症していたのである。
①J.トールワルド『大外科医の悲劇:胸部外科の創始者、ザウエルブルッフの伝記』, 東京メディカルセンター, 1969
②J.トールワルド『近代外科を開拓した人びと(上・下)』, 講談社文庫, 1973 )
(「言葉狩り」が激しい日本では、「痴呆」という言葉が使いにくくなり、英語のカタカナ表記である「デメンチア」が用いられるようになっている。
③M.シュピッツァー『デジタル・デメンチア(Digitale Dementz):子どもの思考力を奪うデジタル認知障害』(講談社, 2014/2)という訳書のように、ドイツ・ウルム大学の精神科教授が書いた本などは、原題がドイツ語だから、それをいったん英語になおして、カタカナ表記するというややこしいことをやっている。)
『大外科医の悲劇』には、57歳時の彼のポートレート写真が掲載されているが、頭部は額から頭頂部まで禿げ上がり、皮膚にはしわがより、厚いレンズの老眼鏡をかけていて、まるで70歳の老人のように見える。
「ピペットの目盛りが、老眼鏡なしでは見えなくなったら、実験はやめなければ…」という名言を述べたのは、成人T細胞白血病・リンパ腫(ATLL)の発見者、高月清(京大内科講師→熊本大教授)である。
4/16〜17と、メディアのより正確な続報を期待したが、アシアナ航空の広島空港での着陸事故とか産経加藤記者の帰国とかのニュースで、紙面が一杯で、続報がない。「肝移植研究会」による調査結果の公表が待たれるが、とりあえず判明した事実を記した。
肝臓には右葉と左葉があるから、左葉を部分切除して移植に用いる「生体肝移植」が一般化しているが、「生体腎移植」にはない危険がドナーにもレシピエントにも伴う。あくまで、脳死体からの臓器ドナーが不足しているための、緊急措置である。
「棄てられる腎臓」をリサイクルする「修復腎」移植を公認して、ドナーもハッピー、レシピエントもハッピーになり、臓器移植の重要性を口にしてくれる「歩く広告塔」が、1手術につき二人生まれる「戦略」を日本移植学会が採用していれば、今回のような事件は起こらなかった。肝臓だって、リサイクルできる部分切除があるはずだ。現に「肝ドミノ移植」では病気の肝臓を移植に用いている。
三井物産がなぜシンガポールから撤退したのか?「限られた移植医療資源(臓器、専門家、移植施設)を外国からの患者のために配分して、自国民の移植医療を受ける機会が減少する場合は、移植ツーリズム」となると、「イスタンブール宣言」には明記されている。
「移植医療のシステムは、臓器提供から移植医の養成まで、すべて国民国家の責任においておこなうこと」というのが、「宣言」の主旨である。
それなのに、生体肝移植のパイオニアーの一人であり、元日本移植学会の会長でもある人物が、なぜこのような事件に関与したのか、私には理解できない。
その疑問と思いを一文に綴った。
内容に間違いがあれば、いくらでも訂正する。読者の自主的判断の素材になればと思い、メルマガで配布することにした。
「麻酔医」と「病理医」が非常に重要である旨が記載されておりますが、
1.なぜ重要なのか
2.どういう役割・資質が期待されるのか
3.日本での現状
につきまして、ぜひ難波先生ならではの切り口でご教示頂きたいものです
これは病院の規模にも依るんでしょうか。医療法にいう病院と普通の病院は、どう違うのでしょう?
これは問題のある表現。「サイコロを8回ふって4回1が出たから、このサイコロの3面は1である」といっているようなもの。nが小さい場合、母平均の推定値は誤差を大きく含みます。元病理医なら医療統計の基礎くらい分かってるはずだから、わざと詭弁を用いていらっしゃるのでしょうね。
>生体肝移植のパイオニアーの一人であり、元日本移植学会の会長でもある人物が、なぜこのような事件に関与したのか、私には理解できない。
御意。
田中先生の生体肝移植の技術は「神業」的だったときいたことがありますが、お年を召したのか、ご自身で執刀されなかったのか、術中術後管理があまりに悪かったのか。いったん手術を中止して原因の調査が行われる事を願います。
「永末は、結局、島根医大の教授にも、母校九大の教授にもなれなかった。」
永末直文 元島根医科大学教授
1967年 九州大卒
1989年 日本初の生体肝移植(当時助教授)
1995年 第二外科教授就任
2003年 島根大と島根医大統合。初代島根大医学部学部長就任
2005年 退職
2005年 福岡市ふくみつ病院院長(~2012?)
様々に転載されるところかと思います。
私どもは、難波先生と修復腎移植の理解を進める事と、
その推進が図られることを目的として活動をご一緒している者の一人でございます。
わたしの個人的な知的好奇心と、
転載自由として、情報発信される難波先生に敬意を表す意味も有り、
修復腎移植に関係の無い記事もすべて転載を致しております。
実際に、STAP細胞に関する記事を掲載したことから、
修復腎移植への興味喚起ができたことは想像に難くございません。
ですから、こちらの掲載については、難波先生からの許可を得た上での転載でございますので、ご理解頂ければと思います。
転載許可と、著作権フリーかどうかという問題は別ですので、その点はコメントは避けます。